新バビロニア
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新バビロニア(しんバビロニア、紀元前625年 - 紀元前539年)は、ナボポラッサルによりメソポタミア南部のバビロニアを中心に建国され、アケメネス朝ペルシアのキュロス2世によって征服されるまで、地中海沿岸地域に至る広大な領土を支配した帝国である。首都はバビロン。以前はカルデア王国とも呼ばれたが、現在の研究によればナボポラッサルはカルデア人ではなく、この呼称は正しいとはいえない。
- 1 新バビロニアとは
- 2 新バビロニアの概要
- 3 歴史
- 4 統治体制
- 5 新バビロニアの王
- 6 参考文献
新バビロニア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 11:02 UTC 版)
詳細は「新バビロニア」を参照 紀元前800年代以降、バビロン周辺ではセム語派のカルデア人が勢力を増した。紀元前626年、カルデアの王ナボポラッサルは、アッシリア帝国からバビロニア地方を奪取し、新バビロニア(カルデア王国)を建国した。さらにナボポラッサルは、現イラン北西部を中心とするメディア王国と同盟を結び、紀元前612年にアッシリアの首都ニネヴェを陥落させ、アッシリア帝国を滅ぼした。これによりオリエントは、新バビロニア、メディア、エジプト、アナトリア半島のリディアの四大国時代になった。 新バビロニアの王の中ではネブカドネザル2世(紀元前604年-紀元前562年)が有名である。紀元前586年、ネブカドネザル2世はユダ王国を征服し、15,000人とも言われる捕虜をバビロニアに連れ去った(バビロン捕囚)。また伝説によると、ネブカドネザル2世は、世界の7不思議の一つ、バビロンの空中庭園を建造した。
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新バビロニア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 04:42 UTC 版)
新バビロニアは第2代ネブカドネザル2世の次代に最盛期を迎えた。ネブカドネザル2世は首都バビロンの再建を積極的に行う一方、シリアやパレスチナ方面へと進出し、紀元前597年にはユダヤ人のユダ王国(南王国)の首都エルサレムを占領して、同国の王族は捕えられてバビロンに送られる。「バビロン捕囚」である。紀元前586年にはユダ王国が再び反乱を起こしたが再度バビロニアに鎮圧され、残る人々も捕囚の身となって新バビロニアのニップル付近に強制移住させられた。
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