ウルキサ将軍鉄道とは? わかりやすく解説

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ウルキサ将軍鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/19 06:13 UTC 版)

ウルキサ将軍鉄道
ポサーダス=エンカルナシオン国際列車(ポサーダス駅)
概要
現地表記 Ferrocarril General Urquiza
種別 都市間鉄道
現況 運行中
所在地 ブエノスアイレス
エントレ・リオス
コリエンテス
ミシオネス
起終点 フェデリコ・ラクロセ駅
ポサーダス
運営
開業 1948年
所有者 アルゼンチン運輸庁
運営者 Trenes Argentinos
路線諸元
路線総延長 2,765km
軌間 1,435mm
路線図
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ウルキサ将軍鉄道(ウルキサてつどう、スペイン語: Ferrocarril General Urquiza、FCGU)は、アルゼンチンの将軍で政治家であるフスト・ホセ・デ・ウルキサ英語版にちなんで名付けられた標準軌鉄道である。ブエノスアイレスからポサーダスまで北上し、その途中にはいくつかの支線が存在する。1948年のフアン・ペロン大統領による鉄道国有化により、6つの国営鉄道会社の1つとして設立された鉄道で、これらの会社は後に旧アルゼンチン国鉄英語版によって管理され、その後1991年のカルロス・メネム大統領の時代に民営化されたが、クリスティーナ・キルチネル大統領時代の2015年に新アルゼンチン国鉄が設立され再国有化された。

この鉄道は、イギリス資本のエントレ・リオス鉄道英語版北東アルゼンチン鉄道英語版を統合したもので、フェデリコ・ラクロセ駅英語版から北東へブエノスアイレス州エントレ・リオス州コリエンテス州ミシオネス州を経由している。

再国有化後、ウルキサ将軍鉄道はアルゼンチン国鉄の標準軌鉄道網およびその運行サービスを指す名前として使われており、かつての国営鉄道会社を指すものではない。

歴史

背景

コリエンテス駅、コリエンテス経済鉄道の終着駅。
1914年のサラテ駅の列車。
蒸気機関車がパラナ川のフェリーで運ばれる様子(1920年頃)。
ヴィジャグアイ付近の橋を渡る蒸気機関車(1950年頃)。

現在のウルキサ鉄道の最初の区間は、エントレ・リオス州のグアレグアイ英語版プエルト・ルイススペイン語版間の10kmで、1866年に中央エントレ・リオス鉄道英語版として開業した。1887年には、パラナからコンセプシオン・デル・ウルグアイ英語版までの線路が完成し、支線がヴィジャグアイ英語版グアレグアイチュ英語版ヴィクトリア英語版に接続された。その後、1892年にこの鉄道はイギリス資本のエントレ・リオス鉄道に買収された[1]

1873年、イギリス資本の東アルゼンチン鉄道英語版コンコルディアメルセデス英語版を結ぶ路線を開通させ、初めてエントレ・リオス州外のコリエンテス州へとサービスを拡張した。1886年11月、アルゼンチン国会は、この路線をモンテ・カセロス英語版からポサーダスへの路線によりミシオネス州まで延長することを承認した。1898年に東アルゼンチン鉄道はモンテ・カセロス - ポサーダス間のの路線を1890年に開通させた北東アルゼンチン鉄道に買収された[1]

また、アルゼンチンの企業家フェデリコ・ラクロセ英語版が率いる中央ブエノスアイレス鉄道英語版が、1888年にブエノスアイレスからピラール英語版までの標準軌路線を開通させ、同年にサラテ英語版まで延伸された[2]。1906年にはエントレ・リオス州まで路線が延伸され、アルゼンチンとイギリスの鉄道会社との間で交通共有協定が結ばれ、コリエンテス州とミシオネス州が鉄道でブエノスアイレスと初めて結ばれることとなった[1]。当初はパラナ川を渡るのに鉄道フェリーを使用していたが、後に橋と高架橋が建設された。

1913年までに、ポサーダスとエンカルナシオンを結ぶ鉄道フェリーが運行を開始し、これによりアルゼンチンの鉄道がパラグアイの鉄道およびアスンシオンと連結された[3]

国有化

1948年、アルゼンチンの鉄道国有化により、これらの標準軌路線はすべて「ウルキサ将軍鉄道」としてまとめられ、後に旧アルゼンチン国鉄の6つの部門の1つとなった[4]

1948年の国有化後、次の標準軌鉄道会社がウルキサ鉄道ネットワークに組み込まれた:

  • エントレ・リオス鉄道
  • 北東アルゼンチン鉄道
  • 中央ブエノスアイレス鉄道
  • コリエンテス経済鉄道英語版

主な列車

  • エル・グラン・カピタン:かつてブエノスアイレスとポサーダスを結んだ長距離列車。
  • ポサーダス=エンカルナシオン国際列車英語版:ポサーダスとエンカルナシオン(パラグアイ)を結ぶ国際列車。
  • トレン・デ・ロス・プエブロス・リブレス英語版:ピラールからコンコルディアを経由してウルグアイのパソ・デ・ロス・トロス英語版を結んでいた国際列車。

脚注

  1. ^ a b c Línea General Urquiza - Laguna Paiva Web
  2. ^ Los Ferrocarriles: Sus orígenes Archived 2010-04-01 at the Wayback Machine. - Todo Tren
  3. ^ FERROCARRIL NACIONAL GENERAL URQUIZA - Histarmar
  4. ^ Medios de transporte Archived 2008-10-08 at the Wayback Machine. - De La Concordia, originally published in 1981

関連項目

外部リンク


ウルキサ将軍鉄道(Ferrocarril General Urquiza)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 21:07 UTC 版)

アルゼンチンの鉄道」の記事における「ウルキサ将軍鉄道(Ferrocarril General Urquiza)」の解説

詳細は「ウルキサ将軍鉄道(スペイン語版)」を参照 ブエノスアイレスのフェデリコ・ラクロセ駅から、北部エントレ・リオス州/ミシオネス州方面展開する路線網首都圏内ウルキサ線区間第三軌条方式最初架空電車線方式)により直流電化され、ブエノスアイレス地下鉄B線線路接続ウルグアイ及びパラグアイの鉄道路線とも接続しかつてはブエノスアイレスモンテビデオアスンシオンの間をアルゼンチン車両による直通国際旅客列車運転されていたが、2019年現在国際旅客列車パラグアイとの国境区間であるミシオネス州ポサーダスパラグアイエンカルナシオンの間にのみ気動車運行されるのみ。ブラジル路線とも接続しているが、線路幅異なりそのままでは直通することができない線路の状態が良くない路線多く名目では休止中であるがほぼ廃線状態の路線多数存在する線路幅は1,435 mm。フェデリコ・ラクロセ駅 - ポサーダス間の本線を始めとする18路線構成されかつては本線パラナ川を渡る区間鉄道連絡船運航されていたが、この区間大きな道路・鉄道併用橋完成し連絡船廃止された。

※この「ウルキサ将軍鉄道(Ferrocarril General Urquiza)」の解説は、「アルゼンチンの鉄道」の解説の一部です。
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