新編常陸國誌における「海道」の解説文とは? わかりやすく解説

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新編常陸國誌における「海道」の解説文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 20:44 UTC 版)

海道」の記事における「新編常陸國誌における「海道」の解説文」の解説

新編常陸國誌の六十行路では、海道が以下の様に解説されている。 海道東海大道である。伊賀国伊勢国より東側15箇国が東海道属すことから、この間往来する大道海道呼称する。古代石背国石城国陸奥国属せず東海道属しており、よってその後石城石瀬多・岩崎等の4郡を海道四郡と呼称した。陸奥国にも海道呼称があることは、日本後紀に「弘仁2年4月陸奥海道10驛を廃止し、さらに常陸の道に長有・高野の2驛を設置した」と在ることから確かである。海道10驛というのは、常陸国多珂郡奈古曾関を越えて菊多郡入った付近から海道四郡と称する地域内の施設を指す。さらに「長有・高野の2驛を設置した」というのは、白河郡内の道で久慈郡通じる道に関するのである後三年の役記録清原氏系図に「海道小太郎成衡」という人物書かれているが、「海道氏」は岩城岩崎付近によく見られる姓である。海道四郡と言われていたことは、旅宿問答鎌倉大草子等書かれているまた、白河結城家文書には、東海道宇多庄などという記述もよく見られるが、宇多庄は陸奥国内にある。 陸路 補 今の道路は、茨城郡水戸起点とすると、東南向かって下総河原代に至る道を江戸海道呼び北方向かって陸奧大垬に至る道を棚倉海道呼び、北に進んでやや東に向かって陸奧田村に至る道を岩城相馬海道呼んで、これらをすべて大道とする。また、水戸から西に向かって陸奧南郷に至る道を南郷海道呼び南郷海道の西にあって下野矢又に至る道を那須海道呼び西方向かってやや北に向かい下野藍田村鮎田)に至る道を茂木宇都宮海道呼び真西向かって下総結城驛に至る道を結城海道呼び結城海道江戸海道中間にあって下総瀬戸井に至る道を瀬戸井海道呼び南東向かって下総飯沼村に至る道を飯沼海道呼び、これらを中道称す。 このページ曖昧さ回避のためのページです。一つ語句複数の意味職能有する場合水先案内のために、異な用法を一覧にしてあります。お探しの用語に一番近い記事選んで下さい。このページリンクしているページ見つけたら、リンクを適切な項目に張り替え下さい

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