鎮守府将軍
読み方:チンジュフショウグン(chinjufushougun)
鎮守府将軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/21 08:13 UTC 版)
鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)は、奈良時代から平安時代にかけて陸奥国に置かれた軍政府である鎮守府の長官。令外官である。平安時代中期以降は武門の最高栄誉職と見なされていた。
注釈
- ^ a b c なお、本来は鎮守将軍(あるいは陸奥鎮守将軍)が用いられ、「鎮守府将軍」とはいわなかった。坂上田村麻呂の頃に鎮守府が移動して陸奥国府と距離ができると「府」の字を入れ「鎮守府将軍」と呼ばれるようになったといわれているが、正史である六国史では坂上田村麻呂以後も含め「鎮守将軍」と記されている。
- ^ 大野東人以前は、和銅2年(709年)3月5日に陸奥鎮東将軍に任じられた巨勢麻呂、同日征越後蝦夷将軍に任じられた佐伯石湯、養老4年(720年)9月29日に持節征夷将軍に任じられた多治比縣守、同日持節鎮狄将軍に任じられた阿倍駿河など蝦夷征討の将軍の記録がある[1]。
- ^ 当時の朝廷の支配する地域から派遣された兵士が駐屯した。多くは上総国下総国を中心とする東国の出身であった。
- ^ 蝦夷征討(征夷)の際には臨時の将軍が任じられたが、大伴家持や坂上田村麻呂の場合は自身に節刀が授けられ征東将軍や征夷大将軍として征討軍を率い、陸奥按察使の文室綿麻呂が征夷将軍に任ぜられた際には、鎮守将軍だった佐伯耳麻呂は征夷副将軍になった。
- ^ 臨時の将軍の例として他に、征東大将軍の紀古佐美[2]や、征夷大将軍の大伴弟麻呂[3]があり、征東大将軍や征夷大将軍の初見とされている。これら蝦夷征討の将軍には天皇より節刀が授けられ全権を委任されていた。
- ^ 「粗勘先規、於鎮守府宣下者、坂上中興以後、至藤原範季〔安元二年三月〕、雖及七十度(下略)」
出典
- 1 鎮守府将軍とは
- 2 鎮守府将軍の概要
- 3 脚注
「鎮守府将軍」の例文・使い方・用例・文例
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