ユリウス‐れき【ユリウス暦】
ユリウス暦
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ユリウス暦(ユリウスれき、羅: Calendarium Iulianum、伊: Calendario giuliano、英: Julian calendar)は、共和政ローマの最高神祇官・独裁官・執政官ガイウス・ユリウス・カエサルにより紀元前45年1月1日[注釈 1] から実施された、1年を365.25日とする太陽暦である。もともとは共和政ローマおよび帝政ローマの暦であるが、キリスト教の多くの宗派が採用し、西ローマ帝国滅亡後もヨーロッパを中心に広く使用された。
注釈
- ^ 循環論法となってしまうため、参考として他の暦法の期日を示す。同日は中国暦初元3年11月29日、ユダヤ暦3716年4月29日である。計算はhttp://hosi.orgによる。
- ^ イエスの処刑は、ユダヤ教の過越しの日の前日すなわちニサン月14日(ヨハネによる福音書)または過越祭第一日目の同月15日(共観福音書)とある。
- ^ 改暦勅書(Inter gravissimas)6節および7節。"Quo igitur vernum aequinoctium, quod a patribus concilii Niaeni ad XII Kalendas Aprilis fuit constitutum, ad eamdem sedem restituatur..."いかにして(天文学的)春分をニケーア公会議で「固定」された3月21日に近づけるかが問題とされている。
- ^ 改暦勅書原文は1581年(anno Incarnationis dominicae MDLXXXI)と発布日を記す。記事で詳述するように中世以降のユリウス暦の新年は1月1日とは限らなかった。当時のローマ教皇庁自体、3月25日をユリウス暦新年とする暦法を採用していたため、2月24日は前年となる。
- ^ 紀元前45年から紀元前5年までは40年である。したがって、4年に1度の閏年であれば、10回の閏年を入れるべきであった。しかし、誤って閏年を3年に1度置いたので、40÷3 = 13回の閏年を入れてしまった。そのため、13 - 10 = 3回分の閏年を省けばよいことになる。
- ^ 「ゲルマニクス」はカリギュラの本名の最後の部分の名前であり、かつ自分の父(ゲルマニクス)の最初の部分の名前でもある。
- ^ ユリウス=クラウディウス朝の5人の皇帝のうち、自分の人名を月の名前に付けようとしなかったのはティベリウスだけである。
- ^ 詳細な証拠については、en:Julian calendarを参照
- ^ なお、イードゥースのほかにもノーナエという特別な名で呼ばれた日付があり、これを使っても月の日数を推定できる。
- ^ en:Julian calendarによれば、紀元前12年より前、祭事の日付による逆算ですでに2月の日数が28日であった証拠があるという。
- ^ 日本標準時(JST)では同日の午前9時
- ^ a b c d e この期間は「ユリウス暦とグレゴリオ暦との差は○日」と一概には言えない。例えば、ユリウス暦1700年2月19日はグレゴリオ暦では1700年3月1日だが、1700年2月19日と1700年3月1日との差は、ユリウス暦では11日だが、グレゴリオ暦では10日である。
出典
- ^ 改暦勅書の第9節
- ^ “july | Search Online Etymology Dictionary”. www.etymonline.com. 2019年12月7日閲覧。
- ^ “august | Origin and meaning of august by Online Etymology Dictionary” (英語). www.etymonline.com. 2019年12月7日閲覧。
- ^ John J. Bond, "Commencement of the Year", Handy-book of rules and tables for verifying dates with the Christian era, (London: 1875), 91–101.
- ^ Mike Spathaky Old Style and New Style Dates and the change to the Gregorian Calendar: A summary for genealogists
- ^ The source has Germany, whose current area during the sixteenth century was a major part of the Holy Roman Empire, a religiously divided confederation. The source is unclear as to whether all or only parts of the country made the change. In general, Roman Catholic countries made the change a few decades before Protestant countries did.
- ^ Sweden's conversion is complicated and took much of the first half of the 18th century. See Swedish calendar.
- ^ Per decree of 16 June 1575. Hermann Grotefend, "Osteranfang" (Easter beginning), Zeitrechnung de Deutschen Mittelalters und der Neuzeit (Chronology of the German Middle Ages and modern times) (1891–1898)
- ^ 1751 in England only lasted from 25 March to 31 December. The following dates 1 January to 24 March which would have concluded 1751 became part of 1752 when the beginning of the numbered year was changed from 25 March to 1 January.
- ^ "The Blackwell Dictionary of Eastern Christianity" Wiley-Blackwell; New edition (2001/12/5), p353, ISBN 9780631232032
- ^ a b 質問: クリスマスは12月25日?ロシアでは1月7日に祝うと聞いたのですが
- ^ a b Revised Julian Calendar - OrthodoxWiki
ユリウス暦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 15:24 UTC 版)
グレゴリオ暦へ改暦する以前にラテン(カトリック)教会が使用していた標準的な「計算上の」満月の算出手段は、ユリウス暦と並行した未修正のメトン19年周期であった。上記で述べられたエパクトで、*(数値0)から開始してまったく修正されない単純なエパクト表を有効的に利用していた。エパクトは教会が認める最も早い復活祭日、3月22日のものを計算していた。単純に19年繰り返すだけなので、3月21日以降の満月の日は19通りしかなかった。 19年周期の年には黄金数という通し番号がついている。黄金数という言葉は、1200年アレキサンダー・ヴィラ・デイによる復活祭計算の詩『マッサ・コンポティ』で最初に使われた。後の著述家が988年にフリュリのアッボ(英語版)が作成した表に黄金数という言葉を付け加えたのが下のメトン19年周期表である。 ユリウス暦でのメトン19年周期黄金数1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 復活祭の満月5A 25M 13A 2A 22M 10A 30M 18A 7A 27M 15A 4A 24M 12A 1A 21M 9A 29M 17A 満月の日付のMは3月、Aは4月。 それぞれの年の満月の日の次にくる日曜が復活祭日とされた。 1つの満月につき1週間の曜日、つまり7通りの復活祭日があったわけだ。しかし日曜記号は7年ごとに繰り返さない。4年に1度の閏年があるため、曜日がまったく同じ順番で繰り返すのは、閏年を含む4年×7曜日=28年、いわゆる太陽暦周期である。復活祭日も、4年×7曜日×メトン周期19年=532年ごとに繰り返すものだった。これは復活祭周期、あるいはこの表を西暦457年にローマに持ち込んだアキテーヌのビクトリウス にちなんでビクトリウス周期と呼ばれた。5世紀初頭にアレクサンドリアのアニアヌス(英語版)が利用したのが最初だと言われている。誤って西暦532年に復活祭日表を発表したディオニュシウス・エクシグウスにちなんでディオニュシウス周期と呼ばれることがある。しかしディオニュシウスは95年周期表の不正確さを知っていたが、自分の編み出したアレクサンドリア計算法式が532年周期だとは気づいていなかった。初めて太陽暦周期に気づき、メトン周期と太陽暦周期の観点から復活祭周期を導きだしたのは、7世紀の尊者ベーダだといわれている。
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ユリウス暦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 04:48 UTC 版)
ユリウス暦は、紀元前46年に古代ローマで採用され、4年に1回を閏年としていた。但し、導入直後は混乱が見られ、3年に1回を閏年としたり、暫く閏年を置かない期間があった(詳細はユリウス暦を参照)。 ユリウス暦では、閏年には2月の日数を1日増やして29日とする。閏日を2月に挿入したのは、ローマ暦の初期にはMartius(後の3月)が年初でFebruarius(後の2月)が年末だったからである。厳密には共和政初期にIanuarius(後の1月)を年初とするように変更されたが、まだ古い慣習が残っていた。 ユリウス暦の置閏法では1暦年は平均365.25日となり、約128年に1日の割合で暦と季節がずれるが、これでも閏年を置かない場合に比べれば大きな進歩であった。しかし、1500年以上に亘って使われていくうちに、次第に暦と天文学上の現象がずれてきた。ローマ・カトリック教会では325年のニカイア公会議で春分を3月21日と定めてそれを基に復活祭の日付を決めることにしたが、日数が多いが故に、16世紀には天文学上の春分が暦の上では3月11日となってしまい、問題視されるようになった。
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