暦法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/17 14:34 UTC 版)
暦法(れきほう)とは、毎年の暦を作成するための方法を指す。暦は、天体の運行に基づいて確立される。主として太陽と月が用いられ、月の運行に基づいた暦を太陰暦、月と太陽の運行に基づいた暦を太陰太陽暦、太陽の運行に基づいた暦を太陽暦という。
注釈
- ^ ヒジュラ暦においては、各月の初日を「朔」ではなく「三日月状の細い月が最初に見える日」とする[6]。
- ^ 国際固定暦などの13の月の暦や、ハンキ=ヘンリー・パーマネント・カレンダーなどの週重視型の暦法に関係する。
- ^ 西暦(ユリウス暦、グレゴリオ暦、修正ユリウス暦)等のように調整なしに平年の日数が365日となるものから、中正暦のように5日分の付加日を以て平年の日数を365日としているものまで様々である。
- ^ 平年が365日となるものについて、閏日を挿入する方法を採用している暦法が当てはまる。
- ^ 平年が364日となるものについて、閏週を挿入する方法を採用している暦法が当てはまる。
- ^ イスラーム(イスラム教)においては、次のように説明される。まず、クルアーン(コーラン)の第9章36節抜粋『本当にアッラーの御許で、(1年の)月数は、12ヶ月である。』[11]を以て、「平年の月数が12暦月である」ということが定められた。次いで、同37節抜粋『本当に(聖月を)延ばすことは、不信心を増長させ、それで不信者は誤って導かれている。ある年は(聖月を)普通の月とし、(他の年は)聖月とする。』[11]を以て、「閏月の恣意的なタイミングでの挿入によって、聖月を早めたり遅らせたりすること」が禁じられた。すなわち、実質的に「閏年においても、月数を12暦月とすること」が定められた。このようにして、ムスリム(イスラム教徒)は、それらの条件を満たしている純太陰暦として、ヒジュラ暦(イスラム暦)を用いるようになった。以上がその説明である。
- ^ 太陽暦は、太陽年(季節の循環に関わる周期)を基準にしているに過ぎず、複数の月(朔望月に由来)で区切ろうとしても、各月の日数についての基準が存在しない(朔望月はもはや基準として扱われていない)ために、太陽暦全般について一概に「1年にいくつの月が存在する」とは言えない。極端な例を挙げると、バハーイー暦では1年が19の月で構成される。また、ISO 8601の一部規定など、場合によっては月が存在しないことさえあり得る。
- ^ 4年に1度しか用いられない閏年の暦でも28年に1度(ただし、グレゴリオ暦の特例で閏年が置かれない場合を除く)に全く同じパターンの暦が用いられることになる。
出典
- ^ a b c d "太陰暦". 百科事典マイペディア. コトバンクより2021年8月17日閲覧。
- ^ a b "ヒジュラ暦". 百科事典マイペディア. コトバンクより2021年8月17日閲覧。
- ^ a b c d "太陰太陽暦". 日本大百科全書(ニッポニカ). コトバンクより2021年8月17日閲覧。
- ^ "太陽暦". 百科事典マイペディア. コトバンクより2021年8月17日閲覧。
- ^ "朔望月". 日本大百科全書(ニッポニカ). コトバンクより2021年8月17日閲覧。
- ^ “暦Wiki/イスラム暦 - 国立天文台暦計算室”. 2021年8月17日閲覧。
- ^ “日本の美しい「季節の変化」を英語で読んでみる | 実践!伝わる英語トレーニング | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース”. 2021年8月17日閲覧。
- ^ "太陽暦". 世界大百科事典 第2版. コトバンクより2021年8月17日閲覧。
- ^ a b c "イスラム暦". 精選版 日本国語大辞典. コトバンクより2021年8月17日閲覧。
- ^ a b c d "太陰太陽暦". ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. コトバンクより2021年8月17日閲覧。
- ^ a b “第9章悔悟章 34-92”. 2021年8月17日閲覧。
- ^ 湯浅吉美『暦と天文の古代中世史』(吉川弘文館、2009、ISBN 978-4-642-02474-7) P179・192-193
暦法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 02:57 UTC 版)
一定の法則によって時間を区切り年月日を数え(暦法)、それによって構築されたカレンダー(暦表)、またその方法論を暦という。『日本書紀』が紀年・暦日を有し、時間を明示していることは即ち、ある暦法によって計算された年次・日が記された資料に基づいて書かれたか、あるいは編纂時に暦の計算が行われたことを意味する。暦法は天体運動を基準に作成されるのが基本であり、太陽暦、太陰太陽暦、太陰暦の3種に大別されるが(詳細は暦を参照)、『日本書紀』の暦法は中国に起源を持つ太陰太陽暦に依っている。 『日本書紀』には約900個の月朔(その月の1日の干支)が記載されている。これもまた十干と十二支の組み合わせによって表現される。例えば、『日本書紀』2番目の暦日である神武天皇が東征に出発した日は「太歳甲寅」の年の「冬十月丁巳朔辛酉」の日であり、即位の日は「辛酉」の年の「春正月庚辰朔」と表記される。 この六十干支による日付表記は、実際の天体運動が完全な等速運動でないことや、基準になる月や太陽の運動周期が厳密には整数でないこと、地球の自転・公転周期と同期しないことから様々な調整を要する。具体的には、朔望月(月の満ち欠け)の周期が約29.53日であることから、一か月の日数を30日とする大の月と29日とする小の月を設定し、月の周期と暦を同期させる調整が必要になる。さらに、朔望月による12か月(約354.36日)と地球の公転周期(約365.24日)が同期しないため、適時13カ月目(閏月)を挿入する年を作る必要がある(詳細は閏月を参照)。この調整の仕方、暦法によって、同じ日の干支や閏月が異なる場合がある。 日本では江戸時代以来、『日本書紀』が用いている暦法を復元する試みが行われており、初期の頃は日本独自の暦、あるいは百済の暦などの説が出されていたが、20世紀半ばに東京天文台(現:国立天文台)の職員・天文学者であった小川清彦によって中国からもたらされた元嘉暦と儀鳳暦(麟徳暦)が使用されていることが明らかにされた。 即ち、『日本書紀』は神武天皇の時代から儀鳳暦によって暦日を記述しており、5世紀以降は元嘉暦に切り替わっている。しかし、儀鳳暦は7世紀に唐で作られた新しい暦であり、日本にもたらされたのは持統天皇代であるのに対し、元嘉暦は5世紀に作られた古い暦であり、時代の新旧が逆転している。このことから、『日本書紀』の暦日は古い時代、5世紀前半以前の時代のものは『日本書紀』編纂時に最新の暦であった儀鳳暦を使って推算したものであることが明らかとなっている。
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