イシンとラルサの抗争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 06:37 UTC 版)
「イシン・ラルサ時代」の記事における「イシンとラルサの抗争」の解説
拡大を続けたイシン第1王朝であったが、紀元前1944年頃、ラルサ市でアムル人ザバイアが支配権を握り、その次のラルサ王グングヌムの治世になるとラルサ王朝は急激に勢力を拡大した。グングヌムはイシン王リピト・イシュタルと南部メソポタミアの覇権を巡って激しく争った。特にその初期の戦いで焦点となったのはウル市の争奪戦である。ウルは旧ウル第三王朝の都であり、「ウル第三王朝の後継者」という立場を取る両王朝にとっては大義名分を支える政治的意味合いが強かった上に、ペルシア湾を通じた交易の拠点でもあり、戦乱で損傷していたとはいえその支配権は重大問題であった。 この戦いはラルサの勝利に終わり、イシンはペルシア湾への出口を失った。続いてシュメールの最高神であり、王権を授けるとされたエンリルの神殿があった宗教都市ニップルを巡ってまたも両王朝が争ったが、ここでもラルサが勝利し、イシン第1王朝の覇権の芽は潰えた。
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