アグラブ朝とは? わかりやすく解説

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アグラブ朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/05 17:32 UTC 版)

アグラブ朝
الأغالبة

800年 - 909年
公用語 アラビア語
宗教 イスラム教スンナ派
首都 カイラワーン
アラビア語: القيروان
アミール
800年 - 812年 イブラーヒーム1世
903年 - 909年 ズィヤーダ・アラーフ3世
変遷
成立 800年
滅亡 909年
通貨 ディナール
現在 チュニジア
アルジェリア
リビア
イタリア
マルタ
カイラワーンの大モスク

アグラブ朝(アグラブちょう、Aghalabid Dynasty、アラビア語: الأغالبة‎ 、800年 - 909年)は、アッバース朝支配下で現在のチュニジア地方の支配を認められたアグラブ王国(The Aghalabid kingdom)の王朝。国教はイスラーム教スンナ派。首都はカイラワーン

歴史

建国

創設者はイフリーキヤマグリブ地方東部。いまのチュニジアを中心とする地域)の政局混乱を収拾し、チュニス駐屯軍(ジュンド(アラブ正規軍))の反乱を鎮圧してイフリーキヤに自立政権を樹立したイブラーヒーム・イブン・アグラブ英語版である[1]。アッバース朝の第5代カリフであるハールーン・アッ=ラシードに金貨年4万ディーナールを貢納することでイフリーキヤ総督として認められ、カリフの宗主権を認めながらも独立した地方政権を北アフリカの地に確立した[2]。また、彼はフランク王国カール大帝ライオンなどの当時としては珍獣を贈っている。 初代のイブラーヒーム1世(在位:800年812年)はあくまでアッバース朝より派遣されたアミールを称し、以後その後継者もアミールを踏襲したものの[* 1]、実態は自立して貨幣にはアッバース朝カリフの名を刻まなかった[3]

発展期

アグラブ朝は、第3代のズィヤーダ・アラーフ1世の治世に、827年からシチリア島へ侵攻を開始し[4]ムスリムのシチリア征服イタリア語版英語版827年-902年)、シチリア首長国831年 - 1072年)が成立、ヨーロッパ近海の制海権を掌握して諸島を征服し勢威を誇った。

全盛期

王朝としては第7代のズィヤーダ・アラーフ2世のときに全盛期を迎えた。シチリア島の侵攻は902年にイブラーヒーム2世によってタオルミーナが攻略され征服が完了した[5]。キリスト教徒の信仰は尊重されたが、シチリア島西部ではムスリムの移住が進み、西部の中心都市であるパレルモなどでイスラーム化が進んだ。

アグラブ朝の滅亡

909年にイスマーイール派ファーティマ朝の創始者となったウバイドゥッラー(アブドゥッラー・マフディー  (Ubayd Allah al-Mahdi Billah)の侵攻により、君主のズィヤーダ・アラーフ3世が逃亡して滅亡した[6]

大モスクの再建

世界遺産に登録されているカイラワーン(ケルアン)の大モスク(シディ・ウクバ・モスク)はウマイヤ朝の将軍ウクバによって670年に創建されたものであるが[7]、その再建がアグラブ朝のズィヤーダ・アラーフ1世により836年に開始され、イブラーヒーム2世の代に完成した[8]

首都のカイラワーンはこのモスクにより、メッカマディーナエルサレムに次ぐ「天国への第4の門」と称された[8]

歴代君主

  1. イブラーヒーム1世英語版(在位:800年812年
  2. アブド・アッラーフ1世(在位:812年-817年
  3. ズィヤーダ・アラーフ1世(在位:817年-838年
  4. アル=アグラブム(在位:838年-841年
  5. ムハンマド1世(在位:841年-856年
  6. マフマド(在位:856年-863年
  7. ズィヤーダ・アラーフ2世(在位:863年-864年
  8. ムハンマド2世(在位:864年-875年
  9. イブラーヒーム2世(在位:875年-902年
  10. アブド・アッラーフ2世(在位:902年-903年
  11. ズィヤーダ・アラーフ3世(在位:903年-909年

脚注

注釈

  1. ^ アグラブ朝の歴代の君主はアッバース朝カリフへ毎年貢納金を収め、カリフ名でフトバ(毎週金曜日正午の礼拝に行なわれる説教)を行なった[2]

出典

  1. ^ 私市 (2002)、pp.197-198.
  2. ^ a b 私市 (2002)、p.198
  3. ^ ヒッティ (1983)、p.210
  4. ^ ヒッティ (1983)、p.507
  5. ^ ヒッティ (1983)、p.509
  6. ^ ヒッティ (1983)、pp.212, 530-531.
  7. ^ 私市 (2002)、p.189
  8. ^ a b ヒッティ (1983)、p.211

参考文献

本文の脚注のない部分は以下による。

  • 北原敦 編 『イタリア史』山川出版社〈新版 世界各国史15〉、2008年9月。 ISBN 978-4634414501 
  • ジョン・E・モービー 著、堀田郷弘 訳 『世界歴代王朝王命総覧』東洋書林、1993年11月。 ISBN 4887210396 
  • 『アジア歴史事典』平凡社. 1959年[要ページ番号]

関連項目





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