バビロンの独立と拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 06:37 UTC 版)
「イシン・ラルサ時代」の記事における「バビロンの独立と拡大」の解説
紀元前1894年頃、メソポタミア中部の都市バビロンでやはりアムル人の王スムアブムが独立勢力を築くことに成功した。これをバビロン第1王朝と呼ぶ。この時期のバビロンは地方の一都市に過ぎなかったが、スムアブムとその後継者たちは城壁の建造を始め各種の建築事業を通じて、この都市を首都に相応しく造り変えていった。 バビロンの周辺では他にもキシュ、カザル、マラド、シッパルなどでアムル系の王朝が成立していたが、バビロンはこれらとの戦いに勝利し中部メソポタミアに勢力を伸ばした。スムアブム治世下においてカザルは破壊され、次の王スム・ラ・エルの治世までにはシッパルも征服し、キシュと争った。サビウムの治世には南方のラルサとも戦って勝利を収めた。しかし紀元前18世紀に入ると、イシン王朝を圧迫して南で勢力を拡大するラルサと再び戦い、これに敗れたバビロンの拡大は頓挫した。 当時のバビロン王シン・ムバリットはラルサに対抗するために、既に弱小国となっていたイシンやウルクと同盟を結んだが、ラルサの英主リム・シン1世はこの同盟軍を破り、紀元前1802年頃にはウルクが、紀元前1794年にはイシン第1王朝がラルサに併合されて滅亡し、バビロンも国境を大きく後退させた。シン・ムバリトの後ハンムラビがバビロンの王となった。
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