イシン
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イシン(シュメール語: I3-si-inki[1], Isin)は、紀元前20世紀に繁栄したメソポタミア南部の都市である。シュメール時代のイシン王については知られておらず、「イシン王朝」といえば、ウル第三王朝の衰退に乗じて独立を果たした南部メソポタミアのアムル人国家「イシン第1王朝」のことを指す。都市神はグラ(Gula。Nintinugga, ニンイシンナとも)。
- ^ ETCSL. Sumerian King List. Accessed 19 Dec 2010.
- 1 イシンとは
- 2 イシンの概要
イシン第1王朝
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イシン市が歴史に名を現したのはウル第三王朝の末期頃からであり、同王朝の将軍であったアムル人イシュビ・エッラが紀元前2017年頃にイシン市を拠点に独立(イシン第1王朝)したのを契機に、メソポタミア政治史に大きく登場することとなった。これ以後、バビロン第1王朝の王ハンムラビがメソポタミアを統一するまでの時代をイシン・ラルサ時代と言う。 イシン王たちはシュメールの後継者をもって任じ、紀元前20世紀前半、南部メソポタミア最大の国家として栄えたが、第5代リピト・イシュタルの治世にラルサが独立し、以後ラルサとバビロンに圧迫されて弱体化した。この時代に発布されたリピト・イシュタル法典は、ハンムラビ法典やウル・ナンム法典と並び、人類最古の法律文書として名高い。 イシン第1王朝はその後、ラルサ王朝によって滅ぼされたが、間もなくハンムラビ率いるバビロンによって制圧され、以後バビロニアの重要都市の一つとして存続した。カッシート朝(バビロン第3王朝)時代にも、この都市が地方の中心地であったと考えられる。
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