ユニフォームの変遷とは? わかりやすく解説

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ユニフォームの変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 02:57 UTC 版)

CFモンテレイ」の記事における「ユニフォームの変遷」の解説

最初ユニフォーム胸部分を斜めに横切るライン入った青色白色シャツ白色パンツ紺色ソックスであった2度目リーグ優勝後の1955年には2本の青色の線が入った白色シャツ変更された。1960年代には淡青色縦縞シャツ白色パンツソックス変更され1962年にはメキシコシティアストゥリアスFCユニフォームからヒント得た、現在でも使用されているユニフォーム導入された。 ホーム 1945 ホーム 1965 ホーム 1975 ホーム 198083 ホーム 198993 199497 ホーム 2010 ホーム アウェー 1955 アウェー 1960 アウェー 1976 アウェー 198083 ホーム 198389 アウェー アウェー 2003 2008 アウェー 2010 アウェー

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ユニフォームの変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 04:48 UTC 版)

大映ユニオンズ」の記事における「ユニフォームの変遷」の解説

ゴールドスター時代ユニフォーム 左胸に☆マーク入りの「G」が入る、シンプルなもの。 大映スターズ時代ユニフォーム 何種類パターンがあるが、基本は「D」の筆記体マークとした帽子に、ホーム用「STARS」ビジター用に「DAIEI」の胸文字左袖球団エンブレム大映マーク中心にバットの絵が入る)を置いたベルトバックルは、スターズSTARS)をもじってS字シルエットになっており、中間斜めにライトブルーの線が入り左上レッド右下ブルー七宝焼きが入る。 また、左上大映球団マーク右下に「DAIEI」のロゴ「STARS」ロゴ入っている。 プロ野球ユニフォーム用のバックルとしては手の込んだ造り

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ユニフォームの変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 16:15 UTC 版)

西日本パイレーツ」の記事における「ユニフォームの変遷」の解説

ユニフォーム1つニューヨーク・ヤンキース似た白地に紺のストライプで左胸にNのマーク小島監督は胸のマークヤンキースと全く同じNYマークしたいからという理由で「球団名を(会社名と同じ)西日本野球株式会社出来ないか」とフロント掛け合ったが、却下された。 もう1つ灰色地のもので、胸には「PIRATES」のマーク紺色地に黄色縁取りフォント巨人などと同じ「早稲田文字」)が入ったものを使用していた。

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ユニフォームの変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 18:29 UTC 版)

高橋ユニオンズ」の記事における「ユニフォームの変遷」の解説

1954年 - 帽子デザインは「T」と「U」を組み合わせ、胸文字ホーム用ゴシック体で「Unions」、ビジター用は「TAKAHASI」。 1955年 - 「トンボユニオンズとなったことで、左胸にトンボ鉛筆マーク使用マーク下に「UNIONS」)。ビジター用は胸全面に「Tombow」。

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ユニフォームの変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 23:38 UTC 版)

大阪近鉄バファローズ」の記事における「ユニフォームの変遷」の解説

1950年 - 1952年 球団創設期ホーム用が胸に「Pearls」が入ったもの、ビジター用水色基調としたユニフォームで胸にゴシック体で「KINTETU」のロゴ入った1952年限り)。ゴシック体の「KINTETU」は1957年まで使用される帽子「K」「P」など数種類存在1953年 左胸に「Pearls」と書かれた、サンフランシスコ・シールズ参考にしたユニフォーム登場同時に縦縞となり、球団名バファローとなった1959年まで使用1954年 - 1958年 左胸に「P」1文字の、フィラデルフィア・フィリーズ参考にしたデザイン1958年には帽子ツバアンダーシャツストッキング赤くなる途中から従来の物も使用)。1958年からビジター用ロゴ飾り文字変更1959年 千葉監督就任同時に球団名バファロー変更ホーム用は黒の帽子アンダーシャツ・縦じま・袖ライン採用され、赤い「Buffalo」の胸マーク入ったデザイン変更された。ビジター用背番号書体変更帽子前面には、金糸猛牛マーク入った1960年 - 1961年 縦縞廃止チームカラーを黒と黄色に変更ビジター用左袖近鉄社章から猛牛マーク変更される1962年 - 1965年 球団名バファローズとなり、胸ロゴが「BUFFALOES」に変更。袖番号付けられる帽子マーク「K」と「B」を組み合わせたものに。1965年からラインを黒に変更し番号が胸に移動1966年 - 1973年 ロサンゼルス・ドジャース参考にしたユニフォーム変更同時にロゴ筆記体の「Buffaloes」に変更ストッキング上部濃紺3本白線下部赤色となる。1968年より、三原脩監督就任時より、ホーム用背番号、胸番号の角が取れ丸型となる。 1969年 - 1971年 ヘルメット紺地猛牛マーク入ったものになる1972年より、帽子ツバオレンジ色となる。 1973年後期より、袖とズボンラインが入るなどのマイナーチェンジ施される1974年 - 1996年 西本幸雄監督就任時より、ニット式のベルトレスユニフォームが登場。袖部分ラグランスリーブが赤となり、首と袖に白線入り丸首プルオーバースタイルとなる。左袖には、炎と猛牛組み合わせたマークが入る。ユニフォームデザインはアトランタ・ブレーブスのものを参考にしている。帽子ヘルメットは、紺色地に赤の「B」マークデザイン自体1966年より使用しているものと同じでボストン・レッドソックスと同じ書体)・ツバが赤。その後ヘルメットのみ猛牛マーク赤色ツノ紺色の目を白縁デザイン)に変更されデザイン使われるうになる採用時期不詳)。 1977年より 左袖マーク猛牛マークになり、デサント社が開発した快適性軽量化図ったメッシュ素材の上着を、野球のユニフォームとしては世界で初め採用する1978年より 背番号の上選手名英字表記)が入り、ベルトレスからインナーベルト式になる。 1978年後期より、帽子地色が赤、前面が白、白部分のサイドに紺のライン入り紺色の「KINTETSU BUFFALOES」のロゴアーチ型)、猛牛マークが入る三色帽に変わる。三色帽はモントリオール・エクスポズ採用していたもの参考デザイン1979年1980年1989年3度リーグ優勝果たしたゲンのいいユニフォームで、マイナーチェンジ繰り返しながら23年長きに渡り使われた。 1997年 - 2004年 大阪ドーム移転機にフルモデルチェンジデザインコシノヒロコ手掛ける同時に球団カラーを「バファローズホワイト」、「バファローズオレンジ」、「バファローズネイビー」、「バファローズレッド」の4色設定デザインはそれに基づかれた。帽子アンダーシャツ・線は紺。 1999年より、球団名大阪近鉄バファローズとなり、ビジター用が「Kintetsu」から「Osaka」に変更。これが近鉄最後ユニフォームとなった。また左袖には50周年記念のバフィーワッペンが入る(翌年以降、元のバフィーワッペンに戻す)。ビジター用上着デザイン当初は赤のみだった。しかし、いざユニフォーム完成してみると、当時佐々木監督選手たちから「東芝ユニフォームみたい」「プロが着るユニフォームじゃない」などと異論続出し選手たちユニフォーム変更拒絶しかける事態となり、事態沈静化を図るため急遽紺が追加された。その後ファン感謝デーでこのユニフォームが初お披露目された際、ファンから「台湾プロ野球(のユニフォーム)だ」などと酷評され優勝するまではこのユニフォーム評判良くなかったビジター用ユニフォーム金曜日から月曜日は紺、火曜日から木曜日では赤と使い分けられていたが、2000年以降は紺のみとなった使い分けに関して当初ナイトゲームは赤、デーゲームは紺」とされたが、使用頻度偏り避けるために上記ようになった)。このため結果的に、「Osakaロゴの赤は1999年のみの使用となった後身オリックス・バファローズ2011年以降の旧ユニフォーム復刻イベントで以下の時代のものが再現された。1966~73年前期 197496年 19992004年 - 2013年ホーム)、2015年ビジター紺)、2019年ビジター赤)いずれもビジター用の胸ロゴが「Osaka」に変更後のもの。19992004年モデルには、当時永久欠番とされた「背番号1」は本来存在しなかったが、2013年後藤光尊ホーム用で、2015年中島裕之ビジター用紺色)で着用している。

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ユニフォームの変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 09:26 UTC 版)

東京ヤクルトスワローズ」の記事における「ユニフォームの変遷」の解説

1950年 - 1954年:帽子・アンダーシャツ・レター(胸ロゴ番号)は濃紺基調とした(レターは白の縁取り入り1954年ホーム用除く)。また、上着パンツは白のものとグレーのものが存在1952年フランチャイズ制導入に伴い、白=ホーム・グレー=ビジター概念生まれる)。ロゴは「Swallows」(1953年まで色は濃紺)で縁取り白・左袖に金糸国鉄社章動輪」のワッペンが入る。 帽子は、濃紺地に白文字の「S」。 1951年途中から国鉄社章ワッペン外されシンプルなとなったまた、ツバメシルエットに「Swallows」のマークが左胸に入ったものも使われた。ビジター用はTとKを重ねたマーク濃紺白縁取り)、「Swallows」を経て1953年から「Tokyo」となる。 1954年のみホームユニフォームが緑色帽子ツバロゴ背番号アンダーシャツストッキング)でまとめられていた。ただし、こげ茶色アンダーシャツ使われた。 1955年 - 1960年:レターから白の縁取り消える。袖・パンツに線が入る。また、ストッキングに赤が入った1960年から胸番号装着され同時にビジター用の「Tokyo」の書体変更帽子マーク「K」1961年 - 1965年5月:縁取りに赤が使われストッキングの線が廃止1963年から「Tokyo」の書体変更1965年のみ線がW線となり、国鉄最後ユニフォームとなった。なお帽子マークこの間「K」と「S」の組み合わせや「S」など毎年様に変更されていた。5月10日より、国鉄から産経新聞社経営母体変わり球団名サンケイスワローズ」に変更されたが、しばらくこのユニフォーム使われた。 1965年6月 - 閉幕:先述経営母体変更に伴いチームカラー濃紺赤から黒・朱色産経コーポレートカラー)に変更される。胸ロゴホーム濃紺・赤→黒縁に色変更ビジター用は「SANKEI」(黒縁)に変更された。そして、ホーム用左袖カタカナで「サンケイ」のロゴ黒一色)が入りビジター用左袖には「TOKYO」のロゴが入る(時期により、黒縁、黒・縁のロゴ存在した)。帽子マーク国鉄時代最末期の「S」をそのまま使用1966年 - 1968年:球団名サンケイアトムズとなり、レタースペル全て小文字斜体文字)の「atoms」が登場チームカラーが赤と青に変更され、アンダーシャツ・ストッキングも青に変更される。夏からビジター用全て小文字同じく斜体文字)の「sankei」となる(それまでは「SANKEI」)。帽子青地飾り紐が付きマークは赤で「a」。背番号斜体文字採用される左袖には『鉄腕アトム』のキャラクター・ワッペンが付く。斜体文字フォント亀倉雄策作成以来フォント自体1993年ユニフォームまで残る)。人気ブランドVAN」が作成1969年 - 1970年:チーム名ニックネームのみの「アトムズ」(アトムズ1969年のみ、この年からヤクルト本社業務提携。翌1970年ヤクルト正式に親会社となり「ヤクルトアトムズ」となる)になり、レターは赤に白の縁取り・線が赤と白と青の組み合わせとなる。背番号の上選手名が入る。帽子マークが「a」から「Ya」(「Y」は赤、「a」はライトブルー)に変更ホーム用左袖に「Yakult」のマーク文字両脇コバルトグリーンの左カッコと赤の右カッコ囲ったもの)が入る。ビジター用スカイブルー地。胸ロゴが「Yakult」となる(サンケイ時代と同じフォント以来配色変えながらも1993年までこのロゴ使用)。 シーズン途中からレター濃紺色変更1971年 - 1973年:三原脩監督就任により、読売ジャイアンツと同じ黒とオレンジ基調したものへと大幅変更される帽子アンダーシャツストッキングが黒、胸ロゴ背番号・胸番号選手名が黒にオレンジ縁取り左袖の「鉄腕アトム」のキャラクター・ワッペンが廃止されatoms」のマークになり、帽子マークがYとAを重ねた形になる(色は白)。ビジター用グレー地になる。 1974年 - 1977年:スワローズ愛称復活し球団名が「ヤクルトスワローズ」となる。同時に荒川博監督就任に伴いニット素材丸首ブルオーバー・ベルトレスになり、基本色濃紺と赤へ変更背中選手名消え番号フォントゴシック体になる。帽子アンダーシャツストッキングは紺、帽子マークはYとSとを繋げた形になる。帽子ツバは赤。ホーム用は、トレードマークとなる赤ストライプ採用(一旦2005年廃止される2014年復活)、「Swallowsロゴ1965年までのものをそのまま採用ロゴ背番号・胸番号濃紺地に赤の縁取り。首・袖・腰・パンツには濃紺・赤・濃紺の線。 ビジター用は、スカイブルー地に白のストライプロゴ背番号・胸番号赤地濃紺縁取り。首・袖・腰・パンツには濃紺・白・濃紺の線が入る。1975年より、ビジター用の胸ロゴ背番号・胸番号縁取り濃紺から白になる。 1976年より、ビジター用の首・袖・パンツの線のうち白部分が赤になる。 1977年より、広岡達朗監督要望により、ベルト式(ベルトの色は赤)になる。また、従来ニット地に加えサプライヤーであるデサント社の技術により、快適性軽量化図ったストライプ施した上でメッシュの上着を阪神タイガースホーム用同時期に採用また、スパイク赤地白線になる。 1978年 - 1989年 基本デザイン当時アトランタ・ブレーブス意識したものに変更されこれまでの濃紺赤から青・赤になり、帽子が青一色になる。さらに首、袖、パンツの線が赤一色、赤のVネックに、ベルトが赤になる。背番号の上には1973年以来選手名復活背番号・胸番号書体オリジナル角文字フォントに変わる。胸ロゴ背番号は青に赤・白の縁取りになり、胸番号縁取り消える。ホーム用は赤ストライプ太くなり、左袖紺地の「Yakult」のロゴビジター用ロゴと同じフォント刺繍が入る。 ビジター用スカイブルーの色がやや落ち着き、白ストライプ消える。左袖には紺地の「Swallows」のロゴ刺繍1980年武上四郎監督就任時より、スパイク白地赤線になり、ゼット社のスパイクとなる。 1982年ビジター用の首、袖、パンツの線が赤から赤・青・赤の3本線になる。 1990年 - 1998年:野村克也監督就任により、パンツの線・胸ロゴ背番号の赤白の縁取り消え二桁選手背番号間隔がやや狭くなるホーム用は、マイナーチェンジ。赤ストライプVネックの幅がやや細くなる時期によりビジター用同様のシャドゥ・ストライプ素材使用したものもあるが、赤ストライプ入っていたためほとんど目立たなかった。 ビジター用大きく変更。光の加減でストライプ見える「シャドゥ・ストライプ」を採用1977年のストライプメッシュ地のユニフォーム製造したデサント社の技術により実現。胸ロゴ背番号には白いシャドゥがつき、シャドゥ・ストライプと併せてサッカーユニフォーム意識したものになる。首、袖のライン青・白・青となり、胸番号左袖の「Swallowsロゴ赤色になる。1994年には、ホーム用の袖の赤ライン消え帽子YSマークアトムズ時代使われた「Ys」型(「Y」が赤、「s」が青)になり、ホーム用左袖ビジター用胸に入っていた「Yakultロゴ書体が、1969年以来亀倉雄策制作フォントから親会社フォントアレンジしたものに改められ、亀倉フォントユニフォームから完全消滅した。左袖には、ホームYakultビジターSwallowsロゴの上に「つば九郎」のペットマークがつく。 1997年には、ビジター用の袖線も消えスパイク個人契約メーカーでの使用認められる1970年代 - 1980年代、各球団ともビジター用ユニフォームの色はスカイブルー地が定番だったが、1990年代に入ると、各球団徐々にグレーチームカラー施したものを採用しつつあったが、1998年まで12球団唯一スカイブルー地を使い続けた1999年 - 2005年:若松勉監督就任に伴いホーム用9年ぶりモデルチェンジ。青から紺に戻る。ホームビジター用ボタン式になり、背番号選手名書体中日ドラゴンズ続いてメジャー・リーグ採用されているタイプになる。左袖は「つば九郎」から「ボールと燕」を組み合わせたオリジナルエンブレムに変更1999年のみ、球団創設50周年エンブレム)。ホーム用首周りライン消え、赤ストライプがさらに細くなり、幅も狭くなるビジター用は、提携していたクリーブランド・インディアンスロード用のデザイン踏襲したものに変更される1999年夏場からビジター用(紺ユニフォーム)のアンダーシャツキャップツバ赤くなる2000年には紺に戻るが、一時ビジター用でまた赤が採用される。赤いアンダーシャツキャップツバ2002年廃止された。2001年1試合だけ若松監督ゲン担ぎホーム試合(白ユニフォームとの組み合わせ)で使ったのが最後である。なお最後に着た先発投手入来智であり、対巨人戦だったが負け試合だった。ただし、2005年までユニフォームの登録はしていた模様ビジター用は、本来1998年から導入される予定だったが、前年日本一になったことからゲン担ぎのために当時監督野村克也導入止めさせた。 ビジター用アンダーシャツキャップツバはもともと紺でデザインされていた。しかし完成後に着用して確認した若松が「雰囲気大人しい闘争本能湧いてこない」と異論唱えたことから急遽赤に変更されたものの最終的に定着せず終わった2006年 - 2008年:「東京ヤクルトスワローズ」への球団名変更及び古田敦也選手兼任監督就任球団あげての観客増員プロジェクト「F-PROJECT」の一環として、「BEAMS」が手がけるホームビジター基本色変わらないが、首周りと袖に赤線入り、肩から袖・パンツの腰から足首にかけて細くなる太線が入る。ホーム・ビジター共に右肩に「Tokyo」のロゴ入り、さらに選手名書体変わり背番号・胸番号書体が角が丸い角型に変わる。ホーム用は、1974年より32年採用されていた赤ストライプ消える。ロゴに赤・白・水色の縁取りが入る。Tokyoロゴ青色で、左袖エンブレムの下に赤色Yakultロゴ配されるビジター用は、背番号赤地白縁取りだったものが、白一色になる。Tokyoロゴ赤色左袖エンブレム下には白色Swallowsロゴが入る。 2009年 - 2012年:ヤクルト球団設立40周年記念し3年ぶりにホームビジターデザイン一新したデザイン引き続きBEAMSによる)。選手名背番号書体変更され選手名直線状に並ぶ。ワンポイントとして一番上ボタンのみ、赤色使用(他はホーム用ユニホーム同色の白、ビジター用グレー)。スパイクは白から紺に変更左袖エンブレムからつば九郎とは異なツバメの顔のイラスト(タツノコプロデザイン)に変更左右袖の「Tokyo」「Yakultホーム用)」「Swallowsビジター用)」は赤色統一ホーム用ゼット製、ビジター用2011年までミズノ製で2012年からホーム用同じくゼット製。ホーム用2006年使用モデル基本に、太線を赤、ロゴマークを白基調、赤と紺の縁取り変更ビジター用ライトグレー地を基調に、太線配置ホーム用とほぼ同じとしている。 2009年のみ右胸部分にヤクルト球団設立40周年記念ロゴが入る。球団設立40周年記念ロゴは、内野ダイヤモンド模したデザインで、各ベース部分には歴代帽子マークデザイン本塁スワローズ現行Ys」、一塁アトムズYa」、二塁アトムズ「YとA組合わせ」、三塁スワローズYS」)。 2011年度よりホームユニフォームのみシャツ本体切り替え、胸マーク背番号、胸番号、袖マーク昇華プリント変更2013年 - 2015年2013年シーズンこそは優勝したいと言う想い込めて1990年代黄金期のユニフォームデザインをらせたものに変更選手名背番号書体変更となり、選手名曲線状に並ぶ。前年まで使用していたユニフォーム同様にワンポイントとして、一番上ボタンのみ赤色使用(他はホーム用が白、ビジター用同色ネイビー)し、左右袖の「Tokyo」「Yakultホーム用)」「Swallowsビジター用)」は赤色統一。なお、デザイン前年までのBEAMSではなくホームビジター共にゼット社が手がけている。ホーム用黄金期象徴ともいえる「赤ストライプ」が8年ぶりに復活。白を基調に赤の縦線で、上下縦じまを採用ロゴマーク背番号ネイビーで赤で縁取り選手名ネイビー肩口ネイビーと赤でツバメ優雅な飛翔象徴したデザイン新たに施し、「伝統」と「最新」を融合させたデザインとなっている。帽子ネイビーの地に白字で「YS1974年から1993年まで使用していたマーク復活)」。 ビジター用ネイビー基調にして力強さ表現ロゴマーク背番号は赤で白で縁取り選手名は白。肩口に白と赤でツバメ優雅な飛翔象徴したデザイン施し、脇の所まで赤の直線が入る。また、脇から背中廻る鮮やかな赤のウイニングラインが入り上昇気流乗って勝利を目指すツバメ軌跡イメージしている。帽子前年まで使用していたもの使用していたが、2015年よりホーム用と同じマーク統一また、キャプテン務め選手の右胸にはキャプテンマーク白縁藍色菱形その上に赤字「C」)のワッペン付けられる2015年はホーム・ビジターともに左袖に「ヤクルト80周年記念エンブレムが入る。 2016年 - メーカーゼットからマジェスティック・アスレティック変更し、ユニフォームデザインを大幅に一新帽子ホームビジターとも前年までのものを引き続き使用ホーム用は、前年までのユニフォーム同様の赤いピンストライプ基調したもの1974年のヤクルトスワローズとして最初ユニフォームモチーフに、赤のストライプ細く間隔広げた首周り袖口配した紺・白・赤のトリコロール柄のリブ特徴ワンポイントの赤ボタン継承している。 ビジター用は、新たな東京スタイル」をコンセプトに、サードユニフォームで使用していた「グリーン」を配色採用紺色グリーン基調にしたデザインで、「Yakult」のロゴ筆記体変更首周り袖口には緑・白・紺のトリコロール柄のリブワンポイントボタン緑色となる。 サードユニフォームは、独自のデザインであった2015年版CREWユニフォーム進化系ありながらも、紺色と赤をメインカラー使用ホームビジター同様に首周り袖口採用したトリコロールリブを配した。なお、ホームビジターとの相違点としては、帽子のつばが赤(1974 - 1977年仕様復活とも言える)。2016年および2022年には前年度セ・リーグ優勝記念してホームビジターとも右袖チャンピオン・エンブレム貼り付けられる2019年のみ右袖ヤクルト球団設立50周年記念ロゴが入る。 ホームユニフォーム(2017年) ビジターユニフォーム(2016年2013年~2015年のホームユニフォーム 2009年~2012年のビジターユニフォーム 2006年~2008年のホームユニフォーム

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ユニフォームの変遷

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広島東洋カープ」の記事における「ユニフォームの変遷」の解説

1950年 - 1952年 創設期サンフランシスコ・シールズニューヨーク・ヤンキース参考にしたユニフォームがあったが、球団資金難などから1年廃止された。その後ビジター用グレー1952年まで使用1952年 - 1953年 大下回春堂から資金援助を受けるため、左袖フマキラーロゴ登場創設期からユニフォーム紺色チームカラーとしていた。 1954年 - 1957年 フィリピン遠征機にユニフォーム一新ビジター用南十字星イメージし、「Hiroshima」の「i」の字の上部を「☆」にしている。帽子マーク現在のデザイン似た「C」採用1958年 - 1962年 当時ボストン・レッドソックス参考にしたユニフォーム登場。この時初めて胸文字及びライン「赤」取り入れられる帽子マーク小文字「c」と「h」を並べたデザイン変更1960年にはビジター用モデルチェンジされ、ドジャース型となり、この時初めて、現在使用されている筆記体ロゴ原型登場する。(スペルはHirosima)。また、番号登場1963年 - 1972年 白石勝巳監督就任時より、やや緑のかかった紺色一色になり、首、袖、ベルトループ紺色ラインが入る。帽子マークは「HIROSHIMA」のHマークになる。日本のプロ野球チーム自治体の名前を入れた唯一の例ともいわれた。Hマーク現在の球団旗にも使われている。ビジター用グレー地で、胸ロゴ花文字書体HIROSHIMAで、6年ぶりにこのスペル戻った。胸番号無く、左投手及び左打者左袖に、右投手及び右打者右袖に袖番号が付く。1968年より、根本陸夫監督就任に伴い、袖、ベルトループライン太くなり、ビジター用番号が袖から右胸につく。この年から「広島東洋カープ」と名称変更したことにより、ビジター用右袖東洋工業(現:マツダ)の「TOYO」の文字が入る。 1971年より、袖、首、パンツベルトループの紺ラインオレンジで挟むラインとなり、胸ロゴホーム用CARPビジター用HIROSHIMA)、背番号、胸番号、袖襟・ズボンラインが紺にオレンジ縁取り帽子のHマークオレンジになる。また、ビジターの胸番号ホーム同様左側統一される1973年 - 1974年 別当薫監督就任に伴いニット素材特徴生かした丸首のベルトレスのユニフォームとなり、プルオーバーとなる。背番号、胸ロゴ、胸番号が赤の縁取り、袖と首周りに紺と赤のツートンライン、ストッキングに赤の2本ライン入り帽子マークがHから、シンシナティ・レッズと同じ形状のC(赤に白の縁取り)に変わる。ビジター用は、ブルーグレー地になり、1960年 - 1963年にかけて使用されていた筆記体ロゴが「Hiroshima」にスペル変更の上復活する1975年 - 1976年 ジョー・ルーツ監督就任に伴いルーツ1972年 - 1973年コーチ務めたクリーブランド・インディアンスカラー取り入れ帽子の色が赤に、Cマークが紺に白の縁取りとなる。さらに首周りVネックとなる。また、ズボンの縦ラインが紺・赤・紺のストライプから赤・紺・赤のストライプ変更1977年 - 1988年 背番号、胸ロゴ、胸文字アンダーシャツストッキングが赤一色になり、カープ=赤が完全に定着する。袖、腰ラインの紺と赤とが逆転し外側移動した袖の紺ライン細くなるまた、スパイク白地に赤のラインとなる。ビジター用は、ブルーグレーから鮮やかなスカイブルー地になり、胸ロゴ背番号、胸番号が光る素材ものになるスパイクスカイブルー地に赤のラインとなる。1978年より、背番号の上選手名が入る、 1988年のみ、ベルトレスからベルト式になる。このデザイン12年長きに渡り使用され1979年1980年1984年3度日本一1986年リーグ優勝)を果たしたちなみにビジターユニフォームは広島刑務所寄贈され受刑者ソフトボール大会で着用していた。 1989年 - 1995年 山本浩二監督就任に伴いユニフォーム一新当時シンシナティ・レッズ意識したデザインになる。左胸にCマークCARPロゴ、胸番号は右腹部。袖には赤の2本ライン左袖に「HIROSHIMA」のロゴが入る。球団創設時から定着していた紺色消え、赤のみになる帽子のCマークが白一色になり、シンシナティ・レッズと全く同じデザインとなる。ビジター用上下グレーホームビジタースパイク白地に赤ラインとなる。プルオーバーから現在のボタン式(ただし、第3ボタンまでがボタン脱着式で、あとは飾りボタン)に変更される。 なお1994年のみ、左袖同年広島開催されアジア大会広島大会をPRするマークが入る。 1996年 - 2001年ロゴ正面に、胸番号が左胸に戻る。赤の前立てラインがつき、袖のライン消えパンツラインが赤の細ラインになる。ホーム用は、「CARP」の花文字復活ビジター用は、「HIROSHIMA」(1963年 - 1972年使用)のロゴ復活する1999年のみ、左袖球団創設50周年マークが入る。 この時代ユニフォーム背番号サイズホームビジター共にそれまでのものより若干大きめだった一方背番号の上選手名の字幅がスマートだった。 2002年 - 2008年 球団創設期使われていた縦縞復活ロゴ花文字からホーム用筆記体デザインに、ビジター用ブロック体変更。またビジター用では、左投げ選手には右袖に、右投げ選手には左袖カープロゴ(炎のボールマーク)が入る。 この時のビジターユニフォームは両袖部分赤色アナハイム・エンゼルス当時)に似たデザイン一見ノースリーブのように見えデザインだった。2003年より、背番号の上選手名書体が変わる。 2005年からホーム用のみ、袖とヘルメットにスポンサー・マツダの広告が入るようになった同年からスパイクの色が赤地に白ラインとなる。 2006年ブラウン監督発案により、投手および野手キャプテン選手野手陣前田智徳投手陣黒田博樹)の右袖黄色「C」が入る。 2007年より、ビジター用ユニフォームの胸ロゴ70 - 80年代使われた「Hiroshima」の筆記体書体になる。また炎のボールマークからチームスローガンの「ALL-IN」のロゴ変わってそれが入る。 2009年 - 本拠地マツダスタジアム移転に伴いユニフォーム一新縦縞消え創設時より採用されていた紺色21年ぶりに復活する帽子のCマーク紺色縁取り入りパンツには赤と紺の細いラインが入る。ホーム用上下白を基調とし、赤い胸ロゴ背番号、胸番号に紺の縁取り、袖に赤と紺の細いライン左袖に「Hiroshima」の赤い筆記体ロゴに紺の縁取りが入る。 ビジター用上着が赤、パンツは白。チーム史初めツートンカラー採用上着に紺の前立てライン、胸には「Hiroshima」の白いロゴに紺の縁取り、袖に紺の細いライン左袖に「Carpロゴ背番号と胸番号は白に紺の縁取りが入る。 2013年公式戦よりヘルメットに、マツダ日本ペイント共同開発した自動車塗装色「ソウルレッドプレミアムメタリック」をイメージした特別な赤色採用。これは3代目マツダ・アテンザ発表会訪れた松田オーナー展示車に使用されていた「ソウルレッドプレミアムメタリック」に興味示し居合わせたマツダ副社長から提案受けて実現したもの。ちなみにヘルメットの色の配合などはマツダ車両担当が行っている。 2017年 - 2019年 前年度セントラルリーグ優勝記念し左袖チャンピオン・エンブレムが入る。 2020年 - 左袖球団創設70周年ロゴが入る。 2021年 - 左袖チームスローガン「バリバリバリ」のロゴが入る。 2022年 - 左袖チームスローガンガツガツGUTS!」のロゴが入る。 ホームユニフォーム(2017年) ビジターユニフォーム(2018年2002年2008年のホームユニフォーム 2007年2008年のビジターユニフォーム

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ユニフォームの変遷

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ボカ・ジュニアーズ」の記事における「ユニフォームの変遷」の解説

ホーム用ユニフォームの変遷 1905 1905 1905–06 (7*) 1907–13 (5*) 1913-present 珍しいデザイン特別に使用したユニフォーム 1963 away (1*) 199697 home (2*) 199899 home 1998 home (3*) 2000-01 home (4*) 200607 away 2010 (6*) (1*)1963年コパ・リベルタドーレスウニベルシダ・デ・チレ対戦したが、ウニベルシダ・デ・チレもまた青色ユニフォームであるため、この対戦着用された (2*)1913年以降、2本の白色縦縞加えられた。 (3*)1998年コパ・メルコスールのためにデザインされユニフォーム。 (4*)2000年2001年コパ・メルコスールのためにデザインされユニフォーム。 (5*)クラブ創設100周年祝って2005年のトルネオ・デ・ベラーノ(プレシーズン大会)の2試合のみで着用したユニフォーム。 (6*)クラブ創設105周年祝って 2010年のトルネオ・デ・ベラーノ、CAリーベル・プレート戦の2試合のみで着用したユニフォーム。 (7*)1906年モデル敬意表して2012年のトルネオ・デ・ベラーノで着用されユニフォーム

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阪神タイガース」の記事における「ユニフォームの変遷」の解説

ユニフォーム物語」も参照 1936年 - 1940年Tigersロゴ2種類、「OSAKAロゴ1種類3種類のユニフォーム使用帽子も、3種類のユニフォームそれぞれデザイン合わせた3種類があり、マーク黒字の「O」。ストッキング黒地に黄と赤の2本ラインのものと、グレー地にダークグレーの4本ラインのものの2種類。 「Tigersロゴユニフォーム白地ライトグレーストライプのものと、グレー地にダークグレーストライプのもので、共に襟付きであり、ロゴ背番号縁取り前立て、袖などに黒と黄のパイピングというデザイン。 「OSAKAロゴユニフォームグレー無地ロゴ背番号縁取りラインに黄のパイピングというデザインで、襟付き左袖に虎マークワッペンが貼られている。 1937年Tigersロゴの白ユニフォームストライプ濃くし、ロゴ背番号縁取り廃止するなどマイナーチェンジ黒地エンジ3本ラインストッキング追加帽子を、白地グレーストライプ、黒ツバ赤字のOマークというデザイン変更1938年 - 1940年Tigersロゴの白ユニフォームストライプをさらに濃く太くし、ロゴ背番号縁取り復活白地に黄の2本ラインと赤の1本ライン配したストッキング追加1940年 - 1943年連盟指示により球団名を「阪神」に改称したことに伴い基本デザインそのままロゴ漢字の「阪神」(左胸に縦書き「神」旧字体の「示へんに申」)に変更し帽子のOマーク廃止1943年帽子代わりに戦闘帽着用し阪神電鉄社章帽子マークとした。また、襟、ライン廃止1944年背番号廃止また、ユニフォーム国防色化も指示されていたが、かつて「OSAKA」のユニフォーム使用していた灰色無地生地使用することで容認された。その際ロゴライン黄色取り除かれたが、袖の虎マークそのまま使用された。 初代ユニフォーム御園生崇男1937年 国防色ユニフォーム景浦將1943年 1945年再び「大阪タイガース」に改称するも、生地の不足により「Tigersロゴ無しグレー地に黒のストライプユニフォームであったストッキンググレー地にダークグレーストライプのものが主に使用された。帽子のOマーク復活していた。 1946年 - 1948年ロゴ復活。しかし、グレー地のユニフォーム生地耐用期間が短く、わずか3年間で廃止された。 1947年 - 1951年物資不足の影響から、縦縞の無い白色無地前立てラインユニフォーム採用前立てラインが2本のものと1本のものの2種類存在した。「Tigersロゴ縁取りライン黄色アンダーシャツ選手によってバラバラであり、白や紺、黒、あずき色などが使用された他、帽子白地黒字のOマークツバ紺色であり、1938年 - 1940年使用され白地ストッキング復活した。特に、1本ラインのものは2リーグ分裂後使われ1951年までホーム用として使用された。 1948年 - 1949年「黒のユニフォーム」と呼ばれる濃紺生地使用したユニフォーム着用。主に遠征用として用いられていた。上下濃紺白字黄色縁取りの「Tigersロゴで、帽子濃紺白字のOマークであったストッキング従来白地のものに加えブルーグレー地に紺のラインのものと黄地に紺のラインのものを使用した。このユニフォーム縦縞生地が手に入らなかったために間に合わせ作られたものだが、「ダイナマイト打線」の時代重なったことや21世紀に入ってから復刻ユニフォームとして使用されていることもあって、老若男女問わずファン認知度は高い。 1950年 - 1951年オールスター前2リーグ分裂に伴い遠征ユニフォーム濃紺ユニフォームから薄めグレー基調とした「OSAKAロゴユニフォーム変更1936年 - 1940年使用されていた「OSAKAロゴユニフォーム踏襲したデザインであり、戦後初め左袖に虎マーク復活。このユニフォーム専用として帽子マークが「T」の帽子登場黒地白字のTマークというデザインであった1951年オールスター後 - 1953年オールスターを境に、遠征ユニフォームの「OSAKAロゴを「Tigersロゴ変更した上で前立てライン廃しビジター用ユニフォームとして使用。「OSAKAロゴは虎マーク代わりに左袖移動したストッキングは黄地に白、黒、赤のライン入ったもの。襟を廃止1952年このシーズンのみ、白地ラインなしのホーム用使用地色以外は前年から使用していたビジター用と共通のデザインであったストッキング従来白地に黄、赤のライン入ったもの。また、ビジター用帽子マークがTマークからOマーク戻った1953年 - 1957年伝統縦縞白地の縞帽子復活1938年 - 1940年デザインをほとんどそのまま踏襲したデザインとなった1954年 - 1957年ビジター用ユニフォームロゴが再び「OSAKA」となる。胸ロゴ背番号明朝体モチーフとした新たな書体となり、左袖の虎マーク復活ストッキング黒地に黄の2本ライン無地ユニフォーム別当薫1949年頃 黒のユニフォーム藤村富美男1949年 Tマーク帽子梶岡忠義1950年 1954 - 57年〈V〉吉田義男1956年 1958年 - 1959年ホーム・ビジターともに、胸ロゴ黄色縁取りがなくなる。また、ホーム用白地縦縞帽子ストッキング廃しビジター用と同じものに統一1960年ホーム用ユニフォームの「Tigers」の書体細部調整されると共に、胸番号採用帽子マークを「OT」に変更(「T」に小さめの「o」を添わせた「Toのようなデザイン)。 1961年 - 1965年球団名が「阪神タイガース」に変更されるに伴いビジター用ユニフォームの胸ロゴが「HANSHIN」に、帽子マークを「HT」に変更(「T」の縦棒が「H」の横棒を貫くような配置重ね文字型デザイン)。 1962年後期 - 1964年ビジター用の胸番号背番号と同じ丸い書体になる。 1965年前期ビジター用の胸番号背番号が共に角書体になる。 1965年 - 1973年基本デザインそのままに、襟・腕・パンツ脇に太いライン採用された。背番号書体ホーム用ユニフォームゴシックに近い書体ビジター用ユニフォーム角書体、胸番号がホーム・ビジターともに角書体になる。ただし、ホーム用の胸番号背番号と書体が異なる上、さらにビジター用とも異ないわゆる高校野球型」書体である(但し「1」と「4」の下部セリフがない)。ホーム用左袖に「OSAKA」が復活ビジター用従来通りマーク1970年 - 1973年マーク僅かに変更され刺繍となった他、背ネーム採用。そのため背番号がやや小さくなった。背ネームに於けるオ段長音はHを使用することが通例となっているが、タイガースでは1985年頃までHを略していた選手多かった川藤幸三:KAWATOH→KAWATO、遠井吾郎:TOHI→TOIなど)。 1972年 - 1973年帽子HTマークツートン(「H」が黄色、「T」が白)となり、トップボタンが白、空気穴が黄色となった1974年 - 1975年ダブルニット素材ユニフォーム素材として採用されたことを機に、胸ロゴ背番号縁取りや袖・襟・パンツ脇などのラインチームカラー黄色入り帽子クラウンが黒+ツバ黄色のツートンタイプとなったまた、ホーム用縦縞の色がグレーから黒となった1975年 - 1978年ビジター用ユニフォームのみが変更地色グレーからスカイブルーになり、袖とパンツラインギザギザ模様になる。このライン永井一正デザインしたもので、「輝流ライン」と呼ばれた由来には「虎の牙」と「赤穂浪士法被」の2つの説がある)。また、球団史初めラグランスリーブ仕様採用された。襟ライン上に第1ボタンついている珍しい様式で、ホーム用ユニフォームビジター用ボタン素材異なりホーム用地色と同じプラスチック製ビジター用半透明プラスチック製ボタンだった。 1976年 - 1978年ホーム用にも「輝流ライン」を採用し左袖の「OSAKAロゴが虎マーク変更。それに伴ってビジター用左袖の虎マークが「Tigersロゴ変更1979年 - 1983年ブレイザー監督就任同時に輝流ライン廃止し従来の黒と黄色ライン変更ボタン式からプルオーバー式となり、ホーム用ユニフォームにもラグランスリーブ採用された。また、ストッキング黄色の2本線廃止され黒一色になる。ホーム用パンツの脇ライン消え縦縞僅かに太くなる。なお、背ネームファミリーネームのみ表記することが通例となっているが、1981年 - 1990年頃タイガース助っ人外国人ファーストネーム頭文字付きフルネーム表記使用していた選手多かったランディ・バース:R.BASS、リッチ・ゲイル:R.GALEなど)。1983年にはビジター用ユニフォーム左袖の「Tigersロゴ右上がりになる。 1982年 - 1983年安藤統夫監督就任により、ホーム用大幅にモデルチェンジチームカラー黄色消え、モノトーンスタイルと縞帽子ツバTHマークは黒)が復活しホーム用スパイク白地黒線になる。このデザイン変更から、途中マイナーチェンジ重ねつつも基本デザイン2006年まで25年間に渡って使用されることとなる。この間1985年2003年・2005年3度リーグ優勝果たした1984年 - 1987年ホーム用ユニフォーム2年遅れる形でビジター用ユニフォーム大幅にモデルチェンジホーム用同様に黄色の首と袖のライン廃してグレー地に黒の縦縞となり、左袖の虎マーク復活また、帽子黒地HTマークトップボタンが白となり、胸番号書体背番号同一になるホーム用背番号書体ゴシック体に近い書体からビジター用同様の角型となる。胸番号従来通り高校野球書体1988年 - 1990年基本的なデザイン変更されないまま、プルオーバー式からボタン式になる。また、ビジター用帽子HTマーク空気穴を銀、トップボタンを白から黒へ変更とするとともにビジター用スパイク黒地白線から、ホーム用同様の白地黒線となる。 1991年 - 2000年1985年の日本一にあやかり、再びプルオーバー式が復活1984年 - 1987年使用されていたデザインがほぼ完全に踏襲された(ビジター用帽子のみ前モデル流用)。 2000年当時監督野村克也提案により、ホーム用縦縞帽子廃止となり、ビジター用帽子アレンジした黒帽子HTマークは銀、トップボタン空気穴は黒)をホームゲームでも使用するうになる(前1999年オールスターゲームにて、新庄剛志和田豊同様のホーム用ユニフォームビジター用帽子」という組み合わせ出場していた)。また、スパイクがホーム・ビジター共に黒地に銀のラインとなる。 2001年 - 2006年ホーム用ユニフォームは、基本デザイン変更しないまま、ボタン付きプルオーバー式を採用ボタン外れるのは上から数個までで、残り飾りという仕様)、背番号・胸番号書体高校野球型(「1」と「4」の下部セリフあり)へ変更し背番号はやや縦長になった。ビジター用ユニフォームデザイン大きく一新縦縞廃しグレー地に黒白のラケットラインと袖ライン入り左袖の虎マークがモノトーンカラーに変更された。また、「HANSHIN」ロゴ黒文字白縁取りピッツバーグ・パイレーツ型の書体となった(「HANSHIN」ロゴ書体変更球団名改称以来初)他、ホーム用同様に番号書体高校野球型へ変更ニューヨーク・ヤンキース模して背ネーム無しスタイルとなった2002年 - 2006年ビジター用左袖の虎マークがモノトーンカラーから従来カラーのものに変更2003年 - 2006年ビジター用背ネーム無しから背ネームありのスタイル変更2005年左袖猛虎マークが、球団創立70周年記念ロゴマークに置き換わった。ただし、ホーム・ビジターで若干配色異なる。 2007年 - 2011年監督岡田彰布要望により、チームカラーである黄色1981年以来25年ぶりに取り入れる形で大幅モデルチェンジしたホーム用ユニフォームは、「Tigersロゴ背番号等が黄色縁取られる他、黄と黒の袖ラインパンツライン加わり脇腹部に黒の切り返し配した現代的なデザインとなった帽子1970 - 80年代のツートンタイプを基にトップボタン空気穴を黒とした仕様変更ビジター用ユニフォームは、「HANSHIN」ロゴ書体2000年までのものに現代的なアレンジ加えたものへ変更、ラケットラインを廃しホーム用同じく脇腹部に黒の切り返し配したデザインとした。帽子従来黒帽子に、ツバのふちに白ライン入りHTマークは白。また、ホーム・ビジター共に背番号・胸番号書体1962年夏 - 1965年まで使われ欧州系の書体彷彿させるデザインとなり、背ネームもそれに合わせた丸み帯びた書体となった2008年 - 2009年2008年交流戦明けより、ビジター用帽子デザイン変更好評だった交流戦専用ビジター用後述)を、トップボタン空気穴をグレーから黒にマイナーチェンジした上で使用2010年 - 2011年左袖の虎マークが、球団創立75周年記念ロゴマークに置き換わった(2010年のみ)。ビジター用帽子2007年タイプに戻る。 2012年 - 2014年新たにミズノサプライヤー契約したことによりモデルチェンジホーム用ユニフォーム縦縞昨季までより太くなり、「Tigersロゴ及び背番号・胸番号黒文字白縁取りとなったシャツ肩部脇腹部、パンツの脇部と裾部分に「牙」をイメージしたシャープ切り返し(黒に黄縁取り)が配された。ビジター用ユニフォーム球団史初め上下ツートンタイプ(黒シャツ+白パンツ)を採用、「HANSHIN」ロゴパイレーツ型をモチーフとしたデザイン変更背番号・胸番号とともに白字グレー縁取りとし、ホーム用同様の切り返し(白にグレー縁取り)に加えシャツにはシャドーストライプ配した帽子はホーム・ビジターともに黒一色となり、ツバの縁にホーム用は黄、ビジター用は白のラインが入る(ヘルメットも同様)HTマークは、ホーム用は白の「T」+黄の「H」、ビジター用は白の「T」+グレーの「H」。胸番号背番号1996年 - 2011年中日ドラゴンズと同じ書体変更背ネームはフルブロック体となった1988 - 90年〈V〉岡田彰布1990年 2001 - 06年〈V〉中野佐資2003年OB2007 - 11年〈H〉金本知憲2008年 2008 - 09年〈V〉林威助2008年 2012 - 14年〈H〉左:マートン右:ゴメス2014年 2012 - 14年〈V〉田上健一2012年 2015年 - 2017年球団創設80周年機にモデルチェンジ。「歴史・伝統新しさ」をコンセプトとし、ホーム用ユニフォームは白、ビジター用ユニフォームグレー基調に、ホーム・ビジターともに肩やわき腹部分切り返しなどを廃して白と黒の腕ライン+ラケットラインが入るシンプルなデザインとなったビジター用の「HANSHIN」ロゴ2000年以前伝統的なデザイン復活帽子はホーム・ビジター共通のデザインとなり、黒地白文字HTマークヘルメット初め艶消しタイプ採用また、背ネーム書体2006年以前ゴシック体戻った2015年左袖の虎マークが、球団創設80周年記念シンボルマークに置き換わった。 2016年 - 2017年ビジター用一新2003年・2005年2度リーグ優勝時の「強いタイガース」をイメージし2001年 - 2006年使用され上下グレー縦縞無しビジター用ベースに、グレー基調黒白のラケットラインと袖ラインが入る。肩から袖にかけてのスリーブ部が黒色となった2018年 - 2021年ホーム用ユニフォーム前年まで使用されモデルの胸ロゴ背番号、胸番号背ネームラインそれぞれの縁取りを白から黄にマイナーチェンジした形となり、帽子はツートンタイプを基にトップボタン空気穴を黄色にアレンジしたものを採用ビジター用ユニフォームは、4年ぶりに黒シャツ+白パンツのツートンスタイルが復活し1983年ぶりに黄色取り入れられることとなった黒地に黄と黒のラケットライン+袖ラインで、胸ロゴ背番号・胸番号背ネームは黄字+白縁取り帽子前年引き続き黒一色であるがHTマーク白字から黄字+白縁取り変更。なお、ホーム用には、前年までのヘルメット及び右袖加え新たに帽子左側部)とパンツ左足付け根部に「Joshin」のロゴ掲出される2020年 - 2021年ビジター用一新ロゴラインなどの基本パターンそのままに、グレー基調とした柄と白のグラデーション配したデザインとなった帽子は黒をベースツバグレー柄、HTマーク黒文字+黄縁取りとなった。なお、2020年シーズンのみ、左袖の虎マーク球団創設85周年記念シンボルマークに置き換わった。 2022年 -ホーム用ユニフォームは前モデル踏襲した基本デザインながら、「ラケットライン+腕ライン」を「襟ライン+袖ライン」とした上でミズノへのサプライヤー変更以降やや太めになっていた縦縞スタイリッシュな仕様マイナーチェンジ太さ:3mm→2mm、間隔:31mm→25mm)。ビジター用ユニフォームは「上下グレー縦縞」が7年ぶりに復活。さらにホーム用同様に黄と黒の襟ライン+袖ラインあしらったことで、球団史初めて「上下グレー縦縞黄色ライン」というデザインパターン採用することとなったホーム用帽子変更がなかった一方ビジター用帽子黒一色に黄字のHTマークトップボタン空気穴が黄色ツバの縁に黄のラインが入る仕様変更された。 2015 - 17年〈H〉江越大賀2015年 2015年〈V〉陽川尚将 2016 - 17年〈V〉望月惇志2016年 2018 - 21年〈H〉木浪聖也2019年 2018 - 19年〈V〉糸井嘉男2018年 2020 - 21年〈V〉中野拓夢2021年

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ユニフォームの変遷

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松竹ロビンス」の記事における「ユニフォームの変遷」の解説

大東京軍時代筆記体の「D」を左胸に付けユニフォーム使用。 「ライオン軍時代は胸に「LION」ロゴ入り左袖には獅子イラスト付けられた。 田村駒繊維商社であったため、同社オーナー時代には、物資不足の時代にも他球団より材質のよいユニフォーム使用していた。 上記通り1940年までは「ライオン軍であったが、敵性語排除リーグ方針となったため、同年秋の対抗戦では「LION」というロゴ削除してチーム名のないユニフォーム使用した。 「朝日軍時代は「朝」を胸文字使用偏に「赤い丸」を入れたデザインとした。 「パシフィック時代は「PACIFIC」と入ったロゴ使用1950年松竹となったこの年は、前年来日したサンフランシスコ・シールズユニホームモデルにして左胸に「Robins」のロゴ小さく入ったものを使用した。これとは別に通常の全面ロビンスロゴ入ったものも使用している。帽子マーク松竹映画社章そのまま使用、左肩には駒鳥イラストが入る。また当時としては珍しくパンツ腰部分に小さく背番号入っていた。 1951年前年セ・リーグ制覇したことを記念したエンブレムが左肩の駒鳥マーク下に入った

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ユニフォームの変遷

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大和軍」の記事における「ユニフォームの変遷」の解説

イーグルス時代ユニフォームもしくは紺の無地もしくは縦じまに「EAGLES」の文字帽子当初マークなし(後に「E」が入る)、左袖にはマークが入る。

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ユニフォームの変遷

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西鉄軍」の記事における「ユニフォームの変遷」の解説

大洋時代 「大」を模したマーク中に「洋」の文字入れたデザインのものを使用していた。 西鉄時代 左胸に西鉄社章入れたものに変更した

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ユニフォームの変遷

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名古屋金鯱軍」の記事における「ユニフォームの変遷」の解説

創設時は胸に「NAGOYA」の文字入れ、左肩に金鯱イラスト入れた金鯱マークを左胸につけたバージョン存在する)。

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ユニフォームの変遷

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結城ブレーブス」の記事における「ユニフォームの変遷」の解説

グリーンバーグ……全身国防色呼ばれるカーキ色ブレーブス……全身国防色呼ばれるカーキ色向かって右胸にBのマーク

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ユニフォームの変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 05:42 UTC 版)

翼軍」の記事における「ユニフォームの変遷」の解説

セネタース時代 復刻版をもとにすると、帽子ブラックレターで「T」、ユニホームグレー地に赤と紺を組み合わせたラケットラインが入り、左胸には赤文字上段「SENATORS」下段TOKIOTOKYOではない)」の囲み野球ボール背景とした黒獅子イラストが入る。ベルトパンツベルトループ部分は共に濃紺で、着用した際の視覚上の一体化図られている。ストッキング紺地に「白・赤・白」の3本ライン。 翼時代 帽子が青でユニフォームが緑であった帽子に翼と書いてあった。

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