桟橋とは? わかりやすく解説

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さん‐きょう〔‐ケウ〕【桟橋】

読み方:さんきょう

谷間のがけなどに高く架け渡しかけはし

さんばし


さん‐ばし【桟橋】

読み方:さんばし

船を横づけにして、人の乗り降り貨物積みおろしなどができるように、岸から水上突き出して造った構築物床面木・鉄コンクリートなどの柱で支える

建築現場などで、高い所に上るために傾斜をつけて足場にかけ渡す板。


桟橋

作者ジェイムズ・スティヴンスン

収載図書大雪のニューヨークを歩くには
出版社筑摩書房
刊行年月1991.12
シリーズ名ちくま文庫


桟橋

作者森鴎外

収載図書普請中 青年森鴎外全集 2
出版社筑摩書房
刊行年月1995.7
シリーズ名ちくま文庫

収載図書森鴎外
出版社筑摩書房
刊行年月2000.10
シリーズ名明治文学

収載図書森鴎外 現代小品集
出版社晃洋書房
刊行年月2004.5

収載図書明治大小品
出版社おうふう
刊行年月2006.4


桟橋

作者壺井栄

収載図書戦後出発女性文学 第5巻 昭和25年
出版社ゆまに書房
刊行年月2003.5


桟橋

作者辻川嘉彦

収載図書青野
出版社文藝書
刊行年月2006.11


桟橋

読み方:さんばし

  1. ノコトヲ云フ。〔第三類 飲食物之部・東京府
  2. 。〔第六類 器具食物
  3. を云ふ。

分類 東京府

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桟橋

読み方:サンバシ(sanbashi)

作者 壷井栄

初出 昭和25年

ジャンル 小説


桟橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 15:00 UTC 版)

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桟橋(さんばし、英語: pier)とは、係留施設の一つ。船舶が着岸するために陸域部から水上へ向けて作った状の係留施設である。広義には浮桟橋(floating pier)やポンツーン(pontoon)も桟橋に含むことがある。「桟」がかつての当用漢字に入っていなかったことから、さん橋と表記される場合もある[1][2]港湾法における港湾施設の一つ[3]

構造

桟橋と岸壁・物揚場との違いは構造と形状にある。構造面を見ると、岸壁・物揚場が埋め立てやコンクリートにより海底まで埋められている物を指すのに対して、桟橋は支柱の上に橋上部を設置したものをいう。形状面を見ると、岸壁・物揚場は陸域に沿った形状をしているのに対し、桟橋は陸域から水域へ突き出るような形状をしている。

桟橋の支柱には、木製杭・鋼管杭・鉄筋コンクリート杭・筒柱・ケーソン橋脚・矢板セル橋脚などが使用される。支柱の上には桁(トラス)が渡され、さらに桁の上には床板やコンクリート地盤などが設置される。桟橋は軽量なため、地盤が軟弱な場合でも建設可能である。また、船舶が発着しやすいという利点も持つ。欠点には、船舶の発着岸時の衝撃に弱いことなどが挙げられる。

ギャラリー

脚注

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注釈

出典

  1. ^ 横浜・大さん橋の乗り場・駐車場|東海汽船” (日本語). 東海汽船株式会社 | 伊豆諸島へ行く船旅・ツアー. 2020年3月19日閲覧。
  2. ^ 馨, 沢原. “横浜港の大パノラマ!「大さん橋」は絶景が広がる展望スポット | 神奈川県” (日本語). LINEトラベルjp 旅行ガイド. 2020年3月19日閲覧。
  3. ^ 港湾法 - e-Gov法令検索第2条第5項第3号

関連項目


桟橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/09 07:06 UTC 版)

チャールストン (サウスカロライナ州)」の記事における「桟橋」の解説

コロンバス・ストリート・ターミナル ノースチャールストン・ターミナル、ノースチャールストンにある ユニオン・ピア・ターミナル ベテランズ・ターミナル、ノースチャールストンにある ワンドー・ウェルチ・ターミナル、マウント・プレザントにある 港に対する需要増しているので新しターミナル建設中である。場所はノースチャールストン市の元海造船所

※この「桟橋」の解説は、「チャールストン (サウスカロライナ州)」の解説の一部です。
「桟橋」を含む「チャールストン (サウスカロライナ州)」の記事については、「チャールストン (サウスカロライナ州)」の概要を参照ください。


桟橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 06:33 UTC 版)

青函連絡船」の記事における「桟橋」の解説

1908年明治41年3月7日開設当初は青森函館とも連絡船着岸できる岸壁はなく、沖繋りで、旅客貨物は小蒸気船や艀を用いて乗下船、荷役が行われた。 青森桟橋 開設当初は連絡船着岸岸壁はなく、連絡船は数100m沖に錨泊し、小蒸気船や艀が、後に建設される、最も南側位置した車載客船車両渡船岸壁建設当初第2岸壁戦後は第1岸と呼ばれた)の向かい側付近にあった第2船入澗に着岸していた。ここは青森駅至近のため、1898年明治31年)、当時青函航路経営していた日本郵船と、青森に至る鉄道経営していた日本鉄道共同で築造したもので、国鉄連絡船開設当初日本郵船共用で、国鉄は西と南側岸壁使用した。しかしここだけでは狭隘なため、1908年明治41年5月青森駅駅裏貨物専用の艀岸壁として第1船入澗も完成させ、艀岸壁客貨分離行った1910年明治43年)には第2船入澗南側食堂併設連絡船待合所設けた1914年大正3年12月開始され鉄道車両車運丸による車両航送用の桟橋は、この第1船入澗内に木製門構え鋼製用いて建設された。1921年大正10年1月、西防波堤一部完成を受け、防波堤内に係船浮標設置し比羅夫丸型で運航される客便の1便・2便に限りここに係留した1923年大正12年12月15日からは、一部完成した車載客船車両渡船岸壁南側から2番目、建設当初は第1岸壁戦後第2岸壁呼ばれた)を先行使用する形でようやく直接着岸可能となった上記の岸壁1924年大正13年3月31日竣工した後、引き続き車載客船車両渡船船尾部係留するポケット部分可動橋設置工事が行われ、1925年大正14年4月25日竣工し青森駅航送完成待って同年5月21日から試験車両航送開始された。さらに同年7月17日本州以南自動連結器への一斉交換作業完了により、北海道内外の車両連結器統一され相互運行が可能となり、同年8月1日から車航送正式に開始された。 桟橋待合所は、この岸壁上に1923年大正12年11月19日着工され1924年大正13年11月18日竣工使用開始これにより青森駅プラットホームから階段跨線橋通って乗船可能となった。 しかし、函館の2岸壁に対し青森側1岸壁では容量不足のため、1926年大正15年9月、この岸壁南側第2船入澗の入江を更に南西掘り込む形で岸壁増設工事始まり1928年昭和3年8月11日岸壁工事が、9月20日には可動橋竣工し同年10月から使用開始された。これが青森第2岸壁で、戦後は第1岸壁呼称された最も南側岸壁で、対岸安方岸壁補助汽船岸壁として使用された。なお、この第2岸壁の手荷物昇降機設置遅れのため、恒常的な旅客扱い便の発着1929年昭和4年)からとなった1936年昭和11年以降貨物輸送量急増し1937年昭和12年)の日中戦争勃発以降は前年比120%前後伸び示し1940年昭和15年)の貨物輸送量213トンと、1936年昭和11年)の110トン弱の2倍に達し、更に増加続けていた。このための、車両渡船増強による運航便増加図られ、これに対応するため、1940年昭和15年11月、第1岸壁北側延びる西防波堤外側に埋め立てにより貨物専用第3岸壁建設工事着手し1944年昭和19年3月完成その後、西防波堤撤去して同年5月1日から昼間の使用開始し7月20日から昼夜使用開始した。しかし1945年昭和20年7月空襲で、可動橋大破使用不能となり、終戦後1946年昭和21年3月末から6月末まで後述LST改装貨車渡船の青森専用桟橋になったこともあったが、1946年昭和21年11月には修復工事完了。 この3岸壁体制は、その後1988年昭和63年3月の終航まで続いたが、戦後南側から順に、第1、第2第3岸壁呼ばれ、第1岸壁第2岸壁には旅客乗降設備があり、北端第3岸壁貨物便専用であった。 更に津軽丸(2代)型によって、1967年昭和42年6月1日開始され乗用車航送対応するため、第1岸壁船尾右舷の副岸から、津軽丸型の遊歩甲板に至る斜路設置された。しかし当初、青森駅から東へ向か臨港線を渡る踏切があったため、1970年昭和45年1月19日、この部分道路高架化して踏切解消した。更に1982年昭和57年4月1日開始石狩丸(3代)型 による乗用車航送のため、同じく第1岸壁船尾右舷岸に津軽丸用の斜路船首側に隣接して石狩丸型の船楼甲板舷門に至る斜路設置された。 函館桟橋 函館側も開設当初は連絡船着岸岸壁はなく、連絡船は数100m沖合錨泊し、小蒸気船や艀に乗換える必要があった。函館駅裏の海岸には、後に第1船入澗の北側護岸となる防波堤1905年明治38年完成し、これに守られた小桟橋があり、小蒸気船や艀はここに着岸した。 1910年明治43年12月15日その後若松埠頭基部から西方に342m突き出したT字型木造桟橋を建設し先端部即ち西面に連絡船が1隻着岸できるようにした、更に1914年大正3年2月26日には桟橋及び通路拡張し、桟橋北側浚渫して、北面にも1隻着岸できるようにた。1913年大正2年5月函館大火駅本屋類焼したを機に1914年大正3年12月25日には連絡船待合所を桟橋先端付近に新設、翌1915年大正4年6月16日には、この桟橋上まで鉄道延長し函館桟橋乗降場開業、船車連時間画期的短縮図られた。また1914年大正3年12月就航鉄道車両車運丸用桟橋が、木造桟橋の北で、後に第3船入澗となる海岸木製門構え鋼製用いて建設された。 木造桟橋完成後も、貨物荷役には艀が使用され1915年大正4年)には駅裏防波堤周囲埋め立てて第1船入澗が築造され、小蒸気船や艀はここに着岸し中継貨物ホーム建設された。更に、第1次世界大戦1914年1918年)による船腹不足は、海運貨物鉄道への転移招き青函航路増大する貨物需要対応しきれず、混乱状態陥った1921年大正10年)には第1船入澗の北側第2船入澗、第3船入澗が相次いで築造され、第3船入澗には車運丸用の可動橋設置されていたが、これは車運丸終航後1927年昭和2年7月11日から終戦まで函館ドックへの貨車艀桟橋として使用された。 この貨物輸送混乱契機となって青函航路車両航送開始されたが、このため車両渡船岸壁を2バース持つ若松埠頭木造桟橋のすぐ南側建設された。この埠頭建設にあたり1924年大正13年4月25日より木造桟橋西面バース使用停止撤去開始一部客貨便を沖繋り戻し同年5月1日には桟橋乗降場への列車運転停止同年10月1日には若松埠頭先端部岸壁当時は第1岸壁呼称1945年昭和20年6月以降は第2岸壁呼称)が一部竣工し使用開始これに伴い同日木造桟橋は廃止された。同年10月4日には若松埠頭上に建設され鉄筋コンクリート3階建て連絡船待合所1階完成した1面2線の新し函館桟橋駅も使用開始した。翌1925年大正14年5月20日には、同岸壁可動橋竣工したため、同年5月21日より翔鳳丸型による試験車両航送開始され同年8月1日から正式に車両航送開始された。また同年6月1日からは手前側岸壁当時は第2岸壁呼称1945年昭和20年6月以降は第1岸壁呼称)の使用開始されたが、可動橋使用同年9月5日からで、同年10月14日以って若松埠頭築造工事完了した。 これら2岸壁はともに旅客乗降設備備えていた。更に津軽丸(2代)型によって1967年昭和42年6月1日開始され乗用車航送対応するため、第2岸壁左舷船尾岸壁乗用車津軽丸型の遊歩甲板まで上昇させるエレベーター設置された。更に1982年昭和57年4月1日開始石狩丸(3代)型 による乗用車航送のため、同じく第2岸壁左舷船尾岸壁に、津軽丸用のエレベーターのすぐ船首側に隣接して石狩丸型の船楼甲板までのエレベーター設置された。 有川桟橋函館桟橋有川支所青森第3岸壁と同じ理由で1941年昭和16年4月若松埠頭の約3km北の港口近く埋め立てる有川埠頭建設工事着手1944年昭和19年1月3日には埠頭基部有川第1岸壁が、1944年昭和19年11月17日には先端側の有川第2岸壁竣工した。翌1945年昭和20年5月にはそれぞれ函館第3岸壁函館第4岸壁呼称変更された。これに合わせ、有川桟橋直結する五稜郭操車場新設工事1942年昭和17年4月着工され1944年昭和19年9月完成している。 しかし、太平洋戦争勃発と、その後おびただしい商船喪失により、北海道炭の本州への輸送大部分鉄道が担うことになり、青函航路一層の増強求められたこのため有川埠頭では、第4岸壁の裏側に従来とは逆の右舷着けの第5岸壁建設する工事続けられ岸壁本工事完成したが、船尾部未完成で終戦迎えた戦後一向に回復しない青函航路貨車航送能力業を煮やした進駐軍は、1945年昭和20年12月24日、自ら貸与するLST戦車揚陸艦)(排水量計画満載)3,590トン)を速やかに貨車渡船に改装して就航させよ、との命令下したこのため無蓋貨車トム換算20積載LST Q021、LST Q022号のLST改装貨車渡船2隻を使用した貨車航送1946年昭和21年3月31日から開始された。函館側はこの未完の第5岸壁LST岸壁として使用され青森側は当初空襲可動橋大破していた青森第3岸壁使用されたが、7月1日以降は小湊変更された。しかしLST Q022号は翌1947年 1月末、平館海峡東岸、貝埼沖で座礁大破し以後稼働することなく同年8月返還されたが、LST Q021 はその後稼働し1948年昭和23年2月返還された。 戦後有川桟橋函館第3岸壁第4岸壁の2岸壁擁し貨物便専用桟橋として長らく青函航路一角担ってきたが、1970年代後半昭和50年代前半以降の国鉄貨物急激な減少による貨物便削減により、1984年昭和59年2月1日以って廃止された。 小湊桟橋 北海道炭の鉄道輸送対応するため、1943年昭和18年12月着工された。東に突出する長さ128mの突堤両側車両渡船停泊させる2岸壁構造車両渡船桟橋と、その南に隣接して南側突出する機帆船岸壁で、工事遅々として進まず終戦以後工事中断していた。戦後1945年昭和20年12月末、上記進駐軍貸与LST改装車両渡船青森側桟橋に小湊選ばれ、これに対応する桟橋設置工事未完車両渡船桟橋の北側で直ちに開始された。コンクリートケーソン2個を海岸から直角に沈埋してドルフィン代用とし、橋台コンクリート製で、1946年昭和21年3月完成し小湊駅からの小運転線利用で、1946年昭和21年7月1日から、運航開始された。しかし片道8時間もかかる上、給油のため往復8日もかけて横須賀まで戻らなければならないなど問題多く1948年昭和23年2月には運航休止となったこの間本来の車両渡船桟橋や機帆船岸壁工事再開され機帆船岸壁青函航路補完石炭魚類雑貨輸送機帆船一時活況呈していた。また東北本線小湊-清水川間には、小湊桟橋航送貨車を扱う小湊操車場が、桟橋と同じ1943年昭和18年12月着工されており、そこから桟橋に至る臨港線工事含め1948年昭和23年10月27日竣工したが、翌1949年昭和24年)からは撤去工事開始された。この直前1948年昭和23年10月10日、ほぼ完成した小湊桟橋左舷着け岸壁では第六青函丸による着岸試験行われたが、以後工事見合され、本格的な車両航送行われないまま、1949年昭和24年7月15日、桟橋は業務停止となった。 なおLST用桟橋跡と、ほぼ完成しながら放棄された車両渡船桟橋、機帆船桟橋は平内町大字東滝浅所にあり、現在は漁港となっている。 代行貨物輸送等 1949年昭和24年2月3月岩手県内山田線における、前年9月アイオン台風被害により孤立した機関車貨車を、宮古港から仮設可動橋により船積みし青森まで十勝丸(初代)航送した。5往復機関車8両、貨車55両(資料によっては61両)。 1966年昭和41年8月集中豪雨による東北本線奥羽本線不通のため、空知丸(初代)による函館 - 川崎貨車22バラ輸送檜山丸(初代) 車両甲板枕木敷きつめ青函トラック輸送が行われた。 1967年昭和42年9月室蘭本線豊浦 - 洞爺間が集中豪雨不通となったため、9月28日10月11日貨車バラ積み輸送10月1218日室蘭港未使用橋梁運び込ん仮設可動橋設置し青森との間で車両航送が行われた。使用船は檜山丸(初代)空知丸(初代)これらのほかに、鉄道不通区間代行として旅客のみの航路輸送なども行った青森桟橋航空写真1975年)。車両航送開始以前にハシケ着岸させていた第2船入澗は、第1岸壁前水面の東側半分付近に位置した駅西側入江貨物ハシケ用の第1船入澗で、かつ車運丸可動橋設置されていた。入江北側弧を描く岸壁線は昔の防波堤である。青森第1岸壁長さ137m、第2岸壁は284m、第3岸壁は165mであった第3岸壁建設以前は、第2岸壁北端手前付近から西防波堤東へ延びていた。画面右端にわずかに見えるのが旧北防波堤で、現在はこれより南側埋め立てられ公園になっている。なおこの写真で第1岸壁停泊中の津軽丸連絡船船尾右舷へ、乗用車積載斜路伸びているが、この斜路途中で東方へ向か臨港線も跨いでいる第2岸壁停泊船も津軽丸型で、第3岸壁停泊船は旧型ディーゼル船檜山丸型である。また第2岸壁先端付近に綱取り艇、第1岸壁向かい安方岸壁には補助汽船停泊している。 函館桟橋航空写真1976年)。若松埠頭北側入江が第1船入澗で、その防波堤北側岸壁が、国営航路開設時の駅裏防波堤であった。ここの東側岸壁の線が開設時の海岸線であった。この北側には、第2船入澗、車運丸可動橋設置されていた第3船入澗もあったが、既に埋め立てられ函館運転所となっていた。木造桟橋は函館第1岸壁可動橋付近から342m西方へ延び若松埠頭先端に並ぶ位置まで達していた。第1岸壁長さは125mで、第2岸壁建設当初は108mと短く1959年に40m延長して148mとなった。この写真で埠頭先端から突出したこの延長部分確認できるその後1982年に更に17m延長して165mとなった。なお第2岸壁停泊船は津軽丸型で、若松埠頭南面西面には補助汽船綱取り艇が停泊している。1924年10月に連絡船待合所1階建設され1面2線の函館桟橋ホームは、1976年当時函館駅3・4番線ホーム南西側約半分相当し写真の桟橋待合所から同ホーム真上通って駅本屋向か通路が同ホームから南東に外れるあたりまでの長さであった一方1924年10月当時函館駅ホームは、1976年当時函館駅1・2番ホーム本屋跨線橋から北東側のみの1面2線で、この函館桟橋駅と函館駅の両ホーム複線で直列に繋がり途中両渡り線設置していたが、線路容量増大のため、1930年11月函館桟橋ホーム本屋跨線橋まで延長して函館駅3・4番線とし、従来からの1・2番線と並列配置にして2面4線とした。 有川桟橋航空写真1976年)。函館第3岸壁第4岸壁はともに長さ170mであった第3岸壁には津軽丸型が、第4岸壁には渡島丸型が停泊し、第5岸壁北の船入澗には補助汽船綱取り艇が停泊している。 国土交通省 国土地理院 地図空中写真閲覧サービス空中写真を基に作成

※この「桟橋」の解説は、「青函連絡船」の解説の一部です。
「桟橋」を含む「青函連絡船」の記事については、「青函連絡船」の概要を参照ください。


桟橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 06:09 UTC 版)

マリオカート ツアー」の記事における「桟橋」の解説

GBA プクプクアイランド」に登場する縁でジャンプアクションができる。

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桟橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/08/21 09:21 UTC 版)

うらが海の駅」の記事における「桟橋」の解説

浦賀港では2導灯向かって針路291.5度で進む。

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桟橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/13 13:57 UTC 版)

よこはま・しんやました海の駅」の記事における「桟橋」の解説

専用ビジター桟橋を持つ。係留無料電話問い合わせてから桟橋を利用する。 船で行けるレストランとして海の駅となっている。 北緯352631東経1393940秒 / 北緯35.44194度 東経139.66111度 / 35.44194; 139.66111 (タイクーン) 横浜東部 - 地理院地図 タイクーン - Google マップ

※この「桟橋」の解説は、「よこはま・しんやました海の駅」の解説の一部です。
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桟橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/03 02:55 UTC 版)

ゆめのしま海の駅」の記事における「桟橋」の解説

ビジターバース数約12隻、宿泊が可能。24時間365日入出港可能。 海から行場合三枚洲注意北緯3539分7秒 東経1394937秒 / 北緯35.65194度 東経139.82694度 / 35.65194; 139.82694 (東京夢の島マリーナ) 東京南部 - 地理院地図 東京夢の島マリーナ - Google マップ

※この「桟橋」の解説は、「ゆめのしま海の駅」の解説の一部です。
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「桟橋」の例文・使い方・用例・文例

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