園城寺食堂(釈迦堂)
釈迦堂
釈迦堂
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釈迦堂
釈迦堂
釈迦堂
釈迦堂
釈迦堂
釈迦堂
姓 | 読み方 |
---|---|
釈迦堂 | しやかどう |
釈迦堂
釈迦堂(附 多宝小塔)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 10:05 UTC 版)
1930年(昭和5年)5月23日、旧国宝(現行法の重要文化財に相当)に指定。附指定の多宝小塔は1955年(昭和30年)2月2日追加指定。 釈迦堂は方3間、一重、入母屋造、向拝一間付き、銅板葺で、西面する。2020年日蓮宗最古の法華堂に指定。文明6年(1474年)から明応4年(1495年)の間の建立。宗門史跡調査委員会の調査により天文7年(1538年)建立説は改められる。15世日耀上人に至るまで釈迦堂を本堂として充てるが、後に本堂を別に建立する。大仏様が見られる東端の仏堂になる。 堂内の多宝小塔は、三間多宝塔、瓦棒入板葺。心柱に以下の墨書がある。正面(西側)「地頭藤沢遠江守御代々官比丘尼妙因 生年 六十四」。南面 「文亀2年壬戌二月二十三日始之六月一日建立畢」。背面「吉田原豊前守法名円妙ーー遠照寺住正行房日周ーー大工鉾持住池上左衛門太夫政清ーー」。北面「奉造立処之宝塔者遠尋在世現本巳之中間顕証ーー」。『三義村誌』には「金銀五色の彩色を施し實に精緻荘厳を極め地方之に冠たるものなしと云」とある。長野県最古の多宝塔。
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釈迦堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/23 09:24 UTC 版)
現在の釈迦堂は江戸初期の元禄8年(1695年)の建立で、様式は紀州(和歌山県)によく見られる造りといわれ、往時紀州棟梁の手によって建立されたとされる。1948年のアイオン台風により、著しく破損したのを1965年に大改修。また、1984年には宗祖弘法大師千百五十年御遠忌事業として、釈迦堂屋根の全面修復が行われた。
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釈迦堂(開山堂)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 18:58 UTC 版)
江戸時代末期に建立された、寺内最古の建築であり、奈良時代作という釈迦如来立像と、開山日栄、中興の祖日敬の木像を安置する。
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釈迦堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 22:25 UTC 版)
桁行三間、梁間三間、一重裳階付、寄棟造、本瓦葺。堂内に安置する釈迦如来像に嘉暦2年(1327年)の銘があり、釈迦堂の建立も同年頃とみられる。組物を柱上のみならず柱間にも密に配する点、内部の架構などに禅宗様の特色がみられる。日本に現存する禅宗様仏殿としては、功山寺仏殿とともに最古例の一つである。裳階正面は中央3間を桟唐戸、両脇を縦板壁とする。堂内は土間(瓦敷)とし、天井は中央の方一間を鏡天井、その周囲を天井板を張らない化粧屋根裏とする。 堂内四隅に燧梁(ひうちばり、火打梁)という45度方向の短い梁が架けられている。これは瀬戸内海地方の禅宗様にみられるものであり、他の燧梁の例として安国寺釈迦堂(広島県福山市鞆町)、松生院本堂(和歌山県和歌山市、1945年戦災により焼失)がある。
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