パラグアイ戦争
(三国同盟戦争 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/05 16:00 UTC 版)
パラグアイ戦争[注釈 1] (ぱらぐあいせんそう、西: Guerra del Paraguay 葡: Guerra do Paraguai)、1864年 - 1870年)は、パラグアイと、アルゼンチン・ブラジル帝国・ウルグアイの三国同盟軍との間で行なわれた戦争である。ラテンアメリカの歴史の中で最も凄惨な武力衝突となった。三国同盟戦争[注釈 2] (西: La Guerra de la Triple Alianza 葡: Guerra da Tríplice Aliança)、対三国同盟戦争(西: La Guerra contra la Triple Alianza)、ロペス戦争[15] とも。開戦の直接のきっかけは、当時ブラジル・アルゼンチンの緩衝国であったウルグアイの内乱に、パラグアイの独裁者フランシスコ・ソラーノ・ロペス(Francisco Solano López)が介入したことによる。
注釈
出典
- ^ アンドウ・ゼンパチ『ブラジル史』岩波書店、1983年9月22日 第一刷発行、186~188頁。
- ^ 大原美範『ブラジル -経済と投資環境-』アジア経済研究所、1972年5月10日 発行、59頁。
- ^ 金七紀男『ブラジル史』東方書店、2009年7月25日 初版発行 ISBN 978-4-88595-852-6、121~122頁。
- ^ 伊藤秋仁、住田育法、富野幹雄共著『ブラジル国家の形成 その歴史・民族・政治』晃洋書房 2015年3月30日 初版第1刷発行 ISBN 978-4-7710-2604-9、27~29頁。
- ^ a b 松下洋「パラグアイ戦争」『日本大百科全書 第19巻』小学館、1988年1月1日 初版発行、102頁。
- ^ a b 「パラグアイ戦争」『世界大百科事典 第23巻』平凡社、1988年3月15日 初版発行、49頁。
- ^ a b 三田千代子『ブラジル 「発見」 500年: その歴史と文化』上智大学イベロアメリカ研究所、2002年。
- ^ a b 今井圭子『アルゼンチンの主要紙にみる日本認識』上智大学イベロアメリカ研究所、2006年。
- ^ a b 今井圭子「パラグアイせんそう」『新版 ラテン・アメリカを知る事典』平凡社、2013年3月25日 新版第1刷発行、ISBN 978-4-582-12646-4、291頁。
- ^ a b ジョージ・トンプソン著、ハル吉訳『パラグアイ戦争史 トンプソンが見たパラグアイと三国同盟戦争』中南米マガジン社、2014年11月15日 初版第一刷発行。
- ^ アンドウ・ゼンパチ『ブラジル史』河出書房新社、1956年8月15日 初版発行、1959年4月30日 再版発行、191~193頁。
- ^ 増田義郎編『ラテン・アメリカ史 II 南アメリカ』山川出版社、2007年7月25日 1版1刷発行、ISBN 4-634-41560-7、255~262頁。
- ^ 二村久則/山田敬信/浅香幸枝編著『地球時代の南北アメリカと日本』ミネルヴァ書房、2006年、61頁。
- ^ 『経済協力評価報告書 第2巻』外務省経済協力局経済協力評価委員会、1999年、13及び15頁。
- ^ 栗原優『現代世界の戦争と平和』ミネルヴァ書房、2007年6月20日 初版第1刷発行、ISBN 978-4-623-04914-1、257頁。
- ^ Williams, The Rise and Fall of the Paraguayan Republic, 1800–1870, pages 158.
- ^ Leuchars 2002, p. 20.
- ^ Kraay & Whigham 2004, p. 120.
- ^ Scheina 2003, pp. 313–4.
三国同盟戦争(1864年-1870年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/15 22:43 UTC 版)
「パラグアイの歴史」の記事における「三国同盟戦争(1864年-1870年)」の解説
詳細は「三国同盟戦争」を参照 ウルグアイ川下流に存在するウルグアイでは、1828年の独立直後から親アルゼンチン派のブランコ党と親ブラジル派のコロラド党が主導権争いを繰り広げており、大戦争と呼ばれた一連の戦争が1851年に終結した後も、両党は抗争を繰り広げていた。1852年にカセーロスの戦い(スペイン語版)に敗れたアルゼンチンの支配者ロサスが失脚し、その後アルゼンチンが国家の統一を経て1862年にバルトロメ・ミトレ(英語版)を首班とする自由主義政権が成立すると、アルゼンチンの自由主義者はロサス時代に友好的だったブランコ党ではなく、コロラド党を支援するようになった。1860年に成立したウルグアイのベルナルド・プルデンシオ・ベロ(スペイン語版)政権は、1863年4月にアルゼンチンとブラジルの両国に支援されたベナンシオ・フローレス(スペイン語版)率いるブランコ党軍の侵入に直面し、またもウルグアイは内戦に陥った。ウルグアイのベロ政権はこの危機に際してパラグアイのソラーノ・ロペスに救援を要請しており、アルゼンチンとブラジルに翻弄される小国ウルグアイの姿に自国の未来の運命を見出したソラーノ・ロペスは、1864年8月にベロの後継者となったアタナシオ・アギーレ(スペイン語版)大統領の要請を受け入れ、ブラジルにウルグアイへの軍事干渉があった場合は戦争も辞さないとの通牒を発していた。一方ブラジルはこれを無視し、1864年10月にウルグアイ領内に軍事侵攻を開始した。このブラジルの軍事行動に呼応してパラグアイは国内に停泊していたブラジル船のマルケス・デ・オリンダ号を拿捕し、両国は戦争状態に突入した。 1864年12月にブラジルのマット・グロッソ州に侵攻したパラグアイ軍は係争地帯を攻略し、他方でアルゼンチンのミトレ政権に対してはウルグアイ救援のため領土通行権を要請した。ソラーノ・ロペスとアルゼンチンの反体制的な地方軍事指導者(カウディーリョ)の頭目フスト・ホセ・デ・ウルキーサ(スペイン語版)の間には、アルゼンチンが領土通過を拒否した場合、ウルキーサが反自由主義的な勢力を糾合してミトレ政権に対し蜂起することが密約されていたが、ミトレが領土通過を拒否した後もウルキーサは蜂起することなく、ソラーノ・ロペスはウルキーサに蜂起を促すために1865年3月にアルゼンチンに対して宣戦を布告した。さらに、ウルグアイでも情勢は動き、ブランコ党のアギーレ大統領がコロラド党と和解してコロラド党のベナンシオ・フローレス(スペイン語版)が臨時大統領に就任したため、フローレスはパラグアイとの敵対を選び、1865年5月1日にアルゼンチン、ブラジルと共に対パラグアイ三国同盟を結成し、三国同盟の総司令官にはアルゼンチンのミトレ大統領が就任した。こうしてウルグアイのブランコ党政権とアルゼンチンの反体制派カウディーリョを糾合してブラジルに挑むというソラーノ・ロペスの計画は完全に破綻し、パラグアイは三国同盟との戦争に突入した。 早くも1865年6月にはリアチュエロの会戦(スペイン語版)でパラグアイ海軍がブラジル海軍に壊滅させられ、パラグアイは大西洋への出口であるパラナ川の航行権を失ったが、海上貿易を封鎖された後もパラグアイの抵抗は続いた。以降1866年5月のツユティの戦い(スペイン語版)、1866年9月のクルパイティの戦い(スペイン語版)と両軍はパラグアイ川の要塞線に沿って一進一退の攻防を繰り広げていたが、1868年1月にミトレに代わってブラジル軍司令官のカシアス侯爵(ポルトガル語版、スペイン語版、英語版)が三国同盟全体の総司令官となると、ブラジル軍は猛攻撃の末に1868年8月にウマイタ要塞を攻略し、1869年1月にはパラグアイの首都アスンシオンを陥落させた。この戦争の最中、アルゼンチン国内では自由主義政権の近代化政策によって存在を脅かされていた、地方諸州のカウディーリョがソラーノ・ロペスを支持して蜂起し、特に1866年12月から1869年1月まで続いたカタマルカ州のフェリペ・バレーラ(スペイン語版、英語版)の反乱は大きなものとなったが、戦争の大勢を変えるにまでは至らなかった。アスンシオン陥落後も残存兵力を率いて抵抗を続けていたソラーノ・ロペス大統領は1870年3月1日にセロ・コラーの戦い(英語版)で戦死し、戦争は終結した。 戦争はパラグアイにとって破滅的な厄災となった。戦前525,000人だった人口は戦後の1871年に211,079人と大きく減少し、男女比は1:4となった。国土についても戦前の領土の1/4がアルゼンチンとブラジルによって併合され、戦前98%を占めた公有地はアルゼンチン人をはじめとする外国人によって買い上げられ、それまで存在しなかった大土地所有者層が新たに生まれることになった。パラグアイ人の捕虜は、奴隷制が存続していたブラジルのサンパウロのコーヒー農園に連行された。戦後すぐにパラグアイには300万ポンドに及ぶイギリスからの借款が持ち込まれ、産業基盤が壊滅した上に押し付けられた自由貿易は、戦前存在したパラグアイの工業基盤に止めを刺した。こうしてパラグアイは国民、国土、経済的独立を全て失い、廃墟の中から新たな歴史を築くことを余儀なくされたのであった。
※この「三国同盟戦争(1864年-1870年)」の解説は、「パラグアイの歴史」の解説の一部です。
「三国同盟戦争(1864年-1870年)」を含む「パラグアイの歴史」の記事については、「パラグアイの歴史」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- 三国同盟戦争のページへのリンク