フィールドワーク
(現地調査 から転送)
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フィールドワーク(英: field work)は、ある調査対象について学術研究をする際に、そのテーマに即した場所(現地)を実際に訪れ、その対象を直接観察し、関係者には聞き取り調査やアンケート調査を行い、そして現地での史料・資料の採取を行うなど、学術的に客観的な成果を挙げるための調査技法である。地学や地理学では巡検ともいう。
概要
フィールドワークは、日本語で現地調査(実地調査)ということがあるが、上記のような定義にしたがった調査技法を用いる場合は「フィールドワーク」との表記が一般的である。また、フィールドワークを行う調査者のことを「フィールドワーカー」、聞き取りやアンケートの対象者(情報提供者)のことを「インフォーマント」あるいは「話者」という。
フィールドワークは、学問的に客観的な成果を求める活動であるため、自身の見聞を広めるだけのいわゆる旅行や、学問的な手法に拠らずに未開・未踏の土地の実態を明らかにするだけの冒険とは一線を画する。
このように研究者が専門的に行うフィールドワークのほか、「自然の家」などと称される青少年育成機関が児童向けに行っている自然観察行事、海外での異文化体験なども広くフィールドワークと呼ばれることがある。
生物学系では実際の生態を観察できるため、生息する環境での生態や他の生物との関係など実験室の動物実験では再現が難しいデータを取得することができる。一方で実験室のように環境を画一化することが難しいため、データにばらつきが生じたり環境の変化や絶滅により調査自体が不可能となることも多い[1]。現代の生物学では実験室で研究する者とフィールドワークを主体とする者に二分される[1]。特に動物行動学はフィールドワークが重要となる分野である。
地学系では、「巡検」という名で市民対象の行事の一つとして行うことがある。多くは、鉱物採取や化石採取、地層観察などであるが、社会教育の一環として、化石友の会といった同好会や博物館などが主催している。参加者から見れば、趣味やレクリエーションの延長上の野外活動として位置づけている。
近年、フィールドワークという研究手法が広く発達・普及し、より包括的にその特性を捉えるのが困難になっているという兆候がみられる。また、「フィールドワーク」という用語が専門的な研究以外にも(やや安易に)用いられるようにもなった。そこで、「フィールドスタディ」(field study、複数形でstudiesとも)という表現も現れるようになった。
対象と方法
対象
フィールドワークの実施対象は多岐にわたる。人文諸科学における直接の対象は人(個人、集団、社会、民族、あるいは国家)であり、自然科学における対象はモノ(自然物など)である。ある特定の対象を研究する場合も、テーマや目的など、調査者の関心は多様でありうる。
人文諸科学において、フィールドワークを実施する対象地は、こうした調査者の関心の多様さを反映している。文化人類学の典型的なイメージともいえる「未踏の地で生活する先住民」といった、調査者にとってはまったくの異文化である海外の少数民族社会であることもあれば、調査者にとっての生活圏内であることもある。その例として、前者であればトロブリアンド諸島を対象としたマリノフスキーの研究『西太平洋の遠洋航海者』[2]があり、後者には暴走族を調査対象とした佐藤郁哉の研究『暴走族のエスノグラフィー』[3]やヤコブ・ラズの『ヤクザの文化人類学』などがある。
自然科学の分野では、対象となる動植物の生息地や地層が露出している場所に赴くことになるが、現地の住民も訪れない僻地や砂漠や極地など人間の生存に適さない場所も多く、調査には多額の資金が必要となる[1]。かつてはチャールズ・ダーウィンやプロスペル・ガルノーなどの生物学や博物学に興味を持つ医師が、世界各地に向かう調査団や捕鯨船に船医兼科学者として同行し、寄港地で動植物の調査・収集を行うのが主体だった。現代では研究者が研究のために向かうのが一般的である。記録を取るために屋外での使用に適した野帳と呼ばれるノートを使用することが多い。
方法
- 調査者(フィールドワーカー)
- 当該対象の調査を実施するフィールドワーカーは、個人で調査地に赴く場合もあれば、一大調査団を結成して現地に調査本部を立ち上げるような大規模なものもある。マリノフスキーやエヴァンス・プリチャード[4]、レイモンド・ファース[5]らの文化人類学の古典的研究は、前者の代表的な例である。一方、後者の例としては、1950年に8つ(翌年には9つ)の学会が連合して行った対馬学術調査団[6]などがある。
- 地域によっては英語や公用語も通じないことがあり、現地語の習得かガイドの雇用が必須となる場合が多い[1]。異文化社会の調査では現地語での会話力や読解力が乏しい場合、下記の文献調査や聞き取り調査で重大な支障を招くことがある。
- 調査期間も、日帰りから数年に及ぶ長期滞在型まで幅広い。社会人類学者の中根千枝は、異文化社会のフィールドワークの場合、その社会における発達段階を把握するため、そして、その社会で起こるイベント(出来事、祭礼、儀式など)を調査者が見逃す場合があるため、最低2年の現地滞在が必要であると指摘している[7]。
- 文献調査
- アンケート調査
- 参与観察
- 聞き取り調査
- 調査報告書
- フィールドワークの主要な成果は、それにもとづいて完成された報告書(一例として民族誌など)によって問われることになる。
- 実験・捕獲
- スケッチ・映像記録
関連する学問分野
- 人文科学
- 自然科学
- 医学
- 南極大陸には各国が南極観測隊を送り込んでおり、自然科学の各分野についてフィールドワークが行われている。
- 経済学や文学などでフィールドワークが重視され、広範な分野の学問にこの技法が導入されるようになった[10]。
脚注
- ^ a b c d e f g 前野浩太郎 (著) バッタを倒しにアフリカへ 光文社新書 2017年
- ^ Malonowski,B., Argonauts of the Western Pacific, London : Routledge and Kegan Paul, 1922.(寺田和夫ほか訳 「西太平洋の遠洋航海者」、泉靖一・増田義郎編訳 『マリノフスキー・レヴィ=ストロース』、中央公論社<世界の名著59>、1967年)。
- ^ 佐藤郁哉 『暴走族のエスノグラフィー』、新曜社、1984年。
- ^ Evans-Pritchard, The Nuer, Oxford : Clarendon Press, 1940.(向井元子訳 『ヌアー族』、岩波書店、1978年)
- ^ Raymond Firth, We, the Tikopia, London : George Allen and Unwin, 1936.
- ^ 九学会連合編 『漁民と対馬 - 共同研究』、関書院、1952年。
- ^ 中根、1987年、22頁以下。
- ^ 佐藤、1992年、123-128頁。
- ^ 佐藤、1992年、140-145頁。
- ^ その一例として、経済学者・中西徹によるフィリピンのスラム経済に関する研究(1991年)、を参照。
参考文献
- 中根千枝『社会人類学 アジア諸社会の考察』東京大学出版会、1987年 ISBN 4-13-052010-5
- 中西徹『スラムの経済学 フィリピンにおける都市インフォーマル部門』東京大学出版会、1991年 ISBN 4-13-046042-0
- 佐藤郁哉『フィールドワーク 書を持って街へ出よう』新曜社<ワードマップ>、1992年 ISBN 4-7885-0428-6
- ピーコック,J.L.(今福龍太訳)『人類学とは何か』岩波書店<同時代ライブラリー144>、1993年 ISBN 4-00-260144-7 (原著は James L. Peacock, The Anthropological Lens - Harsh Lights, Soft Focus, Cambridge University Press, 1986)
- 前野浩太郎 (著) 『バッタを倒しにアフリカへ』 光文社新書 2017年 ISBN 978-4334039899
関連項目
外部リンク
- フィールドワーク(fieldwork) - 大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授・池田光穂による解説
現地調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 05:16 UTC 版)
「マレーシア航空17便撃墜事件」の記事における「現地調査」の解説
墜落の数時間後、ウクライナ、ロシア、OSCEによる三者連絡グループ会談が招集された。航空機が墜落した地域を支配しているドネツク人民共和国 (DPR) に所属する反政府勢力の代表者とビデオ会議を開いた後、反政府勢力はウクライナ当局およびOSCE監視団と協力して「国家調査委員会」に「安全な往来と安全保証を提供する」と約束した。調査最初の 2日間、人民兵はOSCEおよびウクライナ緊急事態省(ウクライナ語版)の作業者が墜落現場で自由に作業するのを妨害していた。DPRの指導者アンドレイ・パーギン(ウクライナ語版)は、後になって「ウクライナ政府が停戦合意を締結すれば直ちに現場の国際的専門家の安全を保証する」と宣言した。 事故翌日の7月18日までに、フライトデータレコーダーとコックピットボイスレコーダーは分離主義者によって回収されており、3日後にドネツィクでマレーシア当局に引き渡された:44。ボイスレコーダーは破損していたが、データが改竄された証拠はなかった:45。 事故翌日に現場内外の調査を主導したウクライナの国家航空事故調査局は、アムステルダム発の飛行でオランダ人乗客数が多かったため、2014年8月までに調査をオランダ安全委員会 (DSB) に移譲した:14。 2014年7月22日、133人からなるマレーシアの公務員、捜索回収要員、法医学、技術、医療専門家のチームがウクライナに到着した。またオーストラリアは、以前MH370便墜落事故の捜索を監督したアンガス・ヒューストン率いる学識者45人を派遣したほか、合同調査団 (JIT) を支援する約200人の特殊部隊を動員した。イギリスは航空事故調査局 (AAIB) から調査官6人を派遣したほか、同国外務省が追加の領事館員をウクライナに派遣した。オランダ国防省の指揮下で、完全な国際チームが作業を墜落現場で開始するのに7月下旬までかかった。 2014年7月30日、親ロシア反政府勢力が墜落現場への経路を掘って重砲を動かした、とウクライナの代表者が語った。 2014年8月6日、専門家たちは(現地ドンバス地区の戦闘激化による)自分達の安全性懸念から墜落現場を離れた。9月中旬、彼らは現場への経路再確保を試みるも上手くいかなかった。10月13日、オランダとウクライナのチームが犠牲者の私物回収を再開した。11月中旬、墜落現場から残骸の一部を撤去する作業が行われた。MH17の残骸を引き揚げる以前の回収チーム作業は、地元の反政府勢力との同意が取れず満足にできないままだった。この回収作業には 1週間を要し、残骸はオランダに搬送されて捜査官がそこで航空機の一部を再建した。 2015年8月、墜落現場でブーク発射台の可能性がある部品がオランダ主導の合同調査団によって発見された。
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