きんしゃち (金鯱)
●メキシコ中部のケレタロ州が原産です。球状サボテンの代表種で、数十年かけて直径90~180センチほどに成長します。植物体は薄緑色で、成熟するとビヤ樽のようなかたちになります。茎には強固なリブがあり、黄色い棘が生えています。夏、茎の上部に冠状に黄色い花を咲かせます。花が咲くには20~30年かかるそうです。
●サボテン科エキノカクツス属の球状サボテンで、学名は Echinocactusgrusonii。英名は Golden barrel cactus。
アリオカルプス: | 玉牡丹 黒牡丹 |
エキノカクツス: | 太平丸 金鯱 |
エキノケレウス: | エキノケレウス・コッキネウス エキノケレウス・ストラミネウス エキノケレウス・ネオメキシカヌス |
金鯱
金鯱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/04 16:02 UTC 版)
金鯱(きんしゃち、きんこ、きんのしゃちほこ)は、金色に装飾を施した鯱のことである。
概要
城郭建築の天守には、金箔押の鯱瓦と金板張りの木造鯱の例がある
金箔押の鯱瓦では、創建当初に岡山城天守へ載せられたとされるものを再現したものが見られる。金板張りの木造鯱では、現在は名古屋城大天守へ載せられていたものを復元したもののみ見ることができる。
また、現代では金箔や金の板を張ったものは少ないが、寺院や住宅、商業施設などにもあげられている例があり、本圀寺(京都府京都市)に見られる。
種類
金箔押鯱瓦
金箔押の鯱瓦は粘土製の素焼きの鯱瓦に漆を塗り、金箔を施したものである。広島城大天守や岡山城天守、松本城大天守など豊臣恩顧と呼ばれる大名や有力な大名の一部の居城の天守などに上げられた例がある。城によって鯱瓦を金箔押とする程度であり、通常の鯱瓦を上げていた城が多かったとみられている。
金板張木造鯱
金板張の木造鯱は、徳川家康によって初代江戸城天守(10尺、約3メートル)に上げられたものが初めとされているもので、金属板張の木造鯱の一種である。後に名古屋城大天守、徳川期江戸城の後2代の天守、徳川期大坂城天守などにほぼ同様、同規模のものが上げられたというのみで類例は少ない。
歴史
鯱に初めて金を施したのは、織田信長の安土城天守とも羽柴秀吉の大坂城天守ともいわれ、豊臣政権下では、許可を得ずに瓦などに金を施すことは許されていなかったと見られている。
関ヶ原の戦い以降、豊臣政権の弱体化により権力が家康に移ると実質の築城規制の解禁がにわかに起こり、同時に天守建設が流行すると金鯱(金箔押鯱瓦)や金箔瓦を上げる大名が増えていったが、徳川政権(徳川幕府)が固まると、築城に関する規制が起こり始め、元和元年(1615年)以降は、築城・天守造営の原則禁止にともない、金箔や金板を張った鯱を上げられることはほとんどなくなり、建物の修築後は、財政難から質を落としたり、まったく張らないようにした城が多かった。
天守に金鯱があった主な城
お座敷芸
名古屋の舞妓・芸妓が披露するお座敷芸の一種で、この金鯱のような形になるよう逆立ちをする「金の鯱」という芸が存在する[1]。「戦前から伝わる名古屋芸者必須の芸[2]」と言われている。
脚注
- ^ “名古屋の芸舞妓、「金の鯱」披露 英語解説も:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2020年12月20日閲覧。
- ^ “新人舞妓2人が誕生 「見世出し」に盛んな祝福” (jp). 毎日新聞. (2018年11月16日) 2020年12月20日閲覧。
金鯱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/18 22:49 UTC 版)
金色の鯱のことを特に金鯱という。金鯱には陶器製の鯱瓦に漆を塗り、金箔を貼り付けたものが多かった。一般の金箔押鯱瓦は、岡山城天守に創建当初載せられたものなどがある。 特異なものでは木造の鯱に銅板の代わりに金板を貼り付けたものが上げられることがある。構造は銅板張りの木造鯱と同じ。現在の名古屋城大天守に上げられているものがそれである。同じ仕様のものは、徳川大坂城天守や江戸城天守などに使用された。 詳細は「金鯱」を参照
※この「金鯱」の解説は、「鯱」の解説の一部です。
「金鯱」を含む「鯱」の記事については、「鯱」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- >> 「金鯱」を含む用語の索引
- 金鯱のページへのリンク