ざん‐そん【残存】
残像・残存
★1.殺人の被害者が最後に見た光景が、網膜や角膜に残像として保存される。
『イギリス製濾過機』(ロバーツ) 老教授が毒殺された。知人の科学者が、「死の瞬間に教授の網膜に映った映像が、そのまま残っているかもしれぬ」と考え、網膜残像の現像を試みる。その結果、老教授が生前最後に見たのは午後5時ちょうどの時計だったことがわかり、殺害の時刻が確定できた。
『死者の網膜犯人像』(松本清張) 会社役員の男が絞殺され、両眼を大きく見開いて死んでいた。男の網膜には、生前最後に見た映像が残っているはずなので、それを固定するために、警察がホルマリン液を両眼に注射する。犯人である若い妻とその情夫は、逃れられぬと観念して自殺する。しかし男の網膜に映っていたのは、ポメラニアンだった。愛犬が駆け寄り、主人の死を見取ったのである。
『ブラック・ジャック』(手塚治虫)「春一番」 ブラック・ジャックに角膜移植手術を受けた娘が、「若い男の幻が時々見える」と訴える。角膜の持ち主は殺人事件の被害者であり、死ぬ間際に見た犯人の姿が角膜に焼きついたのだった。娘は幻の男に恋して彼を捜し、殺されそうになるが、ブラック・ジャックが彼女を救う。
★2a.生きている人間の網膜にも、目に見た光景が焼きつけられることがある。
『白い幻影(まぼろし)』(手塚治虫) 海難事故のため、娘の目の前で恋人が波に呑まれる。その瞬間、稲妻の強烈な光によって、恋人の姿が娘の網膜に焼きつけられた。それ以来、娘は白い壁や布などの上に、恋人の姿を見るようになる。娘は、現実の男性よりも幻影の恋人を愛し、ずっと独身生活を続ける〔*波に呑まれた恋人は救助されたが、記憶を失ってしまい、娘のことを忘れて別の女性と結婚した〕。
『雪の夜の話』(太宰治) 人間の眼球は風景をたくわえることができる。昔デンマークの医者が、若い水夫の死体を解剖した時、彼の網膜に一家団欒の光景が写されていたという。女学生の「私」は、美しい雪景色を見て家へ帰り、「私」の眼の底を、妊娠中の嫂(あによめ)に覗かせようと思う。そうすれば赤ちゃんが綺麗になるだろう。
『聊斎志異』巻6-254「八大王」 馮が手に入れた古鏡は、美人を照らすとその像が残り、拭っても消えなかった。馮は王侯の姫の姿を鏡に映し取って持ち帰り、このことを知った姫は馮に嫁いだ。
★4.声の残存。
音霊(おとだま)(水木しげる『図説日本妖怪大鑑』) 曾我兄弟は富士の裾野で、父の仇・工藤祐経を討った。兄・十郎祐成はその場で討死にし、弟・五郎時致は捕らえられて打ち首になった。富士の裾野はもとの静けさに戻ったが、曾我兄弟の無念の思いが残って、怨念の声となった。大空に「十郎祐成」と名乗り、「五郎時致」と呼ばわって戦う音が、昼も夜も絶えなかった。その声を聞いた者は、あるいは死に、あるいは精神に変調をきたし、兄弟の言葉を真似て口走った。
*凍死した兄弟の声が蒲団に残る→〔ふとん〕2の『鳥取の蒲団のはなし』(小泉八雲)。
『変身物語』(オヴィディウス)巻3 妖精エコーが美少年ナルキッソスに恋し、抱擁しようとするが、ナルキッソスは彼女をはねつける。エコーは恥じて森の奥に隠れ、叶わぬ恋の悲しみでやせ衰えて、骨と声だけになる。骨はやがて石と化し、エコーはついに声だけの存在となった。今もエコーの声だけは、皆の耳に届いている。
★5.笑いの残存。
『不思議の国のアリス』(キャロル) アリスが森へ入って行くと、木の枝の上に、ニヤニヤ笑うチェシャ猫がいた。チェシャ猫はアリスと話をした後に、しっぽの方からゆっくり消えて行く。最後にニヤニヤ笑いだけが残り、猫の体がすっかり消えてしまってからも、それはしばらく残っていた。アリスは「『笑わない猫』は何度も見たけれど、『猫なしの笑い』は初めて見たわ」と思う。
★6.残留思念。
『古びた旅館で』(星新一『ひとにぎりの未来』) 昔、愛し合う若い男女が、結婚を許されなかったために、旅館の一室で心中した。2人の「結ばれたい」との思いはこの世に残り、その部屋の宿泊客に作用するようになった。離婚寸前の夫婦も、そこに泊まれば愛情がよみがえり、仲良く帰って行くのだ。
*この世に残した恋人への残留思念→〔川〕8の『ムーンライト・シャドウ』(吉本ばなな)。
*→〔首くくり〕2の『聊斎志異』巻6-225「縊鬼」は、過去の首吊り事件の残像が見えただけなのか、霊が死後も首吊り行為を繰り返しているのか、どちらであろうか?
残存
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 15:51 UTC 版)
「大久野島の毒ガス製造」の記事における「残存」の解説
国外、特に中国での毒ガス被災問題に関しては遺棄化学兵器問題を、日本国内での問題は化学兵器#化学兵器の廃棄処理を参照。ここでは特に大久野島を中心とした状況について記す。 上記の通り、戦後処理のかなりの数が島内の防空壕や周辺への海中投棄されたことから、現在でも兵器の残骸など発見が続いている。1997年以降、危険物質が確認された場合は化学兵器禁止条約に基いて処理されている。以下、環境省資料記載分を中心とした戦後大久野島周辺で被災あるいは発見状況を示す。 毒ガス弾等の発見・被災・掃海等の処理状況 日時状況種類1951年4月 被災 不明 タコ漁の際に海底にあったとみられる毒物に被災。 1955年7月 被災 イペリットらしいもの 島内の池にあった防毒衣などの除去作業中に作業員2人が毒ガス障害。 うち1人は後遺症で1956年1月死去。 1955年頃 処理 不明 島内で臭気黄土を発見。 コンクリート槽へ埋設。 1955年頃 発見 不明 大久野島・小久野島・松島で囲まれた海域で漁師が正体不明のドラム缶を引き上げる。 中身を確認せず再投棄。 1958年5月29日 被災 青酸ガスボンベ 約20kg×1本 漁師が網にかかったボンベを廃品回収業者に転売、解体作業中に被災。 死者1人・中傷9人・軽傷18人。ボンベは民間会社が処理。 1961年6月13日から同月15日 発見 赤筒(くしゃみ剤) 2.5tトラック×5・6台分(推定) 国民休暇村になるにあたり県が自衛隊に調査を依頼、防空壕内で発見 処理方法は不明。 1961年 被災 イペリットと推定 新聞報道によると、国民休暇村工事請負業者が工事中に被災 それ以上の詳細は不明。 1964年7月31日 発見 茶1号(青酸ボンベ) 1個 漁船が海中から毒ガスボンベを引き上げ 竹原市に陸揚げ。 1964年8月1日 発見 毒ガス入りボンベ 1本 民間人が購入した古鉄の中に毒ガスボンベがあった 陸自第13師団武器大隊が回収、海自が引き継ぎ海中投棄。 1964年8月26日 発見 毒ガス入りボンベ 1本 詳細不明 海自が引き継ぎ海中投棄。 1968年5月11日 被災 毒物ボンベ 1本 1人負傷。 1969年8月26日 発見 あか筒 3本 発射筒 1本 島内で発見 コンクリート密封の後、海中投棄。 1969年11月13日から12月18日 掃海 発見なし 海上自衛隊の掃海艇3隻による2回に分けての捜索。 1970年1月12日から同月16日 発見 あか筒 650本 島内防空壕で発見。 1970年1月13日から同月15日 発見 あか筒 大 22本 中 約600本 発射筒 1,000本 厚生省・防衛庁が追跡調査を行い防空壕内で発見 上記の物も含め、同年3月いっぱいまで防空壕の閉鎖処理。 1970年2月22日 被災 毒ガスボンベ 1個 小型底曳網にかかったボンベで漁師がノドに炎症。 コンクリート詰め後、海中投棄。 1970年12月22日 被災 青酸ガスボンベ 1本 小型底曳網にかかったボンベで乗務員4人が負傷。 自衛隊がコンクリート詰め後、太平洋で海中投棄。 1971年2月8日 発見 ボンベ 1本 漁師が酸素ボンベ状のものを引き上げる。 竹原市役所が調査、危険性はないとして市役所が保管。 1971年2月8日 被災 毒ガスボンベ 1本 小型底曳網にかかったボンベがガス漏れを起こし漁師が軽い中毒症状。 運搬中にガスがすべて放散したため、海中投棄。 1972年4月18日 被災 ドラム缶 2個 コンクリート槽 1個 護岸工事中に作業員が発見。ドラム缶から流出した液体によりかぶれる。 診断および成分検査の結果毒ガスとは断定されず。 1977年10月 発見 空のちび弾容器 竹原市忠海町の人物が空のちび弾容器を所有。 自衛隊が処理、1978年2月海洋投棄。 1995年3月から1996年7月 調査 土壌汚染 環境省による土壌および地下水調査で最大で環境基準値2200倍のヒ素を検出 1998年から撤去開始、1999年完了。 1997年 発見 あか筒の残骸 35本 市民が島の北部海岸にてあか筒の残骸1本を発見。 環境省・県・市の詳細調査で34本発見。 1997年9月 発見 不明 新聞報道によると、金属製の筒1本が発見された それ以上の詳細は不明。 1999年3月26日 発見 大あか筒 9本 島内整備工事中に防空壕内から発見 化学兵器禁止条約に基いて無害化処理。 1999年10月23日 発見 97式中あか筒 3本 市民が島内で発見。 2009年1月19日 発見 発煙筒 21本 あか筒 2本 環境省による大久野島海底送水管敷設事業の際に北側海域で発見 上記のうち、死者が発生した件の詳細を示す。 1955年(昭和30年)7月、作業員2人が大久野島の池に沈められた防毒衣などを引上げ作業中に毒ガス障害を起こし、うち1人が後遺症で翌昭和31年1月に死亡。 1958年(昭和33年)5月24日、周辺海域で漁民が青酸ボンベ2本を引上げ、それを廃品回収業者が買い取り1本を解体したところ青酸ガスが発生し死者1人・中傷9人・軽症18人の被害が出た。 上記の通り、大久野島に国民休暇村が開業する際に調査、あるいは海上自衛隊による周辺海域で掃海が行われている。なお大久野島の東側は1960年代から1990年代にかけて大規模な海砂利採取が行われてきた地点であるが、その際に起きた事例は環境省資料にはない。 戦後BCOFによるあか箱(ジフェニルシアノアルシン)処理の様子。防空壕の中に入れ海水と次亜塩素酸カルシウム(さらし粉)を注入し加水分解により無毒化させる処置がとられた。 第二桟橋南側にある岩。左写真の現場はここであると推察されている。現在中がどのような状態かは不明。当時よりもコンクリートで覆われていることから対策済であることはわかる。 近年で特に問題となったのが、1995年3月から1996年5月の環境省による大規模調査で、環境基準を大きく超えるヒ素による汚染が確認されたことである。当時生産されていた毒ガスの中でヒ素化合物は、ルイサイト(きい2号)、ジフェニルシアノアルシン(あか)、トリクロロアルシン(しろ)、アダムサイト、になる。環境省資料では何が原因でヒ素汚染したかは明記していない。市民団体では、戦後直後旧日本軍が隠蔽工作した際の残骸が海底で埋没し土壌汚染した、あるいは戦後進駐軍による処理で機器の焼却処理の際にヒ素が飛散した、戦後BCOFによる処理で防空壕に埋設処理されたあか筒が腐食により流出したものと推定している。以下は1997年時点で環境省が公表する調査資料を元に記載する。 土壌環境基準を超えたヒ素汚染が確認されたのは、北部海岸周辺、北部砲台跡地、西側テニスコート周辺、運動場西護岸側、国民休暇村前広場、元理材置場、南側キャンプ場付近、東・南の護岸付近及び東側周遊道路沿いの一部。うち北部砲台跡地、運動場西護岸側、元理材置場、は大幅に上回っていた。 1999年11月まで土壌汚染対策工事が行われ、現在は立ち入りできる。ただし元理財置場および北部海岸周辺、いわゆる北端の唐人傘周辺は金網フェンスで覆われ立入禁止処置がとられている。 水質水質環境基準・地下水環境基準を超えたヒ素汚染が確認されたのは、島内11カ所の井戸水・8カ所の表流水・湧き水のうち4カ所の井戸。基準を超えた4ヶ所の井戸は、観測時点で全く使用おらず放棄していた状況だった。うち北部砲台跡地内井戸と島南側井戸では大幅に上回っていた。北部は土壌から流出したと考えられ、南側には井戸内に投棄されたとみられる腐食したあか筒が見つかっておりそれが汚染原因と考えられている。 休暇村大久野島では2004年から井戸水の使用を中止し、飲料用水などは給水船で島外から運んでいる。 その他土壌からの巻き上げによって砒素が飛散した可能性はない。 周辺海域および海洋生物の汚染はみとめられなかった。 こうした状況下で安定して上水を島外から運び入れるため環境省により「大久野島海底送水管敷設事業」が計画されたが、2009年その敷設工事前の調査段階で空のあか筒・発煙筒とされる23本を海底から発見、見通しがつかないとして事業中止に追い込まれた。
※この「残存」の解説は、「大久野島の毒ガス製造」の解説の一部です。
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残存
「残存」の例文・使い方・用例・文例
- 一定期間のパスポートの残存期間を必要とします
- 取得には入国時のパスポートの有効残存期間が必要だ
- 残存価格は、ある資産の減価償却で法定耐用年数を過ぎた後に残る価値のことです。
- 当社の自動車リース契約は、車両価格から残存価額をマイナスして設定し、ご利用期間分の代金だけをお支払いいただく方式です。
- 残存元本の多さは、中途解約や買い取り請求の少なさを表す。
- これは一部残存している。
- 原因の特定できていない問題がまだ1つ残存しています。
- 残存魚種.
- この慣習は今日なお残存している.
- 残存している迷信.
- 残存者
- 敵の残存部隊をかき乱し、動きを封じ、敵の士気を低下させるよう計画された射撃
- (ワインについて使用され)残存糖の含有量が高いさま
- (酒について)発酵の間の砂糖の分解のため、少量の残存糖含有量を有している
- 生命のより初期の段階に機能した身体部分の残存物
- チェ・ゲバラによって訓練された最初のボリビアの反乱軍の残存者であるテロリスト集団
- 全ての宇宙に重填し、およそ2.725ケルビンの平均温度で今日観測できる高温ビッグバンの冷却された残存
- 部分膜の残存物で、成熟したキノコは柄の低い部分を囲む
- トクサの唯一残存科:シダ同類
- 地球の地殻の中の岩石中に保存されている有機物の残存物から成る燃料で、炭素と水素の含有度が高い
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