古墳とは?

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こ ふん [0] 【古墳】

日本三世中頃から七世紀頃まで行われ墳墓石室粘土槨などを築いて副葬品とともに納め、土・礫などで覆って高塚を築いたもの多く当時豪族などが被葬者。形の上から、前方後円墳円墳方墳上円下方墳前方後方墳などがある。
古い墓。昔の人の墓。 「累々たる-のほとり/謡曲藍染川

古墳 (こふん)


古墳

読み方:コフンkofun

古代豪族らの墳墓

別名 高塚


こふん 【古墳】

高く土盛りした古代墳墓世界各地国家的統一初期出現しているが、中国では古墓と呼ぶ。日本では三世紀末から七世紀にかけて壮大なものが造られ、この間古墳時代という。畿内中心として文化発達した時代で、国家としての統治形態形成されていった時期との説もある。大陸影響考えられ、形状円墳方墳前方後円墳前方後方墳上円下方墳双方中円墳双円墳などがある。高塚ともいい、地方により狐塚車塚瓢塚などとも呼ばれた。内部遺骸収める施設があり、副葬品があるのがふつう。一つ一人埋葬でなく関係者追葬したものもある。蒲生君平は古墳の形式分類を作った。

古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/08 15:00 UTC 版)

古墳(こふん)とは、古代の墳墓の1種。土を高く盛り上げた墳丘を持つ墓を指し、特に東アジアにおいて位の高い者や権力者の墓として盛んに築造された。日本史では一般に、3世紀半ばから7世紀代にかけて日本で築造された墓を指す(弥生時代の墓は「墳丘墓」、奈良時代の墓は「墳墓」と呼び区別される)[1]


  1. ^ 「古墳」『日本古代史大辞典』 大和書房、2006年。
  2. ^ 小林の伝世鏡論の筋道は、大体において以下のようなものである。中期や後漢の中国鏡が永く伝世されたものであることを最初に指摘した梅原末治の見解を継承した小林は、鏡の永年伝世行為は単なる秘蔵ではなく、鏡(宝器)の伝世こそは首長が宗教的信望を獲得し、その権威を保証されるという目的に使用されたと推測した。また、それは古墳が出現する前の時代の状況を表していると推定した。そしてこのように大事な鏡(宝器)を古墳に埋納するようになったのは、もはや鏡のもつ神威によって首長の権威が保証される必要がなくなったからであり、古墳の発生は新しい権威の象徴・表徴であると捉えた。
  3. ^ 同じ原形または同一の鋳型から鋳造された鏡
  4. ^ 「古墳発生を巡る諸問題」近藤義郎 増補版『日本考古学研究序説』岩波書店 2001年3月
  5. ^ 兵庫県教育委員会 兵庫県の遺跡・遺物数の全国的な位置(pdfファイル)
  6. ^ 年輪年代法によって棺材料に使われたコウヤマキの実年代が確定すれば、被葬者の没年に近い年代を求める事ができる。現在、コウヤマキの暦年標準パターンは西暦22年から741年まで完成している。「弥生時代の年輪年代」光谷拓実 『弥生時代の実年代』今村峯雄・春成秀爾編 学生社 2004年6月
  7. ^ 「孝徳天皇大化二年三月癸亥朔 甲申、詔日、朕聞、西土之君、戒其民日、古之葬者、因高爲墓。不封不樹。棺槨足以朽骨、衣衿足以朽宍而己。故吾營此丘墟、不食之地 欲使屠代之後、不知其所。無藏金銀銅鐵。一以瓦器、合古塗車・蒭靈之義。棺漆際會三過。飯含無以珠玉。無施珠襦玉柙。諸愚俗所爲也。叉日、夫葬者藏也。欲人之不得見也。廼者、我民貧絶、專由營墓。爰陳其制、尊卑使別。 夫王以上之墓者、其内長九尺、濶五尺。其外域、方九尋、高五尋。役一千人、七日使訖。其葬時帷帳等、用白布。有轜車。上臣之墓者、其内長濶及高、皆准於上。其外域、方七尋、高三尋。役五百人、五日使訖。其葬時帷帳等、用白布。擔而行之。(蓋此以肩擔輿而送之乎)。下臣之墓者、其内長濶及高、皆准於上。其外域、方五尋、高二尋半。役二百五十人、三日使訖。其葬時帷帳等、用白布、亦准於上。大仁・小仁之墓者、其内長九尺、高濶各四尺。不封使平。役一百人、一日使訖。大禮以下、小智以上之墓者、皆准大仁。役五十人、一日使訖。凡王以下、小智以上之墓者、宜用小石。其帷帳等、宜用白布。庶民亡時、牧埋於地。其帷帳等、可用麁布。一日莫停。凡王以下、及至庶民、不得營殯。凡自畿内、及諸國等、宜定一所、而使収埋、不得汚穢散埋慮々。凡人死亡之時、若經自殉、或絞人殉、及強殉亡人之馬、或爲亡人。藏賓於墓、或爲亡人、断髪刺股而誅。如此奮俗。一皆悉斷。或本云、無藏金銀錦綾五綵。又曰、凡自諸臣及至于民、不得用金銀。 縦有違詔、犯所禁者、必罪其族。」(『日本書紀』巻第二十五)
  8. ^ 石川昇「大阪府の前方後円墳地名表」『大阪文化誌16号』 1983年
  9. ^ 石川昇「大和の前方後円墳と体積」『考古学研究121号』考古学研究会 1984年
  10. ^ 石川昇「旦波・山背の前方後円墳と体積」『京都考古40号』 1985年
  11. ^ 梅原末治「応神、仁徳、履中三天皇陵の規模と造営」『書陵部紀要第5号』 1955年
  12. ^ 鈴木啓「史跡亀ヶ森古墳の土量と労働量」『福大史学31号』 1981年 ほか多数
  13. ^ 大林組プロジェクトチーム「現代技術と古代技術の比較による仁徳天皇陵の建設」『季刊大林第20号 王陵』大林組 1985年
  14. ^ 劉徽註『九章算術』の巻第五「商功」中に次の設問がある。「今有冥谷上広二丈袤七丈下広八尺袤四丈深六丈五尺問積幾何 荅曰五万二千尺 載土往来二百歩載輸之間一里程行五十八里六人共車車載三十四尺七寸問人到積尺及用徒各幾何 荅曰人到二百一尺五十分尺之十三 用徒二百五十八人一万六十三分人之三千七百四十六」
  15. ^ 藤井明夫「平面プラン・体積にみる雨の宮1・2号墳」『石川考古学研究会々誌第31号』石川考古学研究会 1988年
  16. ^ 松木武彦「未盗掘古墳と天皇陵」16頁
  17. ^ 松木武彦「未盗掘古墳と天皇陵」73頁
  18. ^ http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a174585.htm
  19. ^ http://mainichi.jp/feature/news/20130220ddf007040010000c.html
  20. ^ 「宮内庁、陵墓の立ち入り調査認める」 asahi.com
  21. ^ http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20130220-OYT1T00481.htm?from=top




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