赤坂離宮とは? わかりやすく解説

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あかさか‐りきゅう【赤坂離宮】


迎賓館赤坂離宮

(赤坂離宮 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/04/14 06:27 UTC 版)

迎賓館赤坂離宮
迎賓館赤坂離宮本館
情報
旧名称 東宮御所
用途 国賓等の歓迎、宿泊施設
旧用途 東宮御所
設計者 片山東熊
管理運営 内閣府
構造形式 鉄骨補強煉瓦石造
敷地面積 117,000 m²
延床面積 15,000 m²
高さ 地上2階、地下1階
竣工 1909年(明治42年)
所在地 東京都港区元赤坂二丁目1番1号(北緯35度40分48秒 東経139度43分43秒 / 北緯35.68000度 東経139.72861度 / 35.68000; 139.72861 (赤坂迎賓館)
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日本行政機関
迎賓館
State Guest Houses
役職
館長 伊藤信
組織
上部組織 内閣府
内部部局 総務課
接遇課
運営課
地方機関 京都事務所
概要
定員 52人
設置根拠法令 内閣府本府組織令
内閣府本府組織規則
設置 1974年
前身 東宮御所
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迎賓館赤坂離宮(げいひんかんあかさかりきゅう)は、東京都港区元赤坂にある日本迎賓館赤坂迎賓館とも呼ばれる。国賓を迎える施設で、行政官庁としては、内閣府の施設等機関として置かれている。

本館は2009年(平成21年)、国宝に指定された。

沿革

敷地は元紀州藩屋敷跡で、明治6年の宮城火災から明治21年の明治宮殿完成までの15年間、明治天皇の仮皇居が置かれていた地である。迎賓館の建物は、東宮御所皇太子の住まい)として1899年(明治32年)に着工、1909年(明治42年)に竣工した。

設計は宮内省の建築家片山東熊(とうくま)による。片山は工部大学校の第1期生で、鹿鳴館などを設計したお雇い外国人建築家ジョサイア・コンドルの教え子である。設計のため各国の宮殿を視察し(1897年、1899年)、当時の美術家や技術者を動員して建設に当たった。

しかしネオ・バロック様式の華美な宮殿は明治天皇の不興を買い[1]、住居としての使い勝手が必ずしも良くなかったことから皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)がこの御所を使用することはほとんどなかった。嘉仁親王が天皇に即位した後は離宮として扱われることとなり、名称も赤坂離宮と改められた。

1922年(大正11年)に英国の皇太子(後のエドワード8世)が来日した際は宿舎となり、1924年、大正天皇の皇子・皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)と良子女王(後の香淳皇后)との婚儀が成ると、その後の数年間、赤坂離宮は裕仁親王一家の住居たる東宮御所として使用された。裕仁親王が天皇に即位した後は離宮として使用されることも稀になったが、1935年(昭和10年)4月と1940年(昭和15年)6月には、訪日した満州国皇帝溥儀の宿舎となった。太平洋戦争終戦時には高松宮宣仁親王が昭和天皇に、宮城焼け跡の御文庫を出て赤坂離宮へ移り住むことを提案したが、天皇は使い勝手が悪く経費がかさむとして拒否している。

戦後は敷地内で麦の栽培や山羊の飼育が行われ、1947年6月20日には、昭和天皇が麦刈りを行っている[2]。その後、赤坂御用地の敷地や建物は皇室から国に移管され、国立国会図書館1948年-1961年)、法務庁法制意見長官(1948年-1960年)、裁判官弾劾裁判所(1948年-1970年)、内閣憲法調査会(1956年-1960年)、東京オリンピック組織委員会(1961年-1965年)などに使用された。

その後国際関係が緊密化して外国の賓客を迎えることが多くなり、また1955年(昭和30年)から国公賓宿舎として使用していた東京都港区白金台の白金迎賓館(旧朝香宮邸、現・東京都庭園美術館)は手狭で随行員が同宿できないといった支障があったため、1962年(昭和37年)に当時の池田勇人首相の発意によって新たに迎賓施設を整備する方針が閣議決定された。

これを受けて、池田及び池田の後継として1964年(昭和39年)に首相に就任した佐藤栄作の2代の政権下で政府部内で検討を重ねた結果、『旧赤坂離宮を改修し、これを外国賓客に対する迎賓施設に供する』ことが、1967年(昭和42年)に決定された。こうして5年の歳月と108億円(工費101億円、内装費7億円)をかけて、本館は村野藤吾、和風別館は谷口吉郎の設計協力により、田中角栄政権当時の1974年(昭和49年)3月に現在の迎賓館が完成した。新装なった迎賓館に迎えた最初の国賓は、1974年11月に現職のアメリカ合衆国大統領として初来日したジェラルド・フォードだった。

1979年(昭和54年)6月28日、29日、第5回先進国首脳会議(東京サミット)の会場となる。サミット開催に当たっては反対運動が繰り広げられ、6月8日未明には迎賓館正門にめがけて無人の小型トラックが突進、手前の街路樹に衝突して炎上するテロ事件も発生した(中核派が犯行声明)[3]

2006年(平成18年)から2008年(平成20年)にかけて、大規模な改修工事が行われた[4]。工事が終了した2009年(平成21年)12月8日、旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)として国宝に指定。明治以降の文化財としては初の国宝となった。

2011年(平成23年)に3日だけ一般公開。2015年(平成27年)菅義偉官房長官は、観光立国の実現に向け、迎賓館赤坂離宮を視察。来年から一般公開を大幅に拡充することを発表する。

2016年(平成28年)4月から通年で一般公開、12月にはライトアップが行われた。来館者は2016年度で約76万5000人、2017年度で約58万3000人[5]

施設

本館

イギリスバッキンガム宮殿フランスヴェルサイユ宮殿などが特に参考にされたと言われる[5]。正面の外観は左右の壁を大きく湾曲させ前に張り出した構成で、ほぼ同時代に建てられたウィーンの新宮殿(1881年-1913年)に類似している。また、庭園側の列柱はルーブル宮殿東ファサード(1665年-1680年)を思わせる[6]

主要な部屋の装飾は主にフランス18世紀末(ルイ16世期)の様式を採用している(後述)。正面玄関の屋根飾りや彩鸞の間の扉上部に武者の意匠があるなど、一部に日本風の意匠も見られる。

また、電気が珍しかった建築当時の日本において、イギリス製の自家発電装置を備え付けて照明に電気を使い、アメリカ製の自動温度調節機能付き暖房装置を設置した。ただし、この暖房装置は正常に作動せず、室温が突然上がったり下がったりするトラブルに幾度も見舞われたという。煉瓦石造で西欧様式の建物は高温多湿の日本の気候には全く適さず、晩春から早秋にかけては天候によっては室内の湿度が著しく上がり、暖房はあっても冷房はないために居住性が著しく低かった。これに対処するために片山東熊は電気式の除湿機を設置する計画も考えていたが、実現しなかった。

建築当初の調度品はタペストリーなど日本製の物もあったが、椅子などの家具の多くはドイツやフランスなどから輸入したものを使用していた。この建物が迎賓館になった際に放出された一部の家具は、現在、博物館明治村に保存・公開されている。

本館の2階は引見、接遇を行う公的なスペース、1階は皇太子夫妻の居住スペース及び事務室、地下1階は厨房や倉庫、設備関係として計画された。迎賓館として改修後は1階の大半が賓客の随員用のスペースに充てられている。
以下、主要な部屋について説明する[7]

玄関ホール、中央階段、二階大ホール
来訪した賓客を天皇・皇后が迎える場である。
玄関ホールの床には市松模様にイタリア産の黒と白の大理石が張られた(昭和の改修時、黒の大理石は痛みが激しく、宮城産の玄昌石に替えられた)。中央階段ホールはイタリア産とフランス産の大理石が床や壁に張られ、深紅の絨毯が敷かれている。階段を上った大ホールには、昭和の改修時(1974年)に小磯良平の油彩画が飾られた。
朝日の間
朝日の間
かつての第一客室。中央階段を上がり、ホールの先(南の庭園側)にある。国・公賓用のサロンとして使われ、ここで表敬訪問や首脳会談などの行事が行われている。
室内はルイ16世様式(フランス18世紀末の古典主義様式)であり、広さは約200平米。部屋の名称は天井に描かれた「朝日を背にしてチャリオット(戦車)を走らせる女神」の天井画に由来している。天井画は長径8.26m、短径5.15mの大きな楕円形である。壁には京都西陣の金華山織の美術織物が張られている。
彩鸞(さいらん)の間
彩鸞の間
かつての第二客室。中央階段を挟んで朝日の間の反対側(玄関ホールの上部)に当たる。表敬訪問のために訪れた来客が最初に案内される控えの間として使用されたり、晩餐会招待客の国・公賓との謁見や条約・協定の調印式、国・公賓とのインタビュー等に使用されている。
室内はアンピール様式(ナポレオン1世期の古典主義様式)で、広さは約160平方メートル。白い天井と壁は金箔が施された石膏の浮き彫りで装飾されている。10枚の鏡が部屋を広く見せている。部屋の名称は左右の大きな鏡の上と、鼠色大理石で作られた暖炉の両脇に、「」と呼ばれる架空の鳥をデザインした金色の浮き彫りがあることに由来している。
羽衣(はごろも)の間
羽衣の間
本館2階の西側にある。雨天の際に歓迎行事を行ったり、また、晩餐会の招待客に食前酒食後酒が供されたりする場所である。(一般参観ルートでは初めに見る部屋)
室内は朝日の間と同様、ルイ16世様式で、広さ約330平方メートル。部屋の名称は天井に謡曲の「羽衣」の景趣[8]を描いた300平方メートルの曲面画法による天井画があることに由来している。正面の中2階には、オーケストラボックスがある。これは、羽衣の間が舞踏会場として設計されたからである。しかし実際に舞踏会が開かれたという記録はない。迎賓館の中で最も大きいシャンデリア(部品7000個[5]、重量800キログラム)がある。
花鳥の間
花鳥の間
本館2階の東側(羽衣の間の反対側)にある。主に国・公賓主催の公式晩餐会が催される大食堂であり、最大約130名の席が設けられている。
室内はアンリー2世様式(16世紀のルネサンス様式)で、広さは約330平方メートル。壁を茶褐色の木材(木曽産のシオジ材)で仕上げ、重厚な雰囲気を醸し出している。部屋の名称は天井に描かれた36枚の絵や、欄間に張られたゴブラン織風綴織、壁面に飾られた渡辺省亭原画・濤川惣助作の『七宝花鳥図三十額』に由来している。
東の間
かつての喫煙室。現在は控え室として使われている。(一般参観ルートには入っておらず、通常非公開)
本館2階の東の端にある。アルハンブラ宮殿スペイン)にならったムーリッシュ様式のアラベスク装飾が特徴。

本館の評価

建築史家の村松貞次郎は「日本の建築界が明治一代をかけて学習した西欧の建築の、様式と技術の総決算」[9]と評している。(国宝の指定理由にも「日本人建築家の設計による近代洋風建築の到達点」とある)

赤坂離宮は西欧の宮殿建築の縮小模倣だという評価に対して、建築史家の鈴木博之は「トルコや東欧など非西欧諸国の近代化過程にも共通してみられる(略)歴史的普遍性を備えた表現」だと反論している[10]

衛舎など

正門及び塀、東西衛舎、主庭噴水池、主庭階段が国宝の「附指定」になっている。

和風別館

游心亭(ゆうしんてい)
1974年(昭和49年)に、谷口吉郎の設計により新設された。主和室は47敷である。現在の和風別館は「日本らしいもてなしを行う施設」として、主に国公賓の会食や茶会などに供されてきた。珍しいところでは2016年12月に将棋の第2期叡王戦第2局が行われている[11]
これらの施設を残しつつ、新たに宿泊施設を設けるなどの施設拡充が計画され、2006年に安藤忠雄らの設計共同体が設計者として選定された[12]。(その後の動向は不明)

ギャラリー

備考

游心亭の再現

石川県金沢市にある谷口吉郎・吉生記念金沢建築館には迎賓館赤坂離宮和風別館「游心亭」(谷口吉郎設計)の広間と茶室を再現した展示がある[13]

ドキュメンタリー

  • ハイビジョン特集「華麗なる宮殿への招待 迎賓館百年の物語」(2006年、NHK-BSP[14]

参考文献

  • 『迎賓館赤坂離宮改修記録』(1977.3)
  • 『国宝 迎賓館赤坂離宮』(2012)
  • 『月刊文化財』(2009.12)

脚注

  1. 冬も火鉢だけで過ごしていた明治天皇は、御所の落成を上奏した片山に対し「贅沢だ」と漏らされたという。小野木勝重『日本の建築 明治大正昭和2 様式美の開花』(三省堂、1979年)p166。
  2. 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、369頁。ISBN 978-4-487-74410-7
  3. 迎賓館ねらい火炎車 中核派サミット・ゲリラ『朝日新聞』1979年(昭和54年)6月8日夕刊 3版 11面
  4. 迎賓館改修工事延長のお知らせ 内閣府迎賓館ページ
  5. 1 2 3 【ぐるっと首都圏 旅するみつける】東京 迎賓館赤坂離宮/最高峰「おもてなし」空間/国内観光客に人気毎日新聞』朝刊2019年1月27日(首都圏面)2019年1月29日閲覧。
  6. 小玉正任『国宝 迎賓館赤坂離宮』(2012年)p12。片山が海外視察に行った当時、ウィーンの新宮殿は建設中であった。ルーブル宮殿東ファサードはペローの設計によるもので、欧米の古典主義建築の範となったものである。
  7. 『国宝 迎賓館赤坂離宮』や迎賓館公式サイトを参照。
  8. 羽衣や天女の姿が描かれているわけではなく、「虚空に花ふり音楽聞え、霊香四方(れいきょうよも)に薫ず」という謡曲「羽衣」の一節から、空に花が舞う様子が描かれている。
  9. 『日本近代建築の歴史』(NHKブックス、1977年)p128。
  10. 『月刊文化財』(2009年9月)p5。
  11. 叡王戦第2局こぼれ話。取材陣すらビクビクするような対局場、国宝「赤坂の迎賓館」とは? - 日本将棋連盟・2017年1月12日
  12.  「赤坂迎賓館和風施設拡充その他基本設計業務」の設計者の特定について(国土交通省)
  13. 金沢市観光ガイドブック”. 金沢市観光協会. 2021年11月19日閲覧。
  14. 華麗なる宮殿への招待 迎賓館百年の物語”. NHK (2021年1月8日). 2021年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月17日閲覧。

関連項目

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