掃海艇
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掃海艇(そうかいてい 英語: Minesweeper)は、機雷の掃海を任務とする軍艦。任務が重複する機雷掃討艇、同任務でより大型の掃海艦についても本項で扱う。
- ^ a b c d 井川宏「掃海艦艇の特質と種類 (掃海艦艇のメカニズム)」『世界の艦船』第427号、海人社、1990年10月、69 - 73頁。
- ^ a b 「船体 (現代の掃海艦艇を解剖する)」『世界の艦船』第427号、海人社、1990年10月、76 - 79頁。
- ^ a b 大平忠「機雷処分具 (現代の掃海艦艇を解剖する)」『世界の艦船』第427号、海人社、1990年10月、96 - 99頁。
- ^ 黒川武彦「センサー (現代の掃海艦艇を解剖する)」『世界の艦船』第427号、海人社、1990年10月、88 - 91頁。
- ^ 髙橋陽一「機雷戦艦艇 (特集 自衛艦2014) -- (自衛艦の技術と能力)」『世界の艦船』第790号、海人社、2014年1月、136-139頁、NAID 40019881926。
- ^ 多田智彦「欧米の新しい対機雷戦システム (特集 新しい対機雷戦)」『世界の艦船』第631号、海人社、2004年9月、82 - 89頁、NAID 40006349316。
- ^ 「各国新型掃海艇のプロフィール (新しい掃海艇)」『世界の艦船』第351号、海人社、1985年6月、76 - 83頁。
- ^ a b c 廣郡洋祐「新型掃海艇「えのしま」の明細」『世界の艦船』第764号、海人社、2012年8月、163 - 169頁、NAID 40019366569。
- ^ 「写真特集 今日の掃海艦艇」『世界の艦船』第427号、海人社、1990年10月、39 - 51頁。
- ^ a b 大原信義「推進装置 (現代の掃海艦艇を解剖する)」『世界の艦船』第427号、海人社、1990年10月、80 - 83頁。
- ^ 高橋陽一「掃海・掃討作業の実際 (特集・海上自衛隊の掃海能力)」『世界の艦船』第823号、海人社、2015年10月、78-83頁。
- ^ 井川宏 著「第二章 対機雷戦の装備」、航路啓開史編纂会 編『日本の掃海-航路啓開五十年の歩み』図書刊行会、1992年、152 - 157頁。ISBN 4-336-03357-9。
- ^ 井川宏 著「第三章 現代掃海部隊の作戦と訓練」、航路啓開史編纂会 編『日本の掃海-航路啓開五十年の歩み』図書刊行会、1992年、158 - 163頁。ISBN 4-336-03357-9。
掃海艇
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「海上自衛隊のC4Iシステム」の記事における「掃海艇」の解説
海上自衛隊の掃海艦艇は、やえやま型(01MSO)よりシステム化に着手した。当初はアメリカ海軍の深々度掃討装置の一環として、AN/SSN-2(V)精密統合航法システム(precision-integrated navigation system, PINS)の導入が検討されていたが、開発の遅延と予算との絡みもあって、国産の掃討用戦闘指揮システム(Mine Countermeasures Direction System, M-CDS)を導入することになった。日立造船では、日立製作所と共同で、海幕研究室の指導のもと、イギリス海軍のハント型掃海艇の情報処理装置(Central Control System)を参考にして日本版の中央管制システムの研究を開始し、1984年には官民による新掃海システム・スタディー委員会が発足して、掃海艦に求められるシステムの検討が開始された。その成果を踏まえたシステムは、01MSOにおいて、指揮支援装置として装備された。 また1980年代後半からは、海幕装備体系課の指導の元、M-CDS勉強会が発足し、次世代の掃海艇での情報処理装置についての検討が重ねられた。このとき、イギリス海軍のNAUTIS情報処理装置が俎上に載せられたが、同機はブリテン諸島周辺海域の対機雷戦環境に対応したものであり、日本では必ずしも合致しないと判断されたことから、勉強会の成果は保留され、情報収集というかたちで中断されていた。 しかし1991年の自衛隊ペルシャ湾派遣を受けて、状況は一変した。この時点の海自の対機雷戦能力ではMANTA機雷への対処能力が不足しており、また同世代の欧米諸国軍と比して、艇の安全性や処分作業の自動化・省力化にも大きな立ち遅れがあると判断されたことから、M-CDSの新型化も焦眉の急となった。1992年より海幕において、平成6年(1994年)度計画で建造する掃海艇(06MSC)における対機雷戦システムの研究が着手された。研究にあたっては、当時の欧米諸国掃海艇のなかでは最新であったイギリス海軍のサンダウン級機雷掃討艇がモデルとして採択され、1995年3月には2番艇「インバネス」への乗艦研修を含むイギリスでの現地調査が行われた。 この成果を踏まえて、すがしま型(07MSC)では、イギリス海軍のサンダウン級機雷掃討艇のシステムが導入されたことから、情報処理装置も、同級と同じく、英GECマルコーニ社のNAUTIS-Mが搭載された。これはサンダウン級用に開発されたもので、iAPX-286マイクロプロセッサと4~16メガバイトのRAMを備えた3台のコンソールからなっており、レーダーや機雷探知機などと連接されて、航海情報管理、また対機雷戦計画・評価支援機能を備えていた。 これと並行して、平成6年(1994年)度からは、NAUTIS-Mに範をとって、一部を除き国産化したOYQ-201掃海艇情報処理装置の開発が開始された。これはひらしま型(16MSC)より装備化されており、S-10操作用コンソール、機雷探知機用コンソール、CIC指揮官用コンソール、艦橋コンソール、および司令部CICコンソールにより構成されている。S-10等の武器管制機能のほか、航海情報管理、また対機雷戦計画・評価支援機能を備えている。
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掃海艇
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「第二次世界大戦中のアメリカ海軍の喪失艦一覧」の記事における「掃海艇」の解説
艦名場所日付原因補足出典ビッターン (Bittern, AM-36) カヴィテ 1941年12月10日 第一航空隊の空襲 バンティング (Bunting, AMc-7) サンフランシスコ湾 1942年6月3日 哨戒艇PC-569と衝突 クロウ (Crow, AMc-20) ピュージェット湾 1943年8月23日 魚雷が誤って命中 エモンズ (Emmons, DMS-22) 北緯26度48分 東経128度04分 / 北緯26.800度 東経128.067度 / 26.800; 128.067 (エモンズ (Emmons, DMS-22)) 1945年4月7日 神風特別攻撃隊の攻撃(菊水作戦) 掃海駆逐艦救難断念の上、砲撃処分 フィンチ (Finch, AM-9) コレヒドール島沿岸 1942年4月10日 空襲により座礁放棄 日本側で浮揚され第103号哨戒艇として就役。1945年1月12日沈没 ホーンビル (Hornbill, AMc-13) サンフランシスコ湾 1942年6月30日 製材用スクーナーと衝突 ホーヴェイ (Hovey, DMS-11) 北緯16度20分 東経120度10分 / 北緯16.333度 東経120.167度 / 16.333; 120.167 (ホーヴェイ (Hovey, DMS-11)) 1945年1月6日 航空雷撃 掃海駆逐艦 オスプレイ (Osprey, AM-56) 北緯50度12分 西経01度20分 / 北緯50.200度 西経1.333度 / 50.200; -1.333 (オスプレイ (Osprey, AM-56)) 1944年6月5日 触雷 パーマー (Palmer, DMS-5) 北緯16度20分 東経120度10分 / 北緯16.333度 東経120.167度 / 16.333; 120.167 (パーマー (Palmer, DMS-5)) 1945年1月7日 空襲 掃海駆逐艦 ペンギン (Penguin, AM-33) グアムアプラ港 1941年12月8日 空襲(グアムの戦い) ペリー (Perry, DMS-17) 北緯06度53分 東経134度10分 / 北緯6.883度 東経134.167度 / 6.883; 134.167 (ペリー (Perry, DMS-17)) 1944年9月13日 触雷 掃海駆逐艦 ポーテント (Portent, AM-106) 北緯41度23分 西経12度43分 / 北緯41.383度 西経12.717度 / 41.383; -12.717 (ポーテント (Portent, AM-106)) 1944年1月22日 触雷 クアイル (Quail, AM-15) コレヒドール島沖 1942年5月5日 自沈処分 ロング (Long, DMS-12) 北緯16度12分 東経120度11分 / 北緯16.200度 東経120.183度 / 16.200; 120.183 (ロング (Long, DMS-12)) 1945年1月6日 神風特攻隊の攻撃 掃海駆逐艦 サリュート (Salute, AM-294) 北緯05度07分 東経115度04分 / 北緯5.117度 東経115.067度 / 5.117; 115.067 (サリュート (Salute, AM-294)) 1945年6月8日 触雷 センティネル (Sentinel, AM-113) シチリア島リカータ沖 1943年7月11日 触雷(ハスキー作戦) スキル (Skill, AM-115) 北緯40度20分 東経14度35分 / 北緯40.333度 東経14.583度 / 40.333; 14.583 (スキル (Skill, AM-115)) 1943年9月25日 発射元不明の魚雷 スカイラーク (Skylark, AM-63) 北緯26度20分 東経127度41分 / 北緯26.333度 東経127.683度 / 26.333; 127.683 (スカイラーク (Skylark, AM-63)) 1945年4月28日 触雷 スワロー (Swallow, AM-65) 北緯26度10分 東経127度12分 / 北緯26.167度 東経127.200度 / 26.167; 127.200 (スワロー (Swallow, AM-65)) 1945年4月28日 神風特攻隊の攻撃(菊水作戦) スワーヴ (Swerve, AM-121) 北緯41度31分 東経12度28分 / 北緯41.517度 東経12.467度 / 41.517; 12.467 (スワーヴ (Swerve, AM-121)) 1944年7月9日 触雷 タナガー (Tanager, AM-5) コレヒドール島沖 1942年5月4日 日本軍砲台の砲撃 タイド (Tide, AM-125) 北緯49度37分 西経01度05分 / 北緯49.617度 西経1.083度 / 49.617; -1.083 (タイド (Tide, AM-125)) 1944年6月7日 触雷 ヴァラー (Valor, AMc-108) 北緯49度37分 西経01度05分 / 北緯49.617度 西経1.083度 / 49.617; -1.083 (ヴァラー (Valor, AMc-108)) 1944年6月29日 護衛駆逐艦「リチャード・W・スーセンス(英語版)」と衝突 ワスマス (Wasmuth, DMS-15) アリューシャン列島海域 1942年12月29日 荒天および事故 掃海駆逐艦1942年12月27日に自己の爆雷が落下して爆発、大破
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