皇太后とは? わかりやすく解説

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こう‐たいごう〔クワウ‐〕【皇太后】

読み方:こうたいごう

天皇皇后また、天皇皇后で、現天皇生母皇太后宮おおきさき


皇太后

読み方:コウタイゴウ(koutaigou)

天皇の母で后位のぼった者の称。

別名 長楽宮おおきさき


皇太后

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/21 07:00 UTC 版)

皇太后(こうたいごう、: Empress Dowager王太后(おうたいごう、: Queen Dowager)は、先代の皇帝天皇国王皇后であった者、ならびに皇帝・天皇・国王の母親(母后)である者、およびその称号[1]。ただし必ずしもこの定義にあてはまらない事例もある。


  1. ^ 新村出広辞苑 第六版』(岩波書店2011年)936頁および松村明編『大辞林 第三版』(三省堂2006年)858頁参照。
  2. ^ 天皇の退位等に関する皇室典範特例法について”. 首相官邸ホームページ. 内閣広報官. 2019年4月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月30日閲覧。
  3. ^ “新しい天皇陛下が即位 「令和」始まる”. BBC News Japan (英国放送協会). (2019年4月30日). オリジナルの2019年4月30日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190430170450/https://www.bbc.com/japanese/48101947 2019年4月30日閲覧。 
  4. ^ a b 「母后」『広辞苑』(第五版、岩波書店
  5. ^ a b 母后(読み)ハハキサキ デジタル大辞泉


「皇太后」の続きの解説一覧

皇太后

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 08:05 UTC 版)

マリア・フョードロヴナ (アレクサンドル3世皇后)」の記事における「皇太后」の解説

アレクサンドル3世1894年11月1日リヴァディアにおいて49歳死去したマリヤのこの日の日記には次のようにある、「私は完全に打ちのめされ絶望した、それでもサーシャの顔に浮かぶ幸福な笑顔平穏さを見ているうちに、自然と力が湧いてきた」。2日後、姉夫婦ウェールズ公夫妻リヴァディア到着したウェールズ公葬儀準備手伝一方、姉アレクサンドラ悲嘆にくれるマリヤ慰め一緒に祈ったベッド脇で共に眠ったりした。葬儀から1週間後当たったマリヤ誕生日11月26日)、新皇ニコライアリックス改め新皇アレクサンドラ・フョードロヴナ婚礼が行われ、宮廷服喪いくぶん和らげられた。夫の死から日が経つにつれ、マリヤ将来対す楽観的な見方取り戻し、「万事うまくいく」としばしば口にするようになったマリヤアニチコフ宮殿ガッチナ宮殿行き来する生活を始めた1896年5月マリヤニコライ2世夫妻モスクワでの戴冠式列車向かったニコライ皇帝はこのとき皇帝専用車両を新造したので、アレクサンドル3世使用していた臨時御用車両(ボルキ鉄道事故後も無事だった車両一般客車を数両くっつけたもの)は皇太后の専用車とされた。 長男ニコライ治世初期マリヤはしばし新帝政治上の助言者の役割果たしたニコライはまだ国政舵取り自信がなく母の人脈政治的見識頼りがちで、政治決定前に大臣に対して「母の意見聞いて来る」と発言することが多く逆に大臣たちも「お母様お聞きなさい」と勧めたニコライ当初父の任命した閣僚留任させたのは母皇太后の意見聞いてのことだったと言われるマリヤ自分息子精神的に弱く他人意見左右されやすいと思っており、それならば自分影響下に置いた方がましだと考えていた。末娘オリガ母マリヤ政治的役割次のように述懐している、「母は以前国政への関与に]ほとんど興味示しませんでしたが…今や自分使命だと感じようなりました。母は魅力的な人柄でしたし、その行動力には目を見張るものがありました。彼女は帝国政府教育政策精通していましたまた、秘書政治的な業務縛り付けへとへとにさせましたが、自分自身身を削ることはありませんでした委員会出席して退屈しても、その素振りを隠す才能持っていました。彼女の振る舞い就中、彼女の指揮能力には皆がひれ伏しました」。皇太后となったマリヤは、ロシア革命の嵐を起こさないようにするには改革不可避だと確信した廷臣パーヴェル・ベンケンドルフ(ロシア語版伯爵によれば内務大臣任命人事に関してマリヤ息子皇帝保守派から人選ないよう求め一幕があったという。「お一方[皇太后]はもうお一方皇帝]にひざまずんばかりで、今回任命撤回し政治的譲歩出来そう誰か別の人物替えるべきだと主張した。彼女は、もしニコライがこれに同意しないなら、自分デンマーク帰るので、一人でこの難局直面することになる、と言った」。1904年ニコライマリヤ推す自由主義改革派ピョートル・スヴャトポルク=ミルスキー公爵内相任命すると、マリヤはミルスキーに任命を受けるよう説得した、「貴方は私の息子意思に従わねばなりませんよ…[内相に]なってくれたら、キスしてあげます」。しかし同年皇后アレクサンドラ待望男子アレクセイを産むと、ニコライ国政相談相手を母から妻に切り替えたマリヤ初孫の夫となったフェリックス・ユスポフ公爵は、皇太后はロマノフ家に対して絶大な影響力持っていたと証言している。セルゲイ・ウィッテは、皇太后が帝国内政・外政において統率力外交手腕発揮することを願っていた。その極めて優れた社交的手腕にもかかわらず、皇太后は義理の娘のアレクサンドラ・フョードロヴナ皇后手なずけることはできなかった。皇后マリヤ息子ニコライ2世及びロシア帝国降りかかった災難多く原因作った非難されていた。マリヤは嫁アレクサンドラ国民好意得られないこと、4人の娘を立て続け産んで結婚から10年近くの間世継ぎを産めなかったことに失望していた。西欧諸王室とは異質な皇太后は皇后よりも上位置かれるというロシア宮廷慣習マリヤ息子対す独占欲と嫁アレクサンドラへの嫉視、これらが複合的に重なって、姑と嫁の間の対立緊張関係は深まる一方だった。皇后女官ゾフィー・フォン・ブクスヘーヴェデンは2人対立次のように見ていた、「[2人が]互い理解し合うようになるには…実際に衝突しなければ根本的に不可能だ思っていた」。マリヤ次女オリガ大公女も、「両者互い理解し合おうとしたが失敗した2人性格、生活上の作法装いなど、全てが完全に異質だった」としている。マリヤダンス得意な社交名人多くの人を惹きつける人柄だったのに対しアレクサンドラ知性優れたモデルのような美人で、非常に内気だったのでロシア国民に近づこうとしなかった。 1900年代になると、マリヤ外国で過ごすことが多くなった。1906年に父クリスチャン9世死去した直後マリヤは姉のイギリス王妃アレクサンドラ共同で、コペンハーゲン郊外のヴィズウーア城(デンマーク語版)を購入した。翌1907年英露協商成立ロシアイギリスの関係が劇的に良好になると、マリヤ1873年以来初めて、姉夫婦英国王エドワード7世夫妻賓客としてイギリス迎えられた。1908年年明けにも英国訪れ同年夏は英国王夫妻ロシア迎えた1910年マリヤ義兄エドワード7世葬儀参列するため再度イギリス訪問したマリヤはこの時、ロシア宮廷慣習を例に出して王太后となったアレクサンドライギリス宮廷における席次を、アレクサンドラの嫁メアリー王妃より上位に置くべしと主張したが、容れられなかった。 マリヤ・フョードロヴナは、フィンランドキュミ川(英語版)の急流沿いに建てられたランギンコスキ(英語版山荘所有者でもあり、フィンランド人好意的だったことでも知られている。フィンランドロシア化英語版政策最初に進められ時代マリヤ息子ニコライ2世フィンランド大公国自治権停止宣言思い止まるよう訴え不人気なフィンランド総督ニコライ・ボブリコフ解任するよう求めた2度目ロシア化政策時代マリヤ第一次世界大戦開戦に際して滞在先のフィンランドからペテルブルク帰還した際にも、当時フィンランド総督フランツ・アルベルト・セイン(英語版)が演奏禁止したフィンランド軍歌『ポリ連隊行進曲英語版)』及びフィンランド国歌我等の地』を、出迎えオーケストラ敢えて演奏させ、ニコライ2世フィンランド人抑圧政策反対であることを表明した1899年肺結核患っていた次男ゲオルギー療養先のカフカース亡くなった葬儀のあいだ、皇太后は平静保っていたが、葬儀が終わるや否やの上載せられていた息子帽子掴んで教会堂飛び出し馬車乗り込んで激しく泣きじゃくった。2年後マリヤ求婚者が一向に現れない末娘オリガに、ピョートル・アレクサンドロヴィチ・オリデンブルクスキー公爵との不幸極まりない縁組をさせた。熱心な正教信者ニコライ2世は妹の求め結婚解消長く許可しなかったが、第一次大戦中の1916年にようやく折れたオリガがニコライ・クリコフスキー(英語版)との身分違い再婚を望むと、マリヤニコライ2世一緒になって思いとどまるよう説得したが、さすがに後ろめたくもあって強く出ることはしなかった。1916年11月マリヤは娘オリガ2度目の結婚式に出席した数少ない客の1人となった1912年にも、マリヤニコライ2世一緒になって、末息子ミハイル愛人との秘密結婚発覚激怒した。 マリヤ・フョードロヴナは皇帝夫妻に近づいたグリゴリー・ラスプーチンを「危険な詐欺師」と呼んで嫌い、ラスプーチン言動皇帝威信を傷つけ始めると、皇帝夫妻ラスプーチン側近から除くよう忠告した皇帝がこれに沈黙したままなのに対し皇后が「それはできない」と返答すると、マリヤ皇后こそが国の本当統治者になっている見なし同時に皇后にはそのような立場に立つ能力欠けていることを嘆いた。「私の愚かな嫁は王朝自分自身破滅へと導いていることに気付いていない。彼女は本気であんな山師聖性とやらを信じ込み私たち迫りくる破局に対して無力です」。1914年2月皇帝アレクサンドラ説得聞き入れて首相ウラジーミル・ココフツォフ解任すると、マリヤは「そのようなことをしては皇后ロシア真の統治者だと見なされて文句言えませんよ」と息ニコライ皇帝非難した。そしてココフツォフを引見して言った、「嫁は私を憎んでます。私が彼女の権力嫉妬しているのだと考えているんです。彼女は私の願い息子幸福だということ気付いていない。破局が近づいているのに皇帝阿諛追従しか耳に入れようとしない…どうか、ご自分考え把握している一切皇帝打ち明けてほしいのよ…それがもう手遅れだとしても」。

※この「皇太后」の解説は、「マリア・フョードロヴナ (アレクサンドル3世皇后)」の解説の一部です。
「皇太后」を含む「マリア・フョードロヴナ (アレクサンドル3世皇后)」の記事については、「マリア・フョードロヴナ (アレクサンドル3世皇后)」の概要を参照ください。

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皇太后

出典:『Wiktionary』 (2021/08/13 05:41 UTC 版)

名詞

こうたいごう

  1. 先代天皇皇帝きさき

関連語


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