白河関跡
名称: | 白河関跡 |
ふりがな: | しらかわのせきあと |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 福島県 |
市区町村: | 白河市大字旗宿 |
管理団体: | 白河市(昭44・6・27) |
指定年月日: | 1966.09.12(昭和41.09.12) |
指定基準: | 史6 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | S41-6-054[[白河関跡]しらかわのせき]跡.txt: 白河関は奥州に通じる東山道を扼し、[[蝦夷地]えぞち]に備えた関門で、史上に名高い。最近の発掘調査の結果、土塁・空堀を設け、これに[[柵木]さくぼく]をめぐらした古代の防禦施設が判明した。 |
白河の関
(白河関跡 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/02 07:11 UTC 版)
白河の関(しらかわのせき)は、古代の日本における関所の1つ。奈良時代から平安時代にかけて、都から陸奥国に通じる東山道の要衝に設けられた関門として歴史上名高く、「みちのく(奥州。現代の東北地方)の玄関口」とされてきた[1][2]。
- ^ a b c d e f g h i j k l 小沢一成 (2022年8月26日). “今さらですが「白河の関」とは? 仙台育英の快挙で注目ワードに 1000年の扉を開けてみました”. 河北新報 2022年8月27日閲覧。
- ^ a b c d e f “「生きているうちに見られて最高」 東北勢初優勝、白河関跡でも歓喜”. 朝日新聞. (2022年8月22日) 2022年8月22日閲覧。
- ^ 「白河関跡」『日本歴史地名大系7 福島県の地名』平凡社、1993年。
- ^ 「福島県の歴史」『県史シリーズ7』小林清治、山田舜共著 山川出版社、1970年。
- ^ a b c “なぜ東北人は仙台育英V「白河越え」に熱くなるのか? 戊辰戦争からの鬱屈が・・・!?”. TBC東北放送. (2022年8月26日) 2022年8月27日閲覧。
- ^ “東北勢の決勝は12戦12敗 「白河の関越え」挑戦の歴史を振り返る”. 河北新報. (2022年8月22日) 2022年8月23日閲覧。
- ^ a b c d “今さら人に聞けない…高校野球の「白河の関越え」って?太田幸司や吉田輝星…東北球児たちの闘いは:東京新聞 TOKYO Web”. 東京新聞 TOKYO Web. 2022年8月22日閲覧。
- ^ a b c “福島「白河の関」にぎわう 甲子園優勝祝う御朱印人気”. 産経新聞. (2022年8月26日) 2022年8月27日閲覧。
- ^ 土江洋範 (2021年12月3日). “都市対抗野球・七つのトリビア 黒獅子旗は「白河の関」越えた? 東北球児の壁、社会人では…”. 毎日新聞 2022年8月23日閲覧。
- ^ a b “「白河の関」で決勝戦PV 「ついにこの日が訪れた」”. 河北新報 (2022年8月22日). 2022年8月24日閲覧。
- ^ “【速報】「優勝旗が白河の関を超えた」仙台育英が下関国際を下し優勝 東北勢初“日本一” 夏の甲子園”. TBS NEWS DIG. 2022年8月22日閲覧。
- ^ a b “ついに優勝旗が白河の関を越えた! 仙台育英ナインが乗車した新幹線が通過!”. スポーツニッポン (2022年8月23日). 2022年8月24日閲覧。
- ^ “白河の関を陸路で越え、深紅の優勝旗が初の東北到着…仙台育英が凱旋”. 読売新聞 (2022年8月23日). 2022年8月24日閲覧。
- ^ “優勝旗が白河越えた!甲子園V仙台育英ナインを乗せた東北新幹線が午後2時19分に新白河駅通過”. 日刊スポーツ (2022年8月23日). 2022年8月24日閲覧。
- 白河関跡のページへのリンク