白河結城家文書とは? わかりやすく解説

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白河結城家文書(三十通)

主名称: 白河結城家文書(三十通)
指定番号 31
枝番 00
指定年月日 1978.06.15(昭和53.06.15)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 古文書
ト書
員数 2巻
時代区分 南北朝
年代
検索年代
解説文:  白河結城氏文書で(延元四年)五月四日北畠親房御教書以下三十通を存する。その中心占めるのは北畠親房関係文書で、いずれも常陸小田関城にあった親房が白河結城親朝充てその来援求めた書状類である。中には親房最後の「獲麟書」として著名な書状以下、親房の自筆書状七通を含み関東における南朝方の動向伝えて価値が高い。これらの多く携帯の便を考えて用いられ小切紙の文書で、その時代的特徴をよく示して注目される

白河結城家文書

主名称: 白河結城家文書
指定番号 156
枝番 00
指定年月日 1996.06.27(平成8.06.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 古文書
ト書
員数 90
時代区分 鎌倉室町
年代
検索年代
解説文:  本文書は奥州白河結城家直系伝来した古文書である。結城氏小山政光の子朝光が源頼朝によって下総結城安堵されて結城氏称したのに始まり、孫の広網の弟祐広は鎌倉後期陸奥白河移り白河結城家の祖となったその子宗広鎌倉幕府追討に功あり、建武政権下で北畠顕家たすけて諸方転戦し延元三年一三三八伊勢客死するが、子の親朝東国南朝側の有力武将として活躍し、やがて南朝勢力退潮のなかで尊氏側に降った結城氏その後顕朝、満朝、氏朝を経て朝の時代に最盛期迎え、南奥州地歩を固めるいたったが、一族小峯氏との内訌などによって衰え義親時代伊達氏支配下入ったこうした結城氏文書は、惣領職をめぐる白河宗家小峯家の争い天正十八年(一五九〇)秀吉奥州仕置による改易没落によって分散化余儀なくされたが、この白河結城宗家文書は義顕の子朝綱が秋田佐竹家仕えたことにより、辛うじて現在に伝わったもので、本文書中には江戸時代分家結城朝文家(出羽小峰家伝来文書四通含まれている。
 本文はこうした結城氏歴史反映して文永元年一二六四十月十日関東下知状上限として親朝から氏朝時代にいたる文書九〇通を数えるが、特に元弘三年一三三三)から康永二年(一三四三)までの十年間の文書まとまっていて、南北朝内乱期における宗広親朝父子活動親朝をめぐる関東奥州情勢考えるうえに重要な史料である。またこれらの中には時代的特徴を示す北畠親房・顕信御教書などの斐紙小切文書や、親朝右筆存在を示す案文などが含まれていて古文書学上にも注目される
重要文化財のほかの用語一覧
古文書:  留守家文書  異国通船朱印状  白河結城家文書  白河結城家文書  皆川家文書  皇太神宮儀式帳  皇慶附嘱状



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