バビロンの空中庭園
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バビロンの空中庭園(バビロンのくうちゅうていえん、Hanging Gardens of Babylon)は、古代ギリシアの数学者・フィロンが選んだ「世界の七不思議」の建造物の一つの伝承上の屋上庭園。バビロンの吊り庭園(バビロンのつりていえん)ともいう[1]。
- ^ “ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説”. コトバンク. 2018年2月9日閲覧。
- ^ Foster, Karen Polinger (2004). “The Hanging Gardens of Nineveh”. Iraq 66: 207–220. doi:10.2307/4200575. ISSN 0021-0889. JSTOR 4200575.
- ^ a b c Finkel, Irving (1988). "The Hanging Gardens of Babylon". In Clayton, Peter; Price, Martin. The Seven Wonders of the Ancient World. New York: Routledge. p. 41 ff. ISBN 0-415-05036-7.
(『古代世界の七不思議』(著:ピーター・A・クレイトン(イギリスの考古学者)、マーティン・プライス(貨幣研究家)、ラウトレッジ出版(ニューヨーク支社)、1988年)のに収録されている『バビロンの空中庭園』(アーヴィング・フィンケル(イギリスの言語学者・アッシリア学者))p.41より) - ^ Finkel (1988) p. 58.
(前出『バビロンの空中庭園』(アーヴィング・フィンケル)p.58) - ^ Finkel, Irving; Seymour, Michael (2008). Babylon: City of Wonders. London: British Museum Press. p. 52. ISBN 0-7141-1171-6.
(『バビロン 驚異の都市』(著:アーヴィング・フィンケル、マイケル・シーモア、大英博物館出版(英国)、2008年)p.52より) - ^ Finkel 2008
(前出『バビロン 驚異の都市』(アーヴィング・フィンケル他)による) - ^ The Hanging Gardens of Babylon". Retrieved 5 February 2014.(前出『バビロンの空中庭園』(アーヴィング・フィンケル)による)
- ^ Dalley, Stephanie (2013). The Mystery of the Hanging Garden of Babylon: an elusive World Wonder traced. Oxford University Press. ISBN 978-0-19-966226-5.
(『バビロンの空中庭園の謎:“世界の不思議”の謎を追う』(ステファニー・ダリー(イギリスの古代中近東学者)、オックスフォード大学出版 2013年)) - ^ a b Stephanie Dalley (1993). "Ancient Mesopotamian Gardens and the Identification of the Hanging Gardens of Babylon Resolved". Garden History. 21: 7. JSTOR 1587050.(季刊誌『庭園史』21号(1993年)第1部に収録されている、『古代メソポタミアの庭園を手がかりに、バビロンの空中庭園の位置を探る』(著:ステファニー・ダリー)より)
- ^ アーヴィング・フィンケル、2008年 p.108より。英語版の記事からこの脚注を引用したが、引用文献が『バビロン 驚異の都市』(前出)なのか、『バビロン』(著:アーヴィング・フィンケル、マイケル・シーモア、オックスフォード出版、2008年)なのか判然としない。
- ^ Joseph. contr. Appion. lib. 1. c. 19.—Syncel. Chron. 220.—Euseb. Præp. Evan. lib. 9
(フラウィウス・ヨセフス『アピオーンへの反論』第1巻第19章、ジョージ・シンセラス(George Syncellus)「年代記 220」(? 何を指すのか判然としない)、エウセビオス『福音の備え』第9巻など) - ^ Diodorus Siculus, "Bibliotheca historica" II.10-1-10
シケリアのディオドロス『歴史叢書』第2巻10-1-10 - ^ Quintus Curtius Rufus, "History of Alexander" V.1.35-5
クイントス・クルティウス・ルフス 『アレクサンダー大王の歴史』第5巻第1章35-5 - ^ Strabo, Geography XVI.1.5, translation adapted from H.L. Jones, Loeb Classical Library edn (1961).
(ストラボン『地理書』第16巻1.5(訳:ホレイス・レオナルド・ジョーンズ、ハーバード大学出版(米国)のローブ・クラシカルライブラリー、1961年版)による) - ^ i.e. not by Philo the Engineer of Byzantium, but perhaps Philo the Paradoxographer of Byzantium; Stephanie Dalley, "More about the Hanging Gardens," in Of Pots and Pans: Papers on the Archaeology and History of Mesopotamia and Syria as presented to David Oates on his 75th Birthday, Edited by L. al-Gailani-Werr, J.E. Curtis, H. Martin, A. McMahon, J. Oates and J.E. Reade, (London), pp. 67–73 ISBN 1-897750-62-5.
(すなわちビザンチウムのフィロン(発明家)ではなく、おそらくビザンチウムのフィロン(超常現象文学者)の方であろう。『鍋とかま : デービッド・オーツの75歳の誕生日を記念して、メソポタミアとシリアの考古学と歴史について書く』(編:ラミア・アル・ガイラニ・ウェア、ジョン・エドワード・カーティス、ハリー・マーティン、A・マクマホンほか、ロンドン、2002年)p67-73に収録されている「空中庭園について さらに語る」(著:ステファニー・ダリー)による) - ^ アーヴィング・フィンケル、2008年 p.109より。英語版の記事からこの脚注を引用したが、引用文献が『バビロン 驚異の都市』(前出)なのか、『バビロン』(著:アーヴィング・フィンケル、マイケル・シーモア、オックスフォード出版、2008年)なのか判然としない
- ^ 前出『バビロンの空中庭園の謎:“世界の不思議”の謎を追う』(ステファニー・ダリー、2013年)による。
- ^ Priestley, Jessica (2014). Herodotus and Hellenistic culture: Literary Studies in the Reception of the Histories. Oxford: Oxford University Press. p. 91.
(『ヘロドトスとヘレニズム文化 : 「歴史」は当時、どのように受け止められたか』(ジェシカ・プレストリー、オックスフォード大学出版、2014年)p.91より) - ^ Joan Oates, Babylon, Revised Edition, Thames and Hudson, London (1986) p. 144 ISBN 0500273847.
(『バビロン』(改訂版)(ジョアン・オーツ(ケンブリッジ大学の考古学者)、テームズ・アンド・ハドソン出版(英国)、1986年)p.144より) - ^ Rollinger, Robert "Berossos and the Monuments", ed. J Haubold et al, The World of Berossos, Wiesbaden (2013), p151
(『ベロッソスの世界』(ヨハネス・ハボルド 他、ハラソヴィッツ出版(ドイツ)、2013年)に収録されている『ベロッソスと遺跡』(ロバート・ローリンジャー)p.151より) - ^ Alberge, Dalya (5 May 2013). "Babylon's hanging garden: ancient scripts give clue to missing wonder". The Guardian. Retrieved 6 May 2013.
『バビロンの空中庭園 : 古代の文章を手がかりに、失われた謎を追う』(ダルヤ・アルベルギ、ガーディアン紙(英国)、2013年閲覧) - ^ 前出『バビロンの空中庭園の謎:“世界の不思議”の謎を追う』(ステファニー・ダリー、2013年)による
- ^ AR George, Babylonian Topographical Texts, (1992)
『バビロニアの地誌文書』(アンドリュー・R・ジョージ(ロンドン大学の考古学者)、ピーターズ出版(ベルギー)、1992年)より - ^ see for example Cuneiform Texts in the British Museum, Vol 19, page 25, line 25
例えば、『大英博物館における楔形文字文書』(大英博物館)第19巻25ページ25行目など。 - ^ Pongratz-Leisten, Ina Sulmi Erub (1994)
(翻訳可能な方の作業をお待ちします) - ^ See Dalley (2013) ch 1 for a summary.
前出『バビロンの空中庭園の謎:“世界の不思議”の謎を追う』(ステファニー・ダリー、2013年)第1章の要約を参照。 - ^ Especially: the Iraq Museum prism dated 694 BC published by A Heidel, The Octagonal Sennacherib Prism in the Iraq Museum, Sumer 9 (1953); and the British Museum prism BM103000 of the same date
特に、紀元前694年のものとされるイラク博物館所蔵の石柱が参考になる。書籍としては『イラク博物館のセンナケリブの八角柱』(アレクサンダー・ハイダル、1953年)(シュメール 9)を参照。他に、大英博物館が所蔵している、同年代の石柱(番号 BM103000)など。 - ^ T Jacobsen and S Lloyd, Sennacherib's Aqueduct at Jerwan (1935); Reade, Studies in Assyrian Geography, Revue d'Assyriologie 72 (1978); Channel 4 TV programme Secret History: Finding Babylon's Hanging Garden, 24th November 2013
『ジャーワンの遺構 センナケリブの水道橋』(共著:トーキル・ヤコブセン(ハーバード大学の考古学者)、シートン・ロイド(ロンドン大学の考古学者)、1935年)/『アッシリア地誌学』(アッシリア学レビュー誌第72巻)(著 ジュリアン・リード(コペンハーゲン大学の考古学者)、1978年)/『歴史の謎:バビロンの空中庭園を探す』(チャンネル4(英国)、2013年11月24日放送。ステファニー・ダリー) - ^ AH Layard, Discoveries in the Ruins of Nineveh and Babylon, (1853)
『ニネヴェとバビロンの遺構における発見』(オースティン・ヘンリー・レイヤード、1853年) - ^ 前出『バビロンの空中庭園の謎:“世界の不思議”の謎を追う』(ステファニー・ダリー、2013年)p.62-63
- ^ R Lane Fox, Alexander the Great (1973)
『アレクサンダー大王』(ロビン・レーン・フォックス(英国の歴史学者)、1973年) - ^ Stephanie Dalley (2013). The Mystery of the Hanging Garden of Babylon: An Elusive World Wonder Traced. Oxford University Press. p. 65–82. ISBN 978-0-19-966226-5.
前出『バビロンの空中庭園の謎:“世界の不思議”の謎を追う』(ステファニー・ダリー、2013年)p.65-82 - ^ 壁画識別番号 BM124939
- ^ Original Drawing IV 77
スケッチ番号 IV 77 - ^ 前出 『ニネヴェとバビロンの遺構における発見』(オースティン・ヘンリー・レイヤード、1853年)
- ^ 前出 『ジャーワンの遺構 センナケリブの水道橋』(トーキル・ヤコブセンほか、1935年)
- 1 バビロンの空中庭園とは
- 2 バビロンの空中庭園の概要
- 3 学問と論争
- 4 ニネヴェの空中庭園
- 5 関連作品
バビロンの空中庭園
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古代の世界の七不思議の一つと考えられているバビロンの空中庭園が本当にあったのか、物議を醸している。 起源1世紀ごろシケリアのディオドロスがこの庭について書いている:「城の隣には、4つの広場に対して、いわゆる吊り庭(...)が横にあり、山のように上昇し、一方の階が他の階に上がり、劇場のような光景を提供しました。立ち上がるテラスの中には、庭のすべての重さを負担しなければならなかった壁の列があり、全体が上昇するにつれて、常に前のほう(...)の上に少し目立っていたので十分な深さで、その巨大な木々を運びました。根を張る必要がありますしその上、土は平らにならしてから植えられた。その大きさと他の植物の愛らしさの両方によって、来客者の感覚を楽しませていた。」
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バビロンの空中庭園
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「ステファニー・ダリー」の記事における「バビロンの空中庭園」の解説
広範囲にわたり考古学発掘調査が実施されたにもかかわらず、古代世界の七不思議の一つであるバビロンの空中庭園はまだ見つかっていない。ダリーは18年間の文書研究に基づき、次のように提案している。庭園は、ネブカドネザル治世下のバビロンに建設されたのではなく、2700年前、アッシリア王センナケリブによって、その首都ニネヴェに建設されたのだと。彼女はバビロニアとアッシリアの楔形文字を解読し、後世のギリシア・ローマの文書を再翻訳した上で、紀元前7世紀の重要な碑文が、誤って翻訳されたことを明らかにした。ネブカドネザルの碑文のどれ1つとして庭園に言及しない一方、ダリーはセンナケリブによる文書を発見した。その文書には、センナケリブが建てた宮殿と、宮殿に隣接し、彼が「全ての人々にとって素晴らしいもの」と呼ぶ庭園のことが記されていた。アルキメデスよりもはるか前のこの時代に、新しい青銅鋳造方法を用いてウォーター・スクリューが作られたことについても、これらの文書に記述されている。80kmの彼方から水を運ぶために、運河や水路が広範囲に引かれ、この水路から一日中、ウォータースクリューにより水が上部へ運ばれ続けた。ニネヴェで出土し、現在は大英博物館に収められている浅浮き彫りには、高所にあるテラスの上に並ぶ宮殿と樹木が描かれている。ダリーは、これらについても自分の説を補強する論拠とした。彼女の研究は、後のギリシア人の著述家たちの記述を立証している。それによれば、実際には、池の周りに円形劇場のようにテラスを築き上げて庭園が造られた。彼女は『バビロンの空中庭園の謎:“世界の不思議”の謎を追う』という著書の中でこれらの結論をまとめ、2013年に出版した。
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