812年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 03:06 UTC 版)
千年紀: | 1千年紀 |
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世紀: | 8世紀 - 9世紀 - 10世紀 |
十年紀: | 790年代 800年代 810年代 820年代 830年代 |
年: | 809年 810年 811年 812年 813年 814年 815年 |
812年(812 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
他の紀年法
カレンダー
できごと
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- フランク王国のカール大帝の帝位を「僭称である」として認めなかった東ローマ帝国が、第二次ブルガリア帝国の台頭などによる脅威の増したミカエル1世ランガベーの代で、ようやくこれを容認し、アーヘンにて講和条約を締結する[1]。ただし、ローマ皇帝(ローマ人の皇帝)はコンスタンティノポリスのローマ皇帝(東ローマ皇帝)のみで、カールはフランクの皇帝であるとした(cf. 皇帝#カール大帝の「西ローマ帝国」)[1]。また、カールは交換条件して、南イタリアの一部とヴェネツィア共和国およびダルマチアが東ローマ帝国の傘下にあることを認めた[1]。
- 6月-8月 - クルム・ハーン率いる第一次ブルガリア帝国軍がトラキア(東ローマ帝国領内)に侵攻。
- 10月15日-31日 - クルム率いる第一次ブルガリア帝国軍が、メセンブリア(Mesembria。現・ネセバル。東ローマ帝国領内)を攻撃し、占領する。
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- その2週間後、東ローマ帝国軍が包囲戦によってクルム軍を撤退させる。
- 月日不明
- 第二次ロンスヴォーの戦い
- ハーフェル川流域にてポラビア・スラブ人 の一派ヴェレティ が反乱を起こすも、失敗。
日本

当時の日本に自生していた桜で、嵯峨天皇らが愛でたのはこの種であったと思われる。
誕生
死去

- 9月14日(弘仁3年8月6日) - 布勢内親王、平安時代初期の皇族(* 生年未詳)
- 12月24日(弘仁3年11月13日) - 藤原内麻呂、平安時代初期の公卿(* 756年)
- 杜佑、唐代中国の歴史家(『通典』編纂者)(* 735年)
- イブラーヒーム1世、アグラブ朝の初代アミール(* 756年)
- サングラーマグナンジャヤ王、シャイレーンドラ朝の王(* 生年未詳)
- 阿倍枚麻呂、平安時代初期の官人(* 生年未詳)
- 大元瑜、渤海国第7代王(* 生年未詳)
脚注
注釈
- ^ それ以前は中国に倣って梅の花を愛でることが多かった。
- ^ 大輪田泊#造大輪田船瀬使
出典
参考文献
関連項目
- 年の一覧
- 年表
- 年表一覧
- 812年における世界各地の指導者一覧(英語: List of state leaders in 812)
「812年」の例文・使い方・用例・文例
- ナポレオンは、1812年にロシア西部のモスクワの西側での会戦でロシア人を破ったが、取り返しがつかないほど彼の軍隊は弱体化した
- 米国と、米国の対仏貿易に干渉しようとした英国との間の戦争(1812年−1814年)
- フランシス・スコット・キーによって1812年の戦争の間に書かれた詩は、音楽がつけられ、米国の国歌として、1931年に議会によって採用された
- 都市は、オランダ人によりスターブルークと呼ばれいたが、1812年に英国人によりジョージタウンに改名された
- 英国の詩人、エリザベス・バレット・ブラウニングの夫で、劇的な独白で知られる(1812年−1889年)
- アパッチ族のリーダーで、アリゾナ州で米国軍に抵抗した(1812年−1874年)
- 英国の作家で、小説が社会的な不当な扱いを表現し、批判した(1812年−1870年)
- 米国の資本家(フランス生まれ)で、1812年の米英戦争への融資を手助けした(1750年−1831年)
- 米国の海軍将校で、1812年の戦争の間に『憲法』を駆使して、英国人に対する一連の光り輝く勝利を勝ち取った(1773年−1843年)
- 米国の弁護士、詩人で、1812年戦争の間に、ボルチモアに対する英国の攻撃を目撃した後に詩を書いた
- フランスの海賊で、1812年の戦争で米国を助け、罪に対する公式の許しを受けた(1780年−1826年)
- 英国の学者で、シェークスピアの劇に関する年表と、シェークスピアとドライデンの版で知られる(1741年−1812年)
- 1812年の米英戦争中にエリー湖で英国人を破った艦隊を率いた米国の准将
- 英国の建築家で、ゴシック建築の19世紀の復活において大きな役割を果たした(1812年−1852年)
- 米国の将軍で、1812年戦争の英雄であり、メキシコ戦争でサンタ・アナを破った(1786年−1866年)
- 1812年にスイスの探検家ヨハン・ルードヴィッヒ・ブルクハルトによって発見されるまで,ペトラは数世紀に渡って忘れ去られていた。
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