ウルキーサの連邦派とは? わかりやすく解説

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ウルキーサの連邦派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 03:45 UTC 版)

連邦同盟」の記事における「ウルキーサの連邦派」の解説

ウルキーサはロサスと同じ連邦派だったが、ロサスとは違って中央政府作って連邦主義法制化することによりブエノスアイレス以外の諸州の利益確保しようとした。この時に自由主義者欧化主義者のフアン・バウティスタ・アルベルディが起草した1853年憲法は、形式的に連邦主義ありながらも、実質的に中央政府州政府への干渉認めた中央集権的憲法だった。 しかし、 それでもブエノスアイレス州連邦主義者のウルキーサが国政牛耳るのに我慢ならず、1852年には独自の憲法作ってアルゼンチン連合離脱してしまう。ロサス弾圧されブエノスアイレス自由主義者も、市が連邦取り上げられ、港の利益連邦ものになるのは認められなかったのだ。 ウルキーサはブエノスアイレス以外の州を合わせてアルゼンチン連合建国し、首都エントレ・リオス州パラナ定めるが、この国家は全く機能しなかった。海外貿易出来ない時点国家としては失敗していたのだ。ここでもしモンテビデオアルゼンチン領ならば、ブエノスアイレスではなくモンテビデオ通して海外との貿易可能だったかもしれないが、既にモンテビデオウルグアイとして独立しており、しかもウルグアイは親ブラジル派のコロラド党政権に就くことがほとんどだったのだ。 このような混乱の中で1861年ブエノスアイレス州知事バルトロメ・ミトレがパボンの戦いでウルキーサのアルゼンチン連合軍を破り1862年には自ら大統領就任した。こうしてブエノスアイレス主導アルゼンチン中央集権的統一達成された。 三国同盟戦争勃発するとウルキーサはパラグアイ大統領ソラノ・ロペス密約を結び、もしミトレ政権パラグアイ軍アルゼンチン領土通行認めないなら、ミトレに対して決起する予定だったが、この密約履行されず、ウルキーサに密約履行迫ってパラグアイアルゼンチン宣戦布告した。しかし、ウルキーサは動かず各地連邦カウディージョはウルキーサを頼らず決起した。特にカタマルカ州カウディージョ、フェリペ・バレーラ(スペイン語版英語版)はラテン・アメリカ諸国団結と、三国同盟戦争への反対訴えて反乱起こしたが、1869年敗北しバレーラチリ亡命した三国同盟戦争終結した1870年、ウルキーサは連邦派のロペス・ホルダン(英語版)に暗殺された。その後ガウチョカウディージョといった土着勢力近代化圧力前に敗北する連邦派は壊滅し畜産モノカルチャーの下でイギリス非公式植民地のようになっていたブエノスアイレスは全アルゼンチン植民地のように支配した

※この「ウルキーサの連邦派」の解説は、「連邦同盟」の解説の一部です。
「ウルキーサの連邦派」を含む「連邦同盟」の記事については、「連邦同盟」の概要を参照ください。

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