ユニフォームの変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 02:57 UTC 版)
「CFモンテレイ」の記事における「ユニフォームの変遷」の解説
最初のユニフォームは胸部分を斜めに横切るラインが入った青色と白色のシャツ、白色のパンツ、紺色のソックスであった。2度目のリーグ優勝後の1955年には2本の青色の線が入った白色のシャツに変更された。1960年代には淡青色の縦縞のシャツ、白色のパンツとソックスに変更され、1962年にはメキシコシティのアストゥリアスFCのユニフォームからヒントを得た、現在でも使用されているユニフォームが導入された。 ホーム 1945 ホーム 1965 ホーム 1975 ホーム 1980–83 ホーム 1989–93 1994–97 ホーム 2010 ホーム アウェー 1955 アウェー 1960 アウェー 1976 アウェー 1980–83 ホーム 1983–89 アウェー アウェー 2003 2008 アウェー 2010 アウェー
※この「ユニフォームの変遷」の解説は、「CFモンテレイ」の解説の一部です。
「ユニフォームの変遷」を含む「CFモンテレイ」の記事については、「CFモンテレイ」の概要を参照ください。
ユニフォームの変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 04:48 UTC 版)
「大映ユニオンズ」の記事における「ユニフォームの変遷」の解説
ゴールドスター時代のユニフォーム 左胸に☆マーク入りの「G」が入る、シンプルなもの。 大映スターズ時代のユニフォーム 何種類かパターンがあるが、基本は「D」の筆記体をマークとした帽子に、ホーム用に「STARS」ビジター用に「DAIEI」の胸文字、左袖に球団エンブレム(大映マークの中心にバットの絵が入る)を置いた。 ベルトのバックルは、スターズ(STARS)をもじってS字のシルエットになっており、中間に斜めにライトブルーの線が入り、左上がレッド、右下にブルーの七宝焼きが入る。 また、左上に大映球団のマーク、右下に「DAIEI」のロゴと「STARS」のロゴが入っている。 プロ野球ユニフォーム用のバックルとしては手の込んだ造り。
※この「ユニフォームの変遷」の解説は、「大映ユニオンズ」の解説の一部です。
「ユニフォームの変遷」を含む「大映ユニオンズ」の記事については、「大映ユニオンズ」の概要を参照ください。
ユニフォームの変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 16:15 UTC 版)
「西日本パイレーツ」の記事における「ユニフォームの変遷」の解説
ユニフォームの1つはニューヨーク・ヤンキースに似た、白地に紺のストライプで左胸にNのマーク。小島監督は胸のマークをヤンキースと全く同じNYマークにしたいからという理由で「球団名を(会社名と同じ)西日本野球株式会社に出来ないか」とフロントに掛け合ったが、却下された。 もう1つは灰色地のもので、胸には「PIRATES」のマーク(紺色地に黄色の縁取り、フォントは巨人などと同じ「早稲田文字」)が入ったものを使用していた。
※この「ユニフォームの変遷」の解説は、「西日本パイレーツ」の解説の一部です。
「ユニフォームの変遷」を含む「西日本パイレーツ」の記事については、「西日本パイレーツ」の概要を参照ください。
ユニフォームの変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 18:29 UTC 版)
「高橋ユニオンズ」の記事における「ユニフォームの変遷」の解説
1954年 - 帽子のデザインは「T」と「U」を組み合わせ、胸文字はホーム用はゴシック体で「Unions」、ビジター用は「TAKAHASI」。 1955年 - 「トンボユニオンズ」となったことで、左胸にトンボ鉛筆のマークを使用(マーク下に「UNIONS」)。ビジター用は胸全面に「Tombow」。
※この「ユニフォームの変遷」の解説は、「高橋ユニオンズ」の解説の一部です。
「ユニフォームの変遷」を含む「高橋ユニオンズ」の記事については、「高橋ユニオンズ」の概要を参照ください。
ユニフォームの変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 23:38 UTC 版)
「大阪近鉄バファローズ」の記事における「ユニフォームの変遷」の解説
1950年 - 1952年 球団創設期はホーム用が胸に「Pearls」が入ったもの、ビジター用は水色を基調としたユニフォームで胸にゴシック体で「KINTETU」のロゴが入った(1952年限り)。ゴシック体の「KINTETU」は1957年まで使用される。帽子は「K」「P」など数種類が存在。 1953年 左胸に「Pearls」と書かれた、サンフランシスコ・シールズを参考にしたユニフォームが登場。同時に縦縞となり、球団名がバファローとなった1959年まで使用。 1954年 - 1958年 左胸に「P」1文字の、フィラデルフィア・フィリーズを参考にしたデザイン。1958年には帽子のツバ、アンダーシャツ、ストッキングが赤くなる(途中から従来の物も使用)。1958年からビジター用ロゴが飾り文字に変更。 1959年 千葉監督就任と同時に球団名をバファローに変更。ホーム用は黒の帽子・アンダーシャツ・縦じま・袖ラインが採用され、赤い「Buffalo」の胸マークが入ったデザインに変更された。ビジター用は背番号の書体を変更。帽子の前面には、金糸で猛牛マークが入った。 1960年 - 1961年 縦縞を廃止。チームカラーを黒と黄色に変更。ビジター用の左袖が近鉄の社章から猛牛マークに変更される。 1962年 - 1965年 球団名がバファローズとなり、胸ロゴが「BUFFALOES」に変更。袖番号が付けられる。帽子マークは「K」と「B」を組み合わせたものに。1965年からラインを黒に変更し、番号が胸に移動。 1966年 - 1973年 ロサンゼルス・ドジャースを参考にしたユニフォームに変更。同時にロゴも筆記体の「Buffaloes」に変更。ストッキングは上部が濃紺に3本の白線、下部が赤色となる。1968年より、三原脩監督就任時より、ホーム用の背番号、胸番号の角が取れ、丸型となる。 1969年 - 1971年 ヘルメットが紺地に猛牛マークが入ったものになる。 1972年より、帽子のツバがオレンジ色となる。 1973年後期より、袖とズボンにラインが入るなどのマイナーチェンジが施される。 1974年 - 1996年 西本幸雄監督就任時より、ニット式のベルトレスユニフォームが登場。袖部分のラグランスリーブが赤となり、首と袖に白線が入り、丸首プルオーバースタイルとなる。左袖には、炎と猛牛を組み合わせたマークが入る。ユニフォームデザインはアトランタ・ブレーブスのものを参考にしている。帽子・ヘルメットは、紺色地に赤の「B」マーク(デザイン自体は1966年より使用しているものと同じでボストン・レッドソックスと同じ書体)・ツバが赤。その後、ヘルメットのみ猛牛マーク(赤色のツノ・紺色の目を白縁でデザイン)に変更されたデザインが使われるようになる(採用時期不詳)。 1977年より 左袖のマークが猛牛マークになり、デサント社が開発した快適性、軽量化を図ったメッシュ素材の上着を、野球のユニフォームとしては世界で初めて採用する。 1978年より 背番号の上に選手名(英字表記)が入り、ベルトレスからインナーベルト式になる。 1978年後期より、帽子の地色が赤、前面が白、白部分のサイドに紺のラインが入り、紺色の「KINTETSU BUFFALOES」のロゴ(アーチ型)、猛牛マークが入る三色帽に変わる。三色帽はモントリオール・エクスポズが採用していたものを参考にデザイン。1979年、1980年、1989年の3度のリーグ優勝を果たしたゲンのいいユニフォームで、マイナーチェンジを繰り返しながら23年の長きに渡り使われた。 1997年 - 2004年 大阪ドーム移転を機にフルモデルチェンジ。デザインはコシノヒロコが手掛ける。同時に球団カラーを「バファローズホワイト」、「バファローズオレンジ」、「バファローズネイビー」、「バファローズレッド」の4色と設定。デザインはそれに基づかれた。帽子・アンダーシャツ・線は紺。 1999年より、球団名が大阪近鉄バファローズとなり、ビジター用が「Kintetsu」から「Osaka」に変更。これが近鉄最後のユニフォームとなった。また左袖には50周年記念のバフィーワッペンが入る(翌年以降、元のバフィーワッペンに戻す)。ビジター用上着のデザインは当初は赤のみだった。しかし、いざユニフォームが完成してみると、当時の佐々木監督や選手たちから「東芝のユニフォームみたい」「プロが着るユニフォームじゃない」などと異論が続出し、選手たちがユニフォーム変更を拒絶しかける事態となり、事態の沈静化を図るため急遽紺が追加された。その後もファン感謝デーでこのユニフォームが初お披露目された際、ファンから「台湾プロ野球(のユニフォーム)だ」などと酷評され、優勝するまではこのユニフォームの評判は良くなかった。 ビジター用はユニフォームは金曜日から月曜日は紺、火曜日から木曜日では赤と使い分けられていたが、2000年以降は紺のみとなった(使い分けに関しては当初「ナイトゲームは赤、デーゲームは紺」とされたが、使用頻度の偏りを避けるために上記のようになった)。このため、結果的に、「Osaka」ロゴの赤は1999年のみの使用となった。 後身のオリックス・バファローズの2011年以降の旧ユニフォーム復刻イベントで以下の時代のものが再現された。1966~73年前期 1974~96年 1999~2004年 - 2013年(ホーム)、2015年(ビジター紺)、2019年(ビジター赤)いずれもビジター用の胸ロゴが「Osaka」に変更後のもの。1999~2004年モデルには、当時永久欠番とされた「背番号1」は本来存在しなかったが、2013年は後藤光尊がホーム用で、2015年は中島裕之がビジター用(紺色)で着用している。
※この「ユニフォームの変遷」の解説は、「大阪近鉄バファローズ」の解説の一部です。
「ユニフォームの変遷」を含む「大阪近鉄バファローズ」の記事については、「大阪近鉄バファローズ」の概要を参照ください。
ユニフォームの変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 09:26 UTC 版)
「東京ヤクルトスワローズ」の記事における「ユニフォームの変遷」の解説
1950年 - 1954年:帽子・アンダーシャツ・レター(胸ロゴ・番号)は濃紺を基調とした(レターは白の縁取り入り。1954年ホーム用除く)。また、上着とパンツは白のものとグレーのものが存在(1952年のフランチャイズ制導入に伴い、白=ホーム・グレー=ビジターの概念生まれる)。ロゴは「Swallows」(1953年まで色は濃紺)で縁取りが白・左袖に金糸で国鉄社章「動輪に桐」のワッペンが入る。 帽子は、濃紺地に白文字の「S」。 1951年の途中から国鉄社章のワッペンが外され、シンプルな形となった。また、ツバメのシルエットに「Swallows」のマークが左胸に入ったものも使われた。ビジター用はTとKを重ねたマーク(濃紺・白縁取り)、「Swallows」を経て1953年から「Tokyo」となる。 1954年のみホームユニフォームが緑色(帽子のツバとロゴと背番号、アンダーシャツとストッキング)でまとめられていた。ただし、こげ茶色のアンダーシャツも使われた。 1955年 - 1960年:レターから白の縁取りが消える。袖・パンツに線が入る。また、ストッキングに赤が入った。1960年から胸番号が装着され、同時にビジター用の「Tokyo」の書体が変更。帽子マークは「K」。 1961年 - 1965年5月:縁取りに赤が使われてストッキングの線が廃止。1963年から「Tokyo」の書体を変更。1965年のみ線がW線となり、国鉄最後のユニフォームとなった。なお帽子マークはこの間、「K」と「S」の組み合わせや「S」など毎年の様に変更されていた。5月10日より、国鉄から産経新聞社へ経営母体が変わり球団名「サンケイスワローズ」に変更されたが、しばらくこのユニフォームが使われた。 1965年6月 - 閉幕:先述の経営母体変更に伴い、チームカラーが濃紺・赤から黒・朱色(産経のコーポレートカラー)に変更される。胸ロゴはホームが濃紺・赤→朱・黒縁に色変更、ビジター用は「SANKEI」(朱・黒縁)に変更された。そして、ホーム用の左袖にカタカナで「サンケイ」のロゴ(黒一色)が入り、ビジター用の左袖には「TOKYO」のロゴが入る(時期により、朱・黒縁、黒・朱縁のロゴが存在した)。帽子マークは国鉄時代最末期の「S」をそのまま使用。 1966年 - 1968年:球団名がサンケイアトムズとなり、レターのスペルが全て小文字(斜体文字)の「atoms」が登場。チームカラーが赤と青に変更され、アンダーシャツ・ストッキングも青に変更される。夏からビジター用も全て小文字(同じく斜体文字)の「sankei」となる(それまでは「SANKEI」)。帽子は青地で飾り紐が付き、マークは赤で「a」。背番号も斜体文字が採用される。左袖には『鉄腕アトム』のキャラクター・ワッペンが付く。斜体文字フォントは亀倉雄策が作成(以来、フォント自体は1993年のユニフォームまで残る)。人気ブランド「VAN」が作成。 1969年 - 1970年:チーム名がニックネームのみの「アトムズ」(アトムズは1969年のみ、この年からヤクルト本社と業務提携。翌1970年、ヤクルトが正式に親会社となり「ヤクルトアトムズ」となる)になり、レターは赤に白の縁取り・線が赤と白と青の組み合わせとなる。背番号の上に選手名が入る。帽子のマークが「a」から「Ya」(「Y」は赤、「a」はライトブルー)に変更。ホーム用の左袖に「Yakult」のマーク(文字の両脇をコバルトグリーンの左カッコと赤の右カッコで囲ったもの)が入る。ビジター用はスカイブルー地。胸ロゴが「Yakult」となる(サンケイ時代と同じフォント。以来、配色を変えながらも1993年までこのロゴを使用)。 シーズン途中からレターが濃紺色に変更。 1971年 - 1973年:三原脩監督就任により、読売ジャイアンツと同じ黒とオレンジを基調としたものへと大幅変更される。帽子、アンダーシャツ、ストッキングが黒、胸ロゴ・背番号・胸番号・選手名が黒にオレンジの縁取り。左袖の「鉄腕アトム」のキャラクター・ワッペンが廃止され「atoms」のマークになり、帽子のマークがYとAを重ねた形になる(色は白)。ビジター用はグレー地になる。 1974年 - 1977年:スワローズの愛称が復活し、球団名が「ヤクルトスワローズ」となる。同時に荒川博監督就任に伴い、ニット素材の丸首ブルオーバー・ベルトレスになり、基本色が濃紺と赤へ変更。背中の選手名が消え、番号フォントはゴシック体になる。帽子、アンダーシャツ、ストッキングは紺、帽子のマークはYとSとを繋げた形になる。帽子のツバは赤。ホーム用は、トレードマークとなる赤ストライプを採用(一旦2005年に廃止されるが2014年に復活)、「Swallows」ロゴは1965年までのものをそのまま採用。ロゴ・背番号・胸番号は濃紺地に赤の縁取り。首・袖・腰・パンツには濃紺・赤・濃紺の線。 ビジター用は、スカイブルー地に白のストライプ。ロゴ・背番号・胸番号は赤地に濃紺の縁取り。首・袖・腰・パンツには濃紺・白・濃紺の線が入る。1975年より、ビジター用の胸ロゴ・背番号・胸番号の縁取りが濃紺から白になる。 1976年より、ビジター用の首・袖・パンツの線のうち白部分が赤になる。 1977年より、広岡達朗監督の要望により、ベルト式(ベルトの色は赤)になる。また、従来のニット地に加え、サプライヤーであるデサント社の技術により、快適性・軽量化を図ったストライプを施した上でのメッシュ地の上着を阪神タイガースのホーム用と同時期に採用。また、スパイクが赤地に白線になる。 1978年 - 1989年 基本デザインが当時のアトランタ・ブレーブスを意識したものに変更され、これまでの濃紺・赤から青・赤になり、帽子が青一色になる。さらに首、袖、パンツの線が赤一色、赤のVネックに、ベルトが赤になる。背番号の上には1973年以来の選手名が復活、背番号・胸番号の書体がオリジナルの角文字フォントに変わる。胸ロゴ・背番号は青に赤・白の縁取りになり、胸番号の縁取りは消える。ホーム用は赤ストライプが太くなり、左袖に紺地の「Yakult」のロゴ(ビジター用胸ロゴと同じフォント)刺繍が入る。 ビジター用はスカイブルーの色がやや落ち着き、白ストライプが消える。左袖には紺地の「Swallows」のロゴ刺繍。1980年、武上四郎監督就任時より、スパイクが白地に赤線になり、ゼット社のスパイクとなる。 1982年、ビジター用の首、袖、パンツの線が赤から赤・青・赤の3本線になる。 1990年 - 1998年:野村克也監督就任により、パンツの線・胸ロゴ・背番号の赤白の縁取りが消え、二桁の選手の背番号の間隔がやや狭くなる。ホーム用は、マイナーチェンジ。赤ストライプ、Vネックの幅がやや細くなる。時期によりビジター用と同様のシャドゥ・ストライプ素材を使用したものもあるが、赤ストライプが入っていたためほとんど目立たなかった。 ビジター用は大きく変更。光の加減でストライプに見える「シャドゥ・ストライプ」を採用。1977年のストライプメッシュ地のユニフォームを製造したデサント社の技術により実現。胸ロゴ・背番号には白いシャドゥがつき、シャドゥ・ストライプと併せてサッカーのユニフォームを意識したものになる。首、袖のラインは青・白・青となり、胸番号と左袖の「Swallows」ロゴが赤色になる。1994年には、ホーム用の袖の赤ラインが消え、帽子のYSマークがアトムズ時代に使われた「Ys」型(「Y」が赤、「s」が青)になり、ホーム用左袖・ビジター用胸に入っていた「Yakult」ロゴの書体が、1969年以来の亀倉雄策制作のフォントから親会社のフォントをアレンジしたものに改められ、亀倉フォントがユニフォームから完全消滅した。左袖には、ホームのYakult、ビジターのSwallowsのロゴの上に「つば九郎」のペットマークがつく。 1997年には、ビジター用の袖線も消え、スパイクの個人契約メーカーでの使用が認められる。1970年代 - 1980年代、各球団ともビジター用のユニフォームの色はスカイブルー地が定番だったが、1990年代に入ると、各球団が徐々にグレーやチームカラーを施したものを採用しつつあったが、1998年まで12球団で唯一スカイブルー地を使い続けた。 1999年 - 2005年:若松勉監督就任に伴い、ホーム用が9年ぶりモデルチェンジ。青から紺に戻る。ホーム、ビジター用共ボタン式になり、背番号・選手名の書体が中日ドラゴンズに続いて、メジャー・リーグで採用されているタイプになる。左袖は「つば九郎」から「ボールと燕」を組み合わせたオリジナルエンブレムに変更(1999年のみ、球団創設50周年エンブレム)。ホーム用は首周りのラインが消え、赤ストライプがさらに細くなり、幅も狭くなる。 ビジター用は、提携していたクリーブランド・インディアンスのロード用のデザインを踏襲したものに変更される。 1999年夏場からビジター用(紺ユニフォーム)のアンダーシャツ、キャップのツバが赤くなる。2000年には紺に戻るが、一時ビジター用でまた赤が採用される。赤いアンダーシャツ、キャップのツバは2002年に廃止された。2001年に1試合だけ若松監督のゲン担ぎでホームの試合(白ユニフォームとの組み合わせ)で使ったのが最後である。なお最後に着た先発投手は入来智であり、対巨人戦だったが負け試合だった。ただし、2005年までユニフォームの登録はしていた模様。ビジター用は、本来1998年から導入される予定だったが、前年日本一になったことからゲン担ぎのために当時の監督・野村克也が導入を止めさせた。 ビジター用のアンダーシャツ、キャップのツバはもともと紺でデザインされていた。しかし完成後に着用して確認した若松が「雰囲気が大人しい、闘争本能が湧いてこない」と異論を唱えたことから急遽赤に変更されたものの最終的には定着せず終わった。 2006年 - 2008年:「東京ヤクルトスワローズ」への球団名変更及び古田敦也選手兼任監督就任、球団あげての観客増員プロジェクト「F-PROJECT」の一環として、「BEAMS」が手がける。ホーム、ビジター共基本色は変わらないが、首周りと袖に赤線が入り、肩から袖・パンツの腰から足首にかけて細くなる太線が入る。ホーム・ビジター共に右肩に「Tokyo」のロゴが入り、さらに選手名の書体が変わり、背番号・胸番号の書体が角が丸い角型に変わる。ホーム用は、1974年より32年間採用されていた赤ストライプが消える。胸ロゴに赤・白・水色の縁取りが入る。Tokyoロゴは青色で、左袖のエンブレムの下に赤色のYakultロゴが配される。 ビジター用は、背番号が赤地に白縁取りだったものが、白一色になる。Tokyoロゴは赤色、左袖のエンブレム下には白色でSwallowsロゴが入る。 2009年 - 2012年:ヤクルト球団設立40周年を記念し、3年ぶりにホーム、ビジターのデザインを一新した(デザインは引き続きBEAMSによる)。選手名と背番号の書体が変更され、選手名は直線状に並ぶ。ワンポイントとして一番上のボタンのみ、赤色を使用(他はホーム用はユニホーム同色の白、ビジター用はグレー)。スパイクは白から紺に変更。左袖はエンブレムからつば九郎とは異なるツバメの顔のイラスト(タツノコプロデザイン)に変更。左右袖の「Tokyo」「Yakult(ホーム用)」「Swallows(ビジター用)」は赤色に統一。ホーム用はゼット製、ビジター用は2011年まではミズノ製で2012年からはホーム用と同じくゼット製。ホーム用は2006年使用モデルを基本に、太線を赤、ロゴマークを白基調、赤と紺の縁取りに変更。 ビジター用はライトグレー地を基調に、太線の配置をホーム用とほぼ同じとしている。 2009年のみ右胸部分にヤクルト球団設立40周年記念ロゴが入る。球団設立40周年記念ロゴは、内野のダイヤモンドを模したデザインで、各ベース部分には歴代の帽子マークをデザイン(本塁:スワローズ現行「Ys」、一塁:アトムズ「Ya」、二塁:アトムズ「YとA組み合わせ」、三塁:スワローズ「YS」)。 2011年度よりホームユニフォームのみシャツ本体の切り替え、胸マーク、背番号、胸番号、袖マークを昇華プリントに変更。 2013年 - 2015年:2013年シーズンこそは優勝したいと言う想いを込めて、1990年代の黄金期のユニフォームデザインを蘇らせたものに変更。選手名と背番号の書体が変更となり、選手名は曲線状に並ぶ。前年まで使用していたユニフォームと同様にワンポイントとして、一番上のボタンのみ赤色を使用(他はホーム用が白、ビジター用が同色のネイビー)し、左右袖の「Tokyo」「Yakult(ホーム用)」「Swallows(ビジター用)」は赤色に統一。なお、デザインは前年までのBEAMSではなく、ホーム、ビジター共にゼット社が手がけている。ホーム用は黄金期の象徴ともいえる「赤ストライプ」が8年ぶりに復活。白を基調に赤の縦線で、上下縦じまを採用。ロゴマークと背番号はネイビーで赤で縁取り、選手名はネイビー。肩口にネイビーと赤でツバメの優雅な飛翔を象徴したデザインを新たに施し、「伝統」と「最新」を融合させたデザインとなっている。帽子はネイビーの地に白字で「YS(1974年から1993年まで使用していたマークが復活)」。 ビジター用はネイビーを基調にして力強さを表現。ロゴマークと背番号は赤で白で縁取り、選手名は白。肩口に白と赤でツバメの優雅な飛翔を象徴したデザインを施し、脇の所まで赤の直線が入る。また、脇から背中を廻る鮮やかな赤のウイニングラインが入り、上昇気流に乗って勝利を目指すツバメの軌跡をイメージしている。帽子は前年まで使用していたものを使用していたが、2015年よりホーム用と同じマークに統一。また、キャプテンを務める選手の右胸にはキャプテンマーク(白縁に藍色の菱形、その上に赤字で「C」)のワッペンが付けられる。 2015年はホーム・ビジターともに左袖に「ヤクルト」80周年記念エンブレムが入る。 2016年 - メーカーはゼットからマジェスティック・アスレティックに変更し、ユニフォームデザインを大幅に一新。帽子はホーム/ビジターとも前年までのものを引き続き使用。ホーム用は、前年までのユニフォームと同様の赤いピンストライプを基調としたもの。1974年のヤクルトスワローズとして最初のユニフォームをモチーフに、赤のストライプは細く、間隔も広げた。首周りと袖口に配した紺・白・赤のトリコロール柄のリブが特徴。ワンポイントの赤ボタンは継承している。 ビジター用は、新たな「東京スタイル」をコンセプトに、サードユニフォームで使用していた「グリーン」を配色に採用。紺色とグリーンを基調にしたデザインで、「Yakult」のロゴを筆記体に変更。首周りと袖口には緑・白・紺のトリコロール柄のリブ。ワンポイントのボタンは緑色となる。 サードユニフォームは、独自のデザインであった2015年版のCREWユニフォームの進化系でありながらも、紺色と赤をメインカラーに使用。ホーム/ビジター同様に、首周りと袖口に採用したトリコロールリブを配した。なお、ホーム/ビジターとの相違点としては、帽子のつばが赤(1974 - 1977年仕様の復活とも言える)。2016年および2022年には前年度のセ・リーグ優勝を記念して、ホーム/ビジターとも右袖にチャンピオン・エンブレムが貼り付けられる。 2019年のみ右袖にヤクルト球団設立50周年記念ロゴが入る。 ホームユニフォーム(2017年) ビジターユニフォーム(2016年) 2013年~2015年のホームユニフォーム 2009年~2012年のビジターユニフォーム 2006年~2008年のホームユニフォーム
※この「ユニフォームの変遷」の解説は、「東京ヤクルトスワローズ」の解説の一部です。
「ユニフォームの変遷」を含む「東京ヤクルトスワローズ」の記事については、「東京ヤクルトスワローズ」の概要を参照ください。
ユニフォームの変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 02:28 UTC 版)
「広島東洋カープ」の記事における「ユニフォームの変遷」の解説
1950年 - 1952年 創設期はサンフランシスコ・シールズやニューヨーク・ヤンキースを参考にしたユニフォームがあったが、球団の資金難などから1年で廃止された。その後ビジター用のグレーは1952年まで使用。 1952年 - 1953年 大下回春堂から資金援助を受けるため、左袖にフマキラーのロゴが登場。創設期からユニフォームは紺色をチームカラーとしていた。 1954年 - 1957年 フィリピン遠征を機にユニフォームが一新。ビジター用を南十字星がイメージし、「Hiroshima」の「i」の字の上部を「☆」にしている。帽子のマークに現在のデザインに似た「C」を採用。 1958年 - 1962年 当時のボストン・レッドソックスを参考にしたユニフォームが登場。この時初めて胸文字及びラインに「赤」が取り入れられる。帽子マークは小文字の「c」と「h」を並べたデザインに変更。1960年にはビジター用がモデルチェンジされ、ドジャース型となり、この時初めて、現在使用されている筆記体ロゴの原型が登場する。(スペルはHirosima)。また、胸番号も登場。 1963年 - 1972年 白石勝巳監督就任時より、やや緑のかかった紺色一色になり、首、袖、ベルトループに紺色のラインが入る。帽子のマークは「HIROSHIMA」のHマークになる。日本のプロ野球チームで自治体の名前を入れた唯一の例ともいわれた。Hマークは現在の球団旗にも使われている。ビジター用はグレー地で、胸ロゴは花文字書体のHIROSHIMAで、6年ぶりにこのスペルに戻った。胸番号は無く、左投手及び左打者は左袖に、右投手及び右打者は右袖に袖番号が付く。1968年より、根本陸夫監督就任に伴い、袖、ベルトループのラインが太くなり、ビジター用の番号が袖から右胸につく。この年から「広島東洋カープ」と名称変更したことにより、ビジター用の右袖に東洋工業(現:マツダ)の「TOYO」の文字が入る。 1971年より、袖、首、パンツ、ベルトループの紺ラインをオレンジで挟むラインとなり、胸ロゴ(ホーム用のCARP、ビジター用のHIROSHIMA)、背番号、胸番号、袖襟・ズボンのラインが紺にオレンジの縁取り、帽子のHマークがオレンジになる。また、ビジターの胸番号がホーム同様左側に統一される。 1973年 - 1974年 別当薫監督就任に伴い、ニット素材の特徴を生かした丸首のベルトレスのユニフォームとなり、プルオーバーとなる。背番号、胸ロゴ、胸番号が赤の縁取り、袖と首周りに紺と赤のツートンライン、ストッキングに赤の2本ラインが入り、帽子のマークがHから、シンシナティ・レッズと同じ形状のC(赤に白の縁取り)に変わる。ビジター用は、ブルーグレー地になり、1960年 - 1963年にかけて使用されていた筆記体ロゴが「Hiroshima」にスペルを変更の上で復活する。 1975年 - 1976年 ジョー・ルーツ監督就任に伴い、ルーツが1972年 - 1973年にコーチを務めたクリーブランド・インディアンスのカラーを取り入れ帽子の色が赤に、Cマークが紺に白の縁取りとなる。さらに首周りがVネックとなる。また、ズボンの縦ラインが紺・赤・紺のストライプから赤・紺・赤のストライプに変更。 1977年 - 1988年 背番号、胸ロゴ、胸文字、アンダーシャツ、ストッキングが赤一色になり、カープ=赤が完全に定着する。袖、腰ラインの紺と赤とが逆転し、外側に移動した袖の紺ラインが細くなる。また、スパイクが白地に赤のラインとなる。ビジター用は、ブルーグレーから鮮やかなスカイブルー地になり、胸ロゴ、背番号、胸番号が光る素材のものになる。スパイクもスカイブルー地に赤のラインとなる。1978年より、背番号の上に選手名が入る、 1988年のみ、ベルトレスからベルト式になる。このデザインは12年の長きに渡り使用され、1979年、1980年、1984年の3度の日本一(1986年はリーグ優勝)を果たした。ちなみにビジターユニフォームは広島刑務所に寄贈され、受刑者がソフトボール大会で着用していた。 1989年 - 1995年 山本浩二監督就任に伴い、ユニフォームを一新。当時のシンシナティ・レッズを意識したデザインになる。左胸にCマークとCARPのロゴ、胸番号は右腹部。袖には赤の2本ライン、左袖に「HIROSHIMA」のロゴが入る。球団創設時から定着していた紺色が消え、赤のみになる。帽子のCマークが白一色になり、シンシナティ・レッズと全く同じデザインとなる。ビジター用は上下グレー。ホーム、ビジター共スパイクも白地に赤ラインとなる。プルオーバーから現在のボタン式(ただし、第3ボタンまでがボタン脱着式で、あとは飾りボタン)に変更される。 なお1994年のみ、左袖に同年広島で開催されたアジア大会広島大会をPRするマークが入る。 1996年 - 2001年 胸ロゴが正面に、胸番号が左胸に戻る。赤の前立てラインがつき、袖のラインが消え、パンツのラインが赤の細ラインになる。ホーム用は、「CARP」の花文字が復活。 ビジター用は、「HIROSHIMA」(1963年 - 1972年使用)のロゴが復活する。1999年のみ、左袖に球団創設50周年のマークが入る。 この時代のユニフォームの背番号のサイズはホーム、ビジター共にそれまでのものより若干大きめだった一方、背番号の上の選手名の字幅がスマートだった。 2002年 - 2008年 球団創設期に使われていた縦縞を復活。ロゴを花文字からホーム用は筆記体デザインに、ビジター用はブロック体に変更。またビジター用では、左投げの選手には右袖に、右投げの選手には左袖にカープのロゴ(炎のボールマーク)が入る。 この時のビジターユニフォームは両袖の部分が赤色でアナハイム・エンゼルス(当時)に似たデザインで一見ノースリーブのように見えるデザインだった。2003年より、背番号の上の選手名の書体が変わる。 2005年からホーム用のみ、袖とヘルメットにスポンサー・マツダの広告が入るようになった。同年からスパイクの色が赤地に白ラインとなる。 2006年、ブラウン監督の発案により、投手および野手のキャプテン選手(野手陣・前田智徳、投手陣・黒田博樹)の右袖に黄色の「C」が入る。 2007年より、ビジター用ユニフォームの胸ロゴが70 - 80年代に使われた「Hiroshima」の筆記体書体になる。また炎のボールマークからチームスローガンの「ALL-IN」のロゴに変わってそれが入る。 2009年 - 本拠地のマツダスタジアム移転に伴い、ユニフォームを一新。縦縞が消え、創設時より採用されていた紺色が21年ぶりに復活する。帽子のCマークに紺色の縁取りが入り、パンツには赤と紺の細いラインが入る。ホーム用は上下白を基調とし、赤い胸ロゴ、背番号、胸番号に紺の縁取り、袖に赤と紺の細いライン、左袖に「Hiroshima」の赤い筆記体ロゴに紺の縁取りが入る。 ビジター用は上着が赤、パンツは白。チーム史上初めてツートンカラーを採用。上着に紺の前立てライン、胸には「Hiroshima」の白いロゴに紺の縁取り、袖に紺の細いライン、左袖に「Carp」ロゴ、背番号と胸番号は白に紺の縁取りが入る。 2013年公式戦よりヘルメットに、マツダが日本ペイントと共同開発した自動車塗装色「ソウルレッドプレミアムメタリック」をイメージした特別な赤色を採用。これは3代目マツダ・アテンザの発表会を訪れた松田オーナーが展示車に使用されていた「ソウルレッドプレミアムメタリック」に興味を示し、居合わせたマツダ副社長から提案を受けて実現したもの。ちなみにヘルメットの色の配合などはマツダの車両担当が行っている。 2017年 - 2019年 前年度セントラルリーグ優勝を記念し、左袖にチャンピオン・エンブレムが入る。 2020年 - 左袖に球団創設70周年のロゴが入る。 2021年 - 左袖にチームスローガン「バリバリバリ」のロゴが入る。 2022年 - 左袖にチームスローガン「ガツガツGUTS!」のロゴが入る。 ホームユニフォーム(2017年) ビジターユニフォーム(2018年) 2002年~2008年のホームユニフォーム 2007年~2008年のビジターユニフォーム
※この「ユニフォームの変遷」の解説は、「広島東洋カープ」の解説の一部です。
「ユニフォームの変遷」を含む「広島東洋カープ」の記事については、「広島東洋カープ」の概要を参照ください。
ユニフォームの変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:01 UTC 版)
「ボカ・ジュニアーズ」の記事における「ユニフォームの変遷」の解説
ホーム用ユニフォームの変遷 1905 1905 1905–06 (7*) 1907–13 (5*) 1913-present 珍しいデザインや特別に使用したユニフォーム 1963 away (1*) 1996–97 home (2*) 1998–99 home 1998 home (3*) 2000-01 home (4*) 2006–07 away 2010 (6*) (1*)1963年のコパ・リベルタドーレスでウニベルシダ・デ・チレと対戦したが、ウニベルシダ・デ・チレもまた青色のユニフォームであるため、この対戦で着用された (2*)1913年以降、2本の白色の縦縞が加えられた。 (3*)1998年のコパ・メルコスールのためにデザインされたユニフォーム。 (4*)2000年と2001年のコパ・メルコスールのためにデザインされたユニフォーム。 (5*)クラブ創設100周年を祝って2005年のトルネオ・デ・ベラーノ(プレシーズン大会)の2試合のみで着用したユニフォーム。 (6*)クラブ創設105周年を祝って 2010年のトルネオ・デ・ベラーノ、CAリーベル・プレート戦の2試合のみで着用したユニフォーム。 (7*)1906年モデルに敬意を表して2012年のトルネオ・デ・ベラーノで着用されたユニフォーム
※この「ユニフォームの変遷」の解説は、「ボカ・ジュニアーズ」の解説の一部です。
「ユニフォームの変遷」を含む「ボカ・ジュニアーズ」の記事については、「ボカ・ジュニアーズ」の概要を参照ください。
ユニフォームの変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:02 UTC 版)
「阪神タイガース」の記事における「ユニフォームの変遷」の解説
「ユニフォーム物語」も参照 1936年 - 1940年「Tigers」ロゴが2種類、「OSAKA」ロゴが1種類の3種類のユニフォームを使用。帽子も、3種類のユニフォームとそれぞれデザインを合わせた3種類があり、マークは黒字の「O」。ストッキングは黒地に黄と赤の2本ラインのものと、グレー地にダークグレーの4本ラインのものの2種類。 「Tigers」ロゴのユニフォームは白地にライトグレーのストライプのものと、グレー地にダークグレーのストライプのもので、共に襟付きであり、ロゴ・背番号の縁取り、前立て、袖などに黒と黄のパイピングというデザイン。 「OSAKA」ロゴのユニフォームはグレー無地にロゴ・背番号の縁取りとラインに黄のパイピングというデザインで、襟付き、左袖に虎マークのワッペンが貼られている。 1937年「Tigers」ロゴの白ユニフォームのストライプを濃くし、ロゴ・背番号の縁取りを廃止するなどマイナーチェンジ。黒地にエンジの3本ラインのストッキングを追加。帽子を、白地にグレーのストライプ、黒ツバに赤字のOマークというデザインに変更。 1938年 - 1940年「Tigers」ロゴの白ユニフォームのストライプをさらに濃く太くし、ロゴ・背番号の縁取りを復活。白地に黄の2本ラインと赤の1本ラインを配したストッキングを追加。 1940年 - 1943年連盟の指示により球団名を「阪神」に改称したことに伴い、基本デザインはそのままにロゴを漢字の「阪神」(左胸に縦書き。「神」は旧字体の「示へんに申」)に変更し、帽子のOマークを廃止。 1943年帽子の代わりに戦闘帽を着用し、阪神電鉄の社章を帽子マークとした。また、襟、ラインを廃止。 1944年背番号を廃止。また、ユニフォームの国防色化も指示されていたが、かつて「OSAKA」のユニフォームで使用していた灰色無地の生地を使用することで容認された。その際にロゴやラインの黄色は取り除かれたが、袖の虎マークはそのまま使用された。 初代ユニフォーム御園生崇男、1937年 国防色ユニフォーム景浦將、1943年 1945年再び「大阪タイガース」に改称するも、生地の不足により「Tigers」ロゴ無しのグレー地に黒のストライプのユニフォームであった。ストッキングはグレー地にダークグレーのストライプのものが主に使用された。帽子のOマークは復活していた。 1946年 - 1948年胸ロゴが復活。しかし、グレー地のユニフォームは生地の耐用期間が短く、わずか3年間で廃止された。 1947年 - 1951年物資不足の影響から、縦縞の無い白色無地で前立てラインのユニフォームを採用。前立てラインが2本のものと1本のものの2種類が存在した。「Tigers」ロゴ縁取りやラインは黄色。アンダーシャツは選手によってバラバラであり、白や紺、黒、あずき色などが使用された他、帽子は白地に黒字のOマーク、ツバ紺色であり、1938年 - 1940年に使用された白地のストッキングが復活した。特に、1本ラインのものは2リーグ分裂後も使われ、1951年までホーム用として使用された。 1948年 - 1949年「黒のユニフォーム」と呼ばれる濃紺の生地を使用したユニフォームを着用。主に遠征用として用いられていた。上下濃紺に白字に黄色の縁取りの「Tigers」ロゴで、帽子も濃紺に白字のOマークであった。ストッキングは従来の白地のものに加えブルーグレー地に紺のラインのものと黄地に紺のラインのものを使用した。このユニフォームは縦縞の生地が手に入らなかったために間に合わせで作られたものだが、「ダイナマイト打線」の時代と重なったことや21世紀に入ってから復刻ユニフォームとして使用されていることもあって、老若男女問わずファンの認知度は高い。 1950年 - 1951年オールスター前2リーグ分裂に伴い、遠征用ユニフォームを濃紺のユニフォームから薄めのグレーを基調とした「OSAKA」ロゴのユニフォームへ変更。1936年 - 1940年に使用されていた「OSAKA」ロゴのユニフォームを踏襲したデザインであり、戦後初めて左袖に虎マークが復活。このユニフォーム専用として帽子マークが「T」の帽子が登場、黒地に白字のTマークというデザインであった。 1951年オールスター後 - 1953年オールスターを境に、遠征用ユニフォームの「OSAKA」ロゴを「Tigers」ロゴに変更した上で、前立てラインを廃しビジター用ユニフォームとして使用。「OSAKA」ロゴは虎マークの代わりに左袖に移動した。ストッキングは黄地に白、黒、赤のラインが入ったもの。襟を廃止。 1952年このシーズンのみ、白地にラインなしのホーム用を使用。地色以外は前年から使用していたビジター用と共通のデザインであった。ストッキングは従来の白地に黄、赤のラインが入ったもの。また、ビジター用帽子のマークがTマークからOマークに戻った。 1953年 - 1957年伝統の縦縞と白地の縞帽子が復活、1938年 - 1940年のデザインをほとんどそのまま踏襲したデザインとなった。 1954年 - 1957年ビジター用ユニフォームのロゴが再び「OSAKA」となる。胸ロゴと背番号が明朝体をモチーフとした新たな書体となり、左袖の虎マークも復活。ストッキングは黒地に黄の2本ライン。 無地ユニフォーム別当薫、1949年頃 黒のユニフォーム藤村富美男、1949年 Tマーク帽子梶岡忠義、1950年 1954 - 57年〈V〉吉田義男、1956年 1958年 - 1959年ホーム・ビジターともに、胸ロゴの黄色の縁取りがなくなる。また、ホーム用の白地の縦縞帽子とストッキングを廃し、ビジター用と同じものに統一。 1960年ホーム用ユニフォームの「Tigers」の書体が細部を調整されると共に、胸番号を採用。帽子マークを「OT」に変更(「T」に小さめの「o」を添わせた「To」のようなデザイン)。 1961年 - 1965年球団名が「阪神タイガース」に変更されるに伴い、ビジター用ユニフォームの胸ロゴが「HANSHIN」に、帽子マークを「HT」に変更(「T」の縦棒が「H」の横棒を貫くような配置の重ね文字型デザイン)。 1962年後期 - 1964年ビジター用の胸番号が背番号と同じ丸い書体になる。 1965年前期ビジター用の胸番号・背番号が共に角書体になる。 1965年 - 1973年基本のデザインはそのままに、襟・腕・パンツ脇に太いラインが採用された。背番号書体がホーム用ユニフォームはゴシックに近い書体、ビジター用ユニフォームは角書体、胸番号がホーム・ビジターともに角書体になる。ただし、ホーム用の胸番号は背番号と書体が異なる上、さらにビジター用とも異なるいわゆる「高校野球型」書体である(但し「1」と「4」の下部にセリフがない)。ホーム用の左袖に「OSAKA」が復活、ビジター用は従来通り虎マーク。 1970年 - 1973年虎マークが僅かに変更され刺繍となった他、背ネームを採用。そのため背番号がやや小さくなった。背ネームに於けるオ段の長音はHを使用することが通例となっているが、タイガースでは1985年頃までHを略していた選手が多かった(川藤幸三:KAWATOH→KAWATO、遠井吾郎:TOHI→TOIなど)。 1972年 - 1973年帽子のHTマークがツートン(「H」が黄色、「T」が白)となり、トップボタンが白、空気穴が黄色となった。 1974年 - 1975年ダブルニット素材がユニフォームの素材として採用されたことを機に、胸ロゴ・背番号の縁取りや袖・襟・パンツ脇などのラインにチームカラーの黄色が入り、帽子もクラウンが黒+ツバが黄色のツートンタイプとなった。また、ホーム用の縦縞の色がグレーから黒となった。 1975年 - 1978年ビジター用ユニフォームのみが変更。地色がグレーからスカイブルーになり、袖とパンツのラインがギザギザ模様になる。このラインは永井一正がデザインしたもので、「輝流ライン」と呼ばれた(由来には「虎の牙」と「赤穂浪士の法被」の2つの説がある)。また、球団史上初めてラグランスリーブ仕様が採用された。襟ライン上に第1ボタンがついている珍しい様式で、ホーム用ユニフォームとビジター用でボタンの素材が異なり、ホーム用は地色と同じプラスチック製、ビジター用は半透明のプラスチック製ボタンだった。 1976年 - 1978年ホーム用にも「輝流ライン」を採用し、左袖の「OSAKA」ロゴが虎マークに変更。それに伴ってビジター用の左袖の虎マークが「Tigers」ロゴに変更。 1979年 - 1983年ブレイザー監督就任と同時に輝流ラインを廃止し従来の黒と黄色のラインに変更。ボタン式からプルオーバー式となり、ホーム用ユニフォームにもラグランスリーブが採用された。また、ストッキングの黄色の2本線も廃止されて黒一色になる。ホーム用はパンツの脇ラインが消え、縦縞が僅かに太くなる。なお、背ネームはファミリーネームのみ表記することが通例となっているが、1981年 - 1990年頃のタイガースの助っ人外国人はファーストネームの頭文字付きのフルネーム表記を使用していた選手が多かった(ランディ・バース:R.BASS、リッチ・ゲイル:R.GALEなど)。1983年にはビジター用ユニフォームの左袖の「Tigers」ロゴが右上がりになる。 1982年 - 1983年安藤統夫監督就任により、ホーム用を大幅にモデルチェンジ。チームカラーの黄色が消え、モノトーンスタイルと縞帽子(ツバ、THマークは黒)が復活し、ホーム用のスパイクが白地に黒線になる。このデザイン変更から、途中マイナーチェンジを重ねつつも基本デザインは2006年まで25年間に渡って使用されることとなる。この間1985年・2003年・2005年に3度のリーグ優勝を果たした。 1984年 - 1987年ホーム用ユニフォームに2年遅れる形でビジター用ユニフォームを大幅にモデルチェンジ。ホーム用同様に黄色の首と袖のラインを廃してグレー地に黒の縦縞となり、左袖の虎マークが復活。また、帽子が黒地にHTマークとトップボタンが白となり、胸番号の書体が背番号と同一になる。ホーム用の背番号の書体がゴシック体に近い書体からビジター用と同様の角型となる。胸番号は従来通りの高校野球型書体。 1988年 - 1990年基本的なデザインは変更されないまま、プルオーバー式からボタン式になる。また、ビジター用帽子のHTマークと空気穴を銀、トップボタンを白から黒へ変更とするとともに、ビジター用スパイクが黒地に白線から、ホーム用と同様の白地に黒線となる。 1991年 - 2000年1985年の日本一にあやかり、再びプルオーバー式が復活。1984年 - 1987年に使用されていたデザインがほぼ完全に踏襲された(ビジター用帽子のみ前モデルを流用)。 2000年当時の監督・野村克也の提案により、ホーム用の縦縞帽子が廃止となり、ビジター用帽子をアレンジした黒帽子(HTマークは銀、トップボタンと空気穴は黒)をホームゲームでも使用するようになる(前1999年のオールスターゲームにて、新庄剛志と和田豊が同様の「ホーム用ユニフォーム+ビジター用帽子」という組み合わせで出場していた)。また、スパイクがホーム・ビジター共に黒地に銀のラインとなる。 2001年 - 2006年ホーム用ユニフォームは、基本デザインを変更しないまま、ボタン付きプルオーバー式を採用(ボタンが外れるのは上から数個までで、残りは飾りという仕様)、背番号・胸番号の書体を高校野球型(「1」と「4」の下部にセリフあり)へ変更し、背番号はやや縦長になった。ビジター用ユニフォームはデザインを大きく一新。縦縞を廃し、グレー地に黒白のラケットラインと袖ラインが入り、左袖の虎マークがモノトーンカラーに変更された。また、「HANSHIN」ロゴが黒文字に白縁取りのピッツバーグ・パイレーツ型の書体となった(「HANSHIN」ロゴの書体変更は球団名改称以来初)他、ホーム用同様に番号の書体が高校野球型へ変更、ニューヨーク・ヤンキースを模して背ネーム無しのスタイルとなった。 2002年 - 2006年ビジター用の左袖の虎マークがモノトーンカラーから従来のカラーのものに変更。 2003年 - 2006年ビジター用が背ネーム無しから背ネームありのスタイルに変更。 2005年左袖の猛虎マークが、球団創立70周年記念のロゴマークに置き換わった。ただし、ホーム・ビジターで若干配色が異なる。 2007年 - 2011年監督の岡田彰布の要望により、チームカラーである黄色を1981年以来25年ぶりに取り入れる形で大幅モデルチェンジしたホーム用ユニフォームは、「Tigers」ロゴや背番号等が黄色で縁取られる他、黄と黒の袖ラインとパンツ脇ラインが加わり、脇腹部に黒の切り返しを配した現代的なデザインとなった。帽子は1970 - 80年代のツートンタイプを基にトップボタンと空気穴を黒とした仕様に変更。ビジター用ユニフォームは、「HANSHIN」ロゴの書体を2000年までのものに現代的なアレンジを加えたものへ変更、ラケットラインを廃しホーム用と同じく脇腹部に黒の切り返しを配したデザインとした。帽子は従来の黒帽子に、ツバのふちに白ラインが入りHTマークは白。また、ホーム・ビジター共に背番号・胸番号の書体が1962年夏 - 1965年まで使われた欧州系の書体を彷彿させるデザインとなり、背ネームもそれに合わせた丸みを帯びた書体となった。 2008年 - 2009年2008年交流戦明けより、ビジター用の帽子のデザインが変更。好評だった交流戦専用のビジター用(後述)を、トップボタンと空気穴をグレーから黒にマイナーチェンジした上で使用。 2010年 - 2011年左袖の虎マークが、球団創立75周年記念のロゴマークに置き換わった(2010年のみ)。ビジター用の帽子が2007年のタイプに戻る。 2012年 - 2014年新たにミズノとサプライヤー契約したことによりモデルチェンジ。ホーム用ユニフォームの縦縞は昨季までより太くなり、「Tigers」ロゴ及び背番号・胸番号は黒文字+白縁取りとなった。シャツの肩部と脇腹部、パンツの脇部と裾部分に「牙」をイメージしたシャープな切り返し(黒に黄縁取り)が配された。ビジター用ユニフォームは球団史上初めて上下ツートンタイプ(黒シャツ+白パンツ)を採用、「HANSHIN」ロゴをパイレーツ型をモチーフとしたデザインに変更、背番号・胸番号とともに白字にグレーの縁取りとし、ホーム用と同様の切り返し(白にグレー縁取り)に加え、シャツにはシャドーストライプを配した。帽子はホーム・ビジターともに黒一色となり、ツバの縁にホーム用は黄、ビジター用は白のラインが入る(ヘルメットも同様)。HTマークは、ホーム用は白の「T」+黄の「H」、ビジター用は白の「T」+グレーの「H」。胸番号・背番号は1996年 - 2011年の中日ドラゴンズと同じ書体に変更、背ネームはフルブロック体となった。 1988 - 90年〈V〉岡田彰布、1990年 2001 - 06年〈V〉中野佐資、2003年OB戦 2007 - 11年〈H〉金本知憲、2008年 2008 - 09年〈V〉林威助、2008年 2012 - 14年〈H〉左:マートン右:ゴメス、2014年 2012 - 14年〈V〉田上健一、2012年 2015年 - 2017年球団創設80周年を機にモデルチェンジ。「歴史・伝統・新しさ」をコンセプトとし、ホーム用ユニフォームは白、ビジター用ユニフォームはグレーを基調に、ホーム・ビジターともに肩やわき腹部分の切り返しなどを廃して白と黒の腕ライン+ラケットラインが入るシンプルなデザインとなった。ビジター用の「HANSHIN」ロゴは2000年以前の伝統的なデザインが復活。帽子はホーム・ビジター共通のデザインとなり、黒地に白文字でHTマーク。ヘルメットは初めて艶消しタイプを採用。また、背ネームの書体が2006年以前のゴシック体に戻った。 2015年左袖の虎マークが、球団創設80周年記念シンボルマークに置き換わった。 2016年 - 2017年ビジター用を一新。2003年・2005年の2度のリーグ優勝時の「強いタイガース」をイメージし、2001年 - 2006年に使用された上下グレー・縦縞無しのビジター用をベースに、グレーを基調に黒白のラケットラインと袖ラインが入る。肩から袖にかけてのスリーブ部が黒色となった。 2018年 - 2021年ホーム用ユニフォームは前年まで使用されたモデルの胸ロゴ、背番号、胸番号、背ネーム、ラインそれぞれの縁取りを白から黄にマイナーチェンジした形となり、帽子はツートンタイプを基にトップボタンと空気穴を黄色にアレンジしたものを採用。ビジター用ユニフォームは、4年ぶりに黒シャツ+白パンツのツートンスタイルが復活し、1983年ぶりに黄色が取り入れられることとなった。黒地に黄と黒のラケットライン+袖ラインで、胸ロゴ・背番号・胸番号・背ネームは黄字+白縁取り。帽子は前年に引き続き黒一色であるがHTマークは白字から黄字+白縁取りに変更。なお、ホーム用には、前年までのヘルメット及び右袖に加え新たに帽子左側部)とパンツ左足付け根部に「Joshin」のロゴが掲出される。 2020年 - 2021年ビジター用を一新。ロゴ、ラインなどの基本パターンはそのままに、グレーを基調とした杢柄と白のグラデーションを配したデザインとなった。帽子は黒をベースにツバがグレー杢柄、HTマークが黒文字+黄縁取りとなった。なお、2020年シーズンのみ、左袖の虎マークが球団創設85周年記念シンボルマークに置き換わった。 2022年 -ホーム用ユニフォームは前モデルを踏襲した基本デザインながら、「ラケットライン+腕ライン」を「襟ライン+袖ライン」とした上で、ミズノへのサプライヤー変更以降やや太めになっていた縦縞をスタイリッシュな仕様にマイナーチェンジ(太さ:3mm→2mm、間隔:31mm→25mm)。ビジター用ユニフォームは「上下グレー+縦縞」が7年ぶりに復活。さらにホーム用と同様に黄と黒の襟ライン+袖ラインをあしらったことで、球団史上初めて「上下グレー+縦縞+黄色ライン」というデザインパターンを採用することとなった。ホーム用帽子は変更がなかった一方、ビジター用帽子は黒一色に黄字のHTマーク、トップボタンと空気穴が黄色、ツバの縁に黄のラインが入る仕様に変更された。 2015 - 17年〈H〉江越大賀、2015年 2015年〈V〉陽川尚将 2016 - 17年〈V〉望月惇志、2016年 2018 - 21年〈H〉木浪聖也、2019年 2018 - 19年〈V〉糸井嘉男、2018年 2020 - 21年〈V〉中野拓夢、2021年
※この「ユニフォームの変遷」の解説は、「阪神タイガース」の解説の一部です。
「ユニフォームの変遷」を含む「阪神タイガース」の記事については、「阪神タイガース」の概要を参照ください。
ユニフォームの変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 09:53 UTC 版)
「大東京軍」時代は筆記体の「D」を左胸に付けたユニフォームを使用。 「ライオン軍」時代は胸に「LION」のロゴが入り、左袖には獅子のイラストが付けられた。 田村駒が繊維商社であったため、同社がオーナーの時代には、物資不足の時代にも他球団より材質のよいユニフォームを使用していた。 上記の通り1940年までは「ライオン軍」であったが、敵性語排除がリーグの方針となったため、同年秋の対抗戦では「LION」というロゴを削除してチーム名のないユニフォームを使用した。 「朝日軍」時代は「朝」を胸文字に使用。偏に「赤い丸」を入れたデザインとした。 「パシフィック」時代は「PACIFIC」と入ったロゴを使用。 1950年、松竹となったこの年は、前年来日したサンフランシスコ・シールズのユニホームをモデルにして左胸に「Robins」のロゴが小さく入ったものを使用した。これとは別に通常の胸全面にロビンスのロゴが入ったものも使用している。帽子マークは松竹映画の社章をそのまま使用、左肩には駒鳥のイラストが入る。また当時としては珍しく、パンツの腰部分に小さく背番号が入っていた。 1951年は前年セ・リーグを制覇したことを記念したエンブレムが左肩の駒鳥マーク下に入った。
※この「ユニフォームの変遷」の解説は、「松竹ロビンス」の解説の一部です。
「ユニフォームの変遷」を含む「松竹ロビンス」の記事については、「松竹ロビンス」の概要を参照ください。
ユニフォームの変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 01:46 UTC 版)
イーグルス時代のユニフォーム 黒もしくは紺の無地もしくは縦じまに「EAGLES」の文字。帽子は当初はマークなし(後に「E」が入る)、左袖には鷲のマークが入る。
※この「ユニフォームの変遷」の解説は、「大和軍」の解説の一部です。
「ユニフォームの変遷」を含む「大和軍」の記事については、「大和軍」の概要を参照ください。
ユニフォームの変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 01:35 UTC 版)
大洋時代 「大」を模した丸マークの中に「洋」の文字を入れたデザインのものを使用していた。 西鉄時代 左胸に西鉄の社章を入れたものに変更した。
※この「ユニフォームの変遷」の解説は、「西鉄軍」の解説の一部です。
「ユニフォームの変遷」を含む「西鉄軍」の記事については、「西鉄軍」の概要を参照ください。
ユニフォームの変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 14:29 UTC 版)
創設時は胸に「NAGOYA」の文字を入れ、左肩に金鯱のイラストを入れた(金鯱マークを左胸につけたバージョンも存在する)。
※この「ユニフォームの変遷」の解説は、「名古屋金鯱軍」の解説の一部です。
「ユニフォームの変遷」を含む「名古屋金鯱軍」の記事については、「名古屋金鯱軍」の概要を参照ください。
ユニフォームの変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/07 17:44 UTC 版)
「結城ブレーブス」の記事における「ユニフォームの変遷」の解説
グリーンバーグ……全身国防色と呼ばれるカーキ色。 ブレーブス……全身国防色と呼ばれるカーキ色。向かって右胸にBのマーク。
※この「ユニフォームの変遷」の解説は、「結城ブレーブス」の解説の一部です。
「ユニフォームの変遷」を含む「結城ブレーブス」の記事については、「結城ブレーブス」の概要を参照ください。
ユニフォームの変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 05:42 UTC 版)
セネタース時代 復刻版をもとにすると、帽子はブラックレターで「T」、ユニホームはグレー地に赤と紺を組み合わせたラケットラインが入り、左胸には赤文字で上段「SENATORS」下段「TOKIO(TOKYOではない)」の囲みに野球ボールを背景とした黒獅子のイラストが入る。ベルトとパンツのベルトループ部分は共に濃紺で、着用した際の視覚上の一体化が図られている。ストッキングは紺地に「白・赤・白」の3本ライン。 翼時代 帽子が青でユニフォームが緑であった。 帽子に翼と書いてあった。
※この「ユニフォームの変遷」の解説は、「翼軍」の解説の一部です。
「ユニフォームの変遷」を含む「翼軍」の記事については、「翼軍」の概要を参照ください。
- ユニフォームの変遷のページへのリンク