陵墓
陵墓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 07:37 UTC 版)
「西高穴2号墓」も参照 曹操の埋葬地は長年不明であったが、1998年に中国河南省安陽市安陽県安豊郷西高穴村で発見された後趙時代の武人の墓誌から、同村付近にあると推定され、2005年に発見された同地の大型古陵が墓誌に記された方位と『元和郡県図誌』と合致することから、曹操の陵墓とみなして発掘調査を進めた。 この結果、約740平方メートルの面積の陵墓から、曹操を示す「魏武王」と刻まれた石牌など200点以上の埋葬品や60代前後の男性の遺骨と女性2人の頭部や足の遺骨が発見され、中国河南省文物局が曹操の陵墓であるということを2009年12月27日に発表、中国社会科学院など他の研究機関も曹操高陵の可能性が高いとした。2018年3月には河南省文物考古研究院によりこの陵墓が曹操のものであるとほぼ断定されており、改めて60代前後の男性の遺骨も曹操のもので間違いないと報じられている。 発掘された上あごの歯は虫歯で失ったり欠けたりしているものが多く、死去の際には虫歯や歯周病で多くの歯を失っていた。なお同じ陵墓から発掘された卞夫人(曹操3人目の正室で曹丕の実母)のものと見られる下あごは歯が全て残っていた状態だったとの分析結果があり、卞夫人とは対照的であった。
※この「陵墓」の解説は、「曹操」の解説の一部です。
「陵墓」を含む「曹操」の記事については、「曹操」の概要を参照ください。
「陵墓」の例文・使い方・用例・文例
- >> 「陵墓」を含む用語の索引
- 陵墓のページへのリンク