ウルク_(メソポタミア)とは? わかりやすく解説

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ウルク (メソポタミア)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/20 16:21 UTC 版)

ウルクUruk)は、メソポタミアにかつて存在した古代都市。前5千年紀には人の居住が始まっていた。前3500年頃(または前4000年頃[1])から前3100年頃まで、ウルクはこの地域における中心的な役割を果たし、この時代はウルクの名を取ってウルク期と呼ばれる。セレウコス朝時代(前3世紀-前1世紀頃)もなお多数の人が住んでいたようであるが、その後は徐々に衰退した。


  1. ^ a b c d e 古泉 2001, pp. 234-235の年表より
  2. ^ a b c The Archaeology of Mesopotamia: Ceremonial centers, urbanization and state formation in Southern Mesopotamia, Harmansah, Ömür, 2007
    (「メソポタミアの考古学:南部メソポタミアにおける儀式の中心、都市化と国家の成立」、オマー・ハーマンサー、2007年)
  3. ^ 日本オリエント学会古代オリエント事典 2004, pp. 365-367, 「ウルク」の項目より
  4. ^ "Travels and researches in Chaldaea and Susiana: with an account of excavations at Warka, the "Erech" of Nimrod, and Shush, "Shushan the Palace" of Esther, in 1849-52",William Kennett Loftus,1857, Robert Carter & Brothers
    (『カルデアとスシアナでの旅行・調査 - ワルカ(ニムロドのエレク)及びシューシュ(エステルのシューシャン宮殿)の発掘報告(1849~1853年)』(ウィリアム・ケネット・ロフタス、ロバート・カーター・アンド・ブラザーズ出版、1857年)
    「彼の国は最初シナルの地にあるバベル、エレク、アカデ、カルネであった」とあるように、クシの子ニムロドによって創建された他の都市の起源となる原初の都市のうち4つが「創世記」第10章に登場している。...ニムロドの第二の都市エレクに対応すると思われる遺跡が存在するか見てみよう。バビロンの南東約120マイルのあたりにいくつかの巨大な遺丘がある。この遺丘はそれらの名前と重要性から、この主張を正当化するものとして真っ先にあげられる。その名ワルカ(Warka)は何ら不必要な歪みもなくエレク(Ereck)から派生している。元のヘブライ語の「Erk」または「Ark」から、アレフ(aleph)をヴァウ(vau)に変えるか、ヘブライ語名をアラビア語に変換する際の慣例となっているように単に音便のためにヴァウを接頭辞として付加するかのいずれかによってWarkaを導き出せる。古代の名前から現代の派生形を導き出せる場合、これは(遺跡を同定するための)その他の特質よりも信頼に値する。...ヘンリー・ローリンソン卿はワルカはエレクであるという彼の考えを述べているが、これは同時代の証拠によって裏付けられている...[脚注:「the Twenty-ninth Annual Report of the Royal Asiatic Society, 1852」(王立アジア協会第29回(1852年)年次報告)の16ページや、「Proceedings of the Royal Geogr. Society」(王立地理学会議事録)第1巻47ページを参照のこと。]
  5. ^ Warwick Ball英語版, 2001, Rome in the East: the transformation of an empire(『東方におけるローマ:帝国の変容』), p. 89を参照。ボールはさらに、エレクをエデッサ(Orhai オルハイ)と結びつける初期の考えは、前6世紀の新バビロニアの王ナボニドゥスの治世にウルクがより北方の地に「移転」されたことによって生じた可能性があると推測している
  6. ^ a b Online Etymology Dictionary(オンライン語源辞典)”. Etymonline.com (1979年12月10日). 2009年3月23日閲覧。
  7. ^ 地名のアル=イラーク(al-ʿIrāq)はアラビア語形であるが、それは中世ペルシア語エラークerāq、低地)に由来している。Wilhelm Eilers (1983), "Iran and Mesopotamia" in Ehsan Yarshater, The Cambridge History of Iran, vol. 3, Cambridge: Cambridge University Press.(『ケンブリッジ イランの歴史』(編:エーサーン・ヤーシャーター、1983年、ケンブリッジ大学出版)第3巻第4部に収録されている『イランとメソポタミア』(ウィルヘルム・アイラース))
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    (『4000年の都市成長:歴史センサス』(著:ターシャス・チャンドラー、セント・デーヴィッド大学出版、1987年))
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  25. ^ “Tablet MSVO 3,12 /BM 140855 : description on CDLI."
    (MSVO = Materialien zu den frühen Schriftzeugnissen des Vorderen Orients, BM = British Museum, CDLI = The Cuneiform Digital Library Initiative)
    (粘土板 番号 MSVO(初期中東文書に係る史料)3, 12/BM(大英博物館)140855:楔形文字デジタルライブラリー計画にて公開)
  26. ^ ローフ 1994, p. 62
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  36. ^ 岡田・小林 2008, pp. 226
  37. ^ ギルガメシュは古代オリエントにおいて最も著名な英雄であり、その名はアッカド語形のギルガメシュで現代でも人口に膾炙しているが、シュメール語では元来ビルガメシュと呼ばれていた[34]。しばしば実在の王である可能性が取りざたされるが[35]、元々は冥界の神であったとも言われる[36]
  38. ^ 岡田・小林 2008, pp. 199-222
  39. ^ 前川 1998, p. 170
  40. ^ 前田ら 2000, p. 22
  41. ^ a b c 渡辺 2003, p. 139
  42. ^ a b 前田ら 2000, p. 25
  43. ^ 前川 1998, p. 181
  44. ^ 前川 1998, p. 182
  45. ^ 前田 2017, p. 115
  46. ^ a b c 前田 2017, p. 119
  47. ^ 前田 2017, p. 120
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  50. ^ a b c Baker, 2009
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  52. ^ a b 大戸 1993, pp. 326-329
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  54. ^ Robartus Johannes van der Spek, “The Latest on Seleucid Empire Building in the East.” Journal of the American Oriental Society 138.2 (2018): 385–94.
    (『東方におけるセレウコス朝の建設について最新情報』(著:ロバルタス・ヨハネス・ファン・デル・スペック。アメリカ東洋学会誌第138号第2巻(2018年)、385~394ページに収録))
  55. ^ a b Robartus Johannes van der Spek, “Feeding Hellenistic Seleucia on the Tigris and Babylon.” In Feeding the Ancient Greek City, edited by Richard Alston & Onno van Nijf, 36. Leuven ; Dudley, MA: Peeters Publishers, 2008.
    (『古代ギリシア都市への食料供給』(編:リチャード・アルストン、オンノ・ヴァン・ナイジフ、ピーターズ出版(ベルギー国ルーベン)、2008年)36ページに収録されている、『ヘレニズム時代のセレウキアとバビロンへの食料供給』(著:ロバルタス・ヨハネス・ファン・デル・スペック))
  56. ^ 大戸 1993, p. 332
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    (『21世紀における古代近東の研究:ウィリアム・フォクスウェル・オルブライト生誕100周年会議』(著:ジェロル・クーパー、1996年、アイゼンブラウン社(米国)))
  62. ^ Site officiel du musée du Louvre”. cartelfr.louvre.fr. 2019年11月閲覧。(ルーブル美術館公式サイトより)
  63. ^ "Narām-Sîn of Uruk: A New King in an Old Shoebox" (Eva von Dassow, 2009, in Journal of Cuneiform Studies 61)
    (『楔形文字研究誌』第61号(2009年、シカゴ大学出版)p.63~91に収録されている『ウルクのナラム・シン:古い靴箱の中から発見された新たな王』(著:エヴァ・ボン・ダッソー))
  64. ^ Douglas Frayne (1990). Old Babylonian Period (2003–1595 B.C.): The Royal Inscriptions of Mesopotamia Early Periods, Volume 4. University of Toronto Press. pp. 439–483, 825 
    (『古バビロニア時代(紀元前2003-1595年)前期』(メソポタミア初期王朝の碑文シリーズ第4巻)(著:ダグラス・フレイン、1990年、トロント大学出版)p.439-483、p825より)
  65. ^ Charvát 2002, p.122–126
  66. ^ [1] William K. Loftus, Travels and Researches in Chaldaea and Susiana, Travels and Researches in Chaldaea and Susiana: With an Account of Excavations at Warka, the "Erech" of Nimrod, and Shush, "Shushan the Palace" of Esther, in 1849–52, Robert Carter & Brothers, 1857
    (前出『カルデアとスシアナでの旅行・調査 - ワルカ及びシューシュの発掘報告(1849~1853年)』(ウィリアム・ケネット・ロフタス、1857年))
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    (『ドイツ・オリエント学会による発掘後のウルク(ワルカ)』(ジュリアス・ジョーダン、1928年、JCヒリンクス社))
  68. ^ Ernst Heinrich, Kleinfunde aus den archaischen Tempelschichten in Uruk,Harrassowitz, Leipzig 1936 (German)
    (『ウルクの古代神殿層における小さな発見』(エルンスト・ハインリヒ、1936年、ハラソヴィッツ社(ドイツ))
  69. ^ Heinrich Jakob Lenzen, The Ningiszida Temple Built by Marduk-Apla-Iddina II at Uruk (Warka), Iraq, vol. 19, no. 2, pp. 146–150, 1957
    (『マルドゥク・アプラ・イディナ2世がウルク(ワルカ)に建てたニンギシュジダの寺院』(著:ハインリッヒ・ジェイコブ・レンツェン。ケンブリッジ大学年報「イラク」第19巻(1957年)第2部p146-150に掲載))
  70. ^ Heinrich Jakob Lenzen, The E-anna district after excavations in the winter of 1958–59, Sumer : a journal of archaeology and history in Arab world, vol. 16, pp. 3–11, Directorate General of Antiquities, 1960
    (『1958~59年冬の発掘後のエアンナ地区』(著:ハインリッヒ・ジェイコブ・レンツェン。『シュメール』(アラブ世界の考古学・歴史雑誌、編:イラク政府古代文化財省)第16巻(1960年出版)p.3-11に収録)
  71. ^ Heinrich Jakob Lenzen, New discoveries at Warka in southern Iraq, Archaeology, vol. 17, pp. 122–131, Archaeological Institute of America, 1964
    (『イラク南部ワラカにおける発見』(著:ハインリッヒ・ジェイコブ・レンツェン。『考古学』(アメリカ考古学協会四季報)第17巻(1964年出版)p.122-131に収録)
  72. ^ Jürgen Schmidt, Uruk-Warka, Susammenfassender Bericht uber die 27. Kampagne 1969, Baghdader, vol. 5, pp. 51–96, 1970
    (『ウルク(ワラカ)第27回調査(1969年)概要報告』(著:ユーゲン・シュミット。『バグダッド』第5巻、1970年、p.51-96に収録))
  73. ^ Rainer Michael Boehmer, Uruk 1980–1990: a progress report, Antiquity, vol. 65, pp. 465–78, 1991
    (『ウルク 1980~1990年 調査経過報告』(著:レイナー・ミハエル・ブーマー、ケンブリッジ大学学術誌『古代』第65巻(1991年)p.465-478収録。))
  74. ^ Margarete van Ess and Jörg Fassbinder, Magnetic prospection of Uruk (Warka) Iraq, in: La Prospection Géophysique, Dossiers d'Archeologie Nr. 308, pp. 20–25, Nov. 2005
    (『ウルク(ワラカ)の磁気探査』(著:マルガリーテ・ファン・エス、ユーグ・ファスビンダー、フランスの雑誌「考古学ファイル」第308号(2005年11月)『地球物理学の可能性』p.20-25に収録)
  75. ^ Hans J. Nissen, The Archaic Texts from Uruk, World Archaeology, vol. 17, no. 3, pp. 317–334, 1986
    (『ウルクの古文書』(著:ハンズ・J・ニッセン、学術雑誌『世界の考古学』第17巻第3冊(1986年)p.317-334収録。)
  76. ^ Margaret W. Green, Archaic Uruk Cuneiform, American Journal of Archaeology, vol. 90, no. 4, pp. 464–466, 1986
    (『古代ウルクの楔形文字』(著:マーガレット・W・グリーン、『アメリカ考古学術誌』第90巻第4冊(1986年)p.464-466収録。)
  77. ^ Stefan, Burmeister. The Interplay of People and Technologies Archaeological Case Studies on Innovations - Berlin Studies of the Ancient World 43. Bernbeck, Reinhard, Excellence Cluster Topoi (1., 1. Auflage 2017 ed.). Berlin. ISBN 9783981675184. OCLC 987573072. https://www.worldcat.org/oclc/987573072 
    (『人と技術の相互作用:技術革新についての考古学事例研究』(ベルリン古代世界研究シリーズ第43巻。著:ブルマイスター・シュテファン、ラインハルト・ベルンベック、出版:エクセレンス・クラスター(才能集団)トポイ(ドイツ))


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