き‐せき【軌跡】
軌跡
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/23 02:04 UTC 版)
父・恵文(堺正章)が物語初期に営んだ民宿「こはぐら荘」に客としてやってきた上村家の長男・和也(遠藤雄弥)と次男・文也(山内秀一→小橋賢児)との交流を深め、文也と結婚することを和也と約束するが、病を患う和也の死を経験。上村家と別れた後、いつか文也と結婚するという和也との約束を果たすことを誓う。民宿をたたんだ後は家族と共に那覇市に移住した。 高校時代は野球部のマネージャーを務めていた。その当時は野球部の甲子園出場を夢見てマネージャー業に励んでいた。親友の琉美子(前原絵理)と共に受験のため、文也に会えるという淡い期待を抱いて向かった東京への思いを強め、家族の強固な反対を受けながらも、家出する形で上京。那覇で知り合った容子(余貴美子)を頼り「一風館」へ入居する。 その後東京で兼城が営む沖縄料理店「ゆがふ」でアルバイトをしながら一時期人のために料理を作ることに目覚めたものの、暗中模索の日々を送っていたが、第9週に同じ一風館の島田(北村和夫)が倒れたのを機に、島田の看病を通じて看護婦(現:看護師)の仕事と出会う。何度も病院に足を運んできたため下柳(戸田恵子)の「看護婦になれば毎日病院に来られる」と冗談のつもりで発した一言がきっかけで看護婦になることを決意。4年間の看護大学での勉強を経て看護婦になった。 看護学校へ入学するまでの間、何度も足を運んだ「北栄総合病院」で文也と再会。文也が彼女だった西宮遥(小西真奈美)と「恵里との約束は昔の話」と話していたのを聞き、一時気落ちするも、文也の一生懸命な姿を見て立ち直ったこともあったが、その後も文也への想いに苦しんだ末に、文也へ告白。傷心を癒すために真理亜(菅野美穂)と共に向かった小浜島で恵里と結婚しようと決意した文也のプロポーズを受け、婚約。そして看護婦として1人前として認められたのを機に結婚し、和也との約束を果たした。
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『チーム・バチスタの栄光』で術中死が相次ぐ「チーム・バチスタ」の調査をするために東城大学医学部付属病院に現れ、田口に代わる調査役を担当し「バチスタ・スキャンダル」を解決に導く。その9ヶ月後、碧翠院桜宮病院での不穏な動きを察した高階の依頼で東城大学医学部付属病院にやってきて、小児科患者の父親が殺された事件の調査に協力し、一方で同時進行のでは出番が少なかったもののエシックス・コミティでAi研究を反対され続けていた島津吾郎のために助力したり、リスクマネジメント委員会の会議で収賄疑惑が問題となっている速水晃一の援護を行った(『ナイチンゲールの沈黙』『ジェネラル・ルージュの凱旋』)。 『螺鈿迷宮』では東城大学医学部付属病院を潰そうと戦いを仕掛けた碧翠院桜宮病院を叩き潰すため、碧翠院桜宮病院へ姫宮を看護師として先行して潜入させた後、皮膚科の非常勤医師としてスパイ活動を行う。そこで桜宮病院の謎を突き止めるも、院長の桜宮巖雄には歯が立たなかった。桜宮病院焼失後はこの出来事を戒めにAiセンター設立の計画を進めようとする。 『イノセント・ゲリラの祝祭』では自身が主催していた医療事故を中立的に調査する組織のモデル事業の会議が「医療事故調査委員会」に発展したため、その舵を取られてしまうが、Ai導入のために田口をその委員に任命したり、彦根を動かすようにするために暗躍した。 『アリアドネの弾丸』では田口から東城大Aiセンター運営会議のオブザーバーとしての出席を要請され、会議場で司法関係者との論戦を繰り広げる。その後、病院内で起きた不審死事件及び拳銃射殺事件に遭遇し、田口や島津、彦根とともに事件解決に尽力、その合間にもAiセンター設立のために碧翠院桜宮病院で行われていたAi症例のデータの構築に力を注いだ。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/22 09:02 UTC 版)
神羅万象チョコ 第一章において、ラスボスである魔王マステリオンとの戦いで、光龍王サイガが自ら所持している聖龍石の中にマステリオンの魂を封じ込めた。その際に封じた技の名称が「封印魔破」であり、これにより封じられた聖龍石を他と区別するため「封印魔破・聖龍石」と名付けられた。終戦後1000年間、中央都市宮殿の玉座の間で厳重に保管されていたが、突然の地殻変動の隙を狙ってマステリオンの部下であるボーンマスターによって奪われた。 第二章ではこの聖龍石を巡って再び争いが始まる。最終的には聖龍石は、魔創境にある魔創卵に沈められ、封印されていた魔王マステリオンの魂が開封され、魔神マステリオンとして復活してしまう。光の戦士は伝説の部族王の力を借り、再びマステリオンを倒す。伝説の部族王がマステリオンの魂を完全に消滅させたため、その後聖龍石は用済みとなった。 第三章では登場しない。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/14 03:28 UTC 版)
「2012 VP113」の記事における「軌跡」の解説
2012 VP113は太陽系の知られている天体の中で最も近日点が遠い。最後に近日点を通過したのは1979年の事でこの時、太陽から80天文単位離れていた。現在は太陽から83天文単位離れている。太陽系の天体で近日点が50天文単位より遠い天体は、この天体を除くとセドナ (76 au)、2014 FZ71 (56 au)、2015 FJ345 (52 au)、2014 FC72 (52 au)、2004 XR190 (51 au)の5つしかない。 近日点が50-75天文単位の天体が数少ないのは、単に観測できていないのが理由ではないようである。2012 VP113は内オールトの雲に属する天体であるという仮説が存在する。近日点、近点引数、現在の地点はセドナと似通っている。実際、太陽系で軌道長半径が150天文単位を超え、近日点が海王星より遠い全ての天体は近点引数が340±55°の範囲に収まる。この事実はこれらの天体が同じような形成モデルから作られた事を示している。(148209) 2000 CR105はこうした天体の中で最初に発見された天体である。 なぜ2012 VP113がカイパーベルトの外側に近日点を持ったのかはまだ良く分かっていない。セドナ等に似ているこの軌道の特徴は、地球質量の10倍にも及ぶプラネット・ナインが太陽から極めて遠い場所に存在する可能性を示唆している。外縁部天体の軌道は、複数の惑星がある可能性をも示している。2012 VP113 は他の恒星系から太陽系に取り込まれた可能性もある。しかし2012 VP113 の遠い近日点の原因は太陽を形成した散開星団内で起きた相互作用によるものという説が最も有力である。 太陽系の上と側面からそれぞれ眺めた時の2012 VP113の軌跡 2012 VP113の軌跡 白の軌道の2012 VP113とプラネット・ナインの予想図 太陽系内で最も遠い既知の天体(2021年2月24日 (2021-02-24)現在[update])天体名太陽からの距離 (au)見かけの等級絶対等級(H)発見日(初観測日)外部リンク現在近日点遠日点軌道長半径キルヒ彗星(比較) 257 0.006 889 444 不明 不明 1680-11-14 MPC · JPL ボイジャー1号(比較) 152.0 8.90 ∞ -3.2 ~50 ~28 - - 2018 AG37(FarFarOut)132.9※ 27.1 145.0 86.0 25.3 4.2 2018-01-15 MPC · JPL パイオニア10号(比較) 127.9 4.94 ∞ -6.9 ~49 ~29 - - ボイジャー2号(比較) 126.3 21.2 ∞ -4.0 ~48 ~28 - - 2018 VG18(FarOut)123.6 37.8 124.9 81.3 24.6 3.7 2018-11-10 MPC · JPL パイオニア11号(比較) 104.9 9.45 ∞ -8.1 ~48 ~29 - - 2020 FY3098.9 35.6 107.7 71.6 24.8 4.7 2020-03-24 MPC · JPL 2020 FA3197.3 39.5 102.4 71.0 25.4 5.4 2020-03-24 MPC · JPL (136199) エリス95.9 38.3 97.5 67.9 18.8 -1.1 2003-10-21 MPC · JPL 2015 TH36790.3 28.9 136.4 82.6 26.3 6.6 2015-10-13 MPC · JPL 2014 UZ22489.6 38.3 177.0 107.6 23.2 3.4 2014-10-21 MPC · JPL (225088) Gonggong88.7 33.7 101.2 67.5 21.5 1.6 2007-07-17 MPC · JPL 2015 FG41587.2 36.2 92.1 64.1 25.5 6.0 2015-03-17 MPC · JPL 2014 FC6985.5 40.4 104.4 72.4 24.2 4.6 2014-03-25 MPC · JPL 2006 QH18184.6 37.5 96.7 67.1 23.7 4.3 2006-08-21 MPC · JPL (90377) セドナ84.3 76.3 892.6 484.4 21.0 1.3 2003-11-14 MPC · JPL 2015 VO16684.2 38.3 113.2 75.8 25.5 5.9 2015-11-06 MPC · JPL 2012 VP11384.1 80.4 442.6 261.5 23.5 4.0 2012-11-05 MPC · JPL 2013 FS2883.5 34.2 358.2 196.2 24.3 4.9 2013-03-16 MPC · JPL 2017 SN13282.7 42.0 110.0 76.0 25.2 5.8 2017-09-16 MPC · JPL 2015 UH8781.3 34.3 90.0 62.2 25.2 6.0 2015-10-16 MPC · JPL (532037) 2013 FY2779.8 35.2 82.1 58.7 22.2 3.2 2013-03-17 MPC · JPL 2015 TJ36779.3 33.6 128.1 80.9 25.8 6.7 2015-10-13 MPC · JPL 2017 FO16178.1 34.1 85.5 59.8 23.3 4.3 2017-03-23 MPC · JPL (541132) Leleākūhonua77.7 65.2 2,105.8 1,085.4 24.6 5.5 2015-10-13 MPC · JPL 2018 AD3977.2 38.4 287.9 163.2 25.0 6.2 2018-01-15 MPC · JPL 2020 FB3175.8 34.4 83.3 59.1 24.5 5.6 2020-03-24 MPC · JPL 2018 AK3975.3 27.3 75.4 51.4 25.3 6.5 2018-01-18 MPC · JPL 2010 GB17473.6 48.7 630.7 339.7 25.3 6.5 2010-04-12 MPC · JPL 2015 VJ16873.4 37.6 81.5 59.5 24.8 5.8 2015-11-06 MPC · JPL 2014 FJ7272.5 38.4 148.2 93.3 24.4 5.6 2014-03-24 MPC · JPL 2016 TS9771.2 36.2 71.7 54.0 24.9 6.1 2016-10-06 MPC · JPL 2015 GN5571.0 32.5 78.4 55.5 24.6 5.8 2015-04-13 MPC · JPL 2015 VL16869.7 37.7 136.0 86.8 24.7 6.1 2015-11-07 MPC · JPL 2015 RZ27769.2 34.7 90.5 62.6 25.6 6.8 2015-09-08 MPC · JPL 2011 GM8969.1 36.5 68.8 52.7 25.7 7.1 2011-04-04 MPC · JPL 2012 FH8469.1 41.9 70.1 56.0 25.8 7.2 2012-03-25 MPC · JPL 2019 AC7768.7 35.0 79.0 57.0 25.0 6.6 2019-01-11 MPC · JPL 2015 GR5068.6 38.2 69.7 54.0 25.2 6.6 2015-04-13 MPC · JPL 2013 FQ2868.3 45.6 80.0 62.7 24.5 6.0 2013-03-17 MPC · JPL 2015 GP5067.6 40.4 70.0 55.2 25.0 6.5 2015-04-14 MPC · JPL 2018 VJ13767.2 37.8 139.3 88.5 25.2 6.9 2018-01-15 MPC · JPL 2016 CD28967.1 37.5 74.0 55.8 25.7 7.3 2016-02-05 MPC · JPL 2014 UD22866.7 36.7 73.3 55.0 24.5 6.1 2014-10-22 MPC · JPL 2016 GB27766.2 40.0 119.4 79.7 25.6 7.3 2016-04-10 MPC · JPL 2016 GZ27666.1 38.6 253.6 146.1 25.3 7.0 2016-04-10 MPC · JPL 2014 FL7266.0 38.0 167.1 102.5 25.1 6.8 2014-03-26 MPC · JPL 2016 TQ12065.8 42.3 114.3 78.3 25.0 6.7 2016-10-06 MPC · JPL 2015 RQ28165.7 36.9 210.6 123.8 25.1 6.8 2015-09-05 MPC · JPL 2020 BS6065.7 31.0 104.1 67.6 24.6 6.5 2020-01-26 MPC · JPL 2013 UJ1565.3 37.2 67.4 52.3 25.4 7.0 2013-10-28 MPC · JPL 2014 FD7065.1 35.9 78.6 57.3 25.1 6.9 2014-03-25 MPC · JPL 2015 KV16765.1 38.0 65.3 51.6 25.6 7.2 2015-05-18 MPC · JPL 2018 AZ1865.1 39.1 70.5 54.8 26.0 7.7 2018-01-15 MPC · JPL 2014 SU34965.0 28.5 157.0 92.8 25.4 7.2 2014-09-18 MPC · JPL 2018 VO3564.7 33.5 218.2 125.9 24.8 6.6 2018-11-10 MPC · JPL 2014 FE7264.5 36.3 2,682.3 1,359.3 24.4 6.1 2014-03-26 MPC · JPL 2015 KG17264.5 41.2 70.1 55.7 24.4 6.1 2015-05-20 MPC · JPL 2013 AT18363.6 35.5 87.7 61.6 23.0 4.9 2013-01-10 MPC · JPL (148209) 2000 CR10563.3 44.1 388.1 216.1 24.1 6.3 2000-02-06 MPC · JPL 2015 RL25863.0 34.4 67.5 50.9 24.6 6.5 2015-09-07 MPC · JPL 2018 AH3962.9 44.6 65.9 55.2 25.2 7.2 2018-01-15 MPC · JPL 2015 KF17262.4 38.1 101.4 69.8 23.7 5.5 2015-05-20 MPC · JPL 2020 BR6062.4 36.6 64.2 50.4 24.9 7.0 2020-01-26 MPC · JPL 2019 EA562.3 38.3 100.8 69.6 24.7 6.7 2019-03-06 MPC · JPL 2015 VG15762.2 39.0 68.9 54.0 25.5 7.5 2015-11-07 MPC · JPL 2018 VO13762.2 44.6 65.9 55.2 25.4 7.3 2018-11-08 MPC · JPL (528381) 2008 ST29162.0 42.4 158.8 100.6 22.4 4.4 2008-09-24 MPC · JPL 2018 AX1862.0 36.8 67.4 52.1 24.7 6.6 2018-01-15 MPC · JPL 2017 VO3461.9 35.2 68.8 52.0 25.4 7.2 2017-11-15 MPC · JPL 2017 DP12161.8 40.6 60.4 50.5 25.2 7.2 2017-02-24 MPC · JPL (523794) 2015 RR24561.8 34.1 129.4 81.7 22.2 3.8 2015-09-09 MPC · JPL 2015 RH27861.8 34.3 76.7 55.5 25.4 7.2 2015-09-08 MPC · JPL 2017 FD16361.7 30.1 65.0 47.5 24.9 6.9 2017-03-25 MPC · JPL 2014 FM7261.3 34.1 76.8 55.5 24.2 6.2 2014-03-25 MPC · JPL 2015 GW5560.9 34.0 136.7 85.3 24.6 6.7 2015-04-13 MPC · JPL 2016 TO12060.8 40.1 80.5 60.3 25.3 7.3 2016-10-06 MPC · JPL 2014 SV34960.7 34.0 90.0 62.0 23.1 5.2 2014-09-19 MPC · JPL 2016 TP12060.7 39.9 307.0 173.4 25.1 7.1 2016-10-07 MPC · JPL 2015 FU40360.6 35.2 80.8 58.0 25.6 7.5 2015-03-17 MPC · JPL 2014 FF7260.6 36.7 64.0 50.4 24.8 6.9 2014-03-24 MPC · JPL 2018 JT660.5 42.8 63.8 53.3 24.6 6.8 2018-05-10 MPC · JPL 2015 KH16260.4 41.6 82.5 62.1 22.1 4.1 2015-05-18 MPC · JPL 2003 QX11360.4 37.5 62.3 49.9 22.9 5.1 2003-08-31 MPC · JPL 2017 OK6960.3 36.3 65.1 50.7 23.8 5.8 2017-07-26 MPC · JPL 2013 JQ6460.3 22.5 75.6 49.1 24.3 6.2 2013-05-08 MPC · JPL 2016 TN12060.2 43.7 61.8 52.8 24.4 6.4 2016-10-06 MPC · JPL 2017 DO12160.1 26.9 330.2 178.5 25.8 7.6 2017-02-24 MPC · JPL 2015 RK25860.1 36.2 111.3 73.7 25.1 7.1 2015-09-05 MPC · JPL 2018 VP13760.0 33.0 81.1 57.2 25.6 7.7 2018-11-08 MPC · JPL 海王星軌道より2倍以上遠い場所(60 au以遠)に位置する全ての天体を記載している。現在の距離と見かけの等級以外は JPL Small-Body Database の各ページより引用。全てのパラメーターは小数第2位を四捨五入している。太陽からの距離が青字になっている天体は現在太陽から遠ざかっている、赤字になっている天体は近づいていることを示す。※ ここでは2018 AG37は太陽から遠ざかっていると扱っているが、軌道要素の誤差が非常に大きいため、現在は太陽に近づいているという予測もある。太陽系外縁天体の一覧(英語版)も参照表示・ノート・編集・履歴
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 03:47 UTC 版)
かつて自分を利用した果てに殺害しようとした明治政府への復讐を目論み、そして日本の覇権をも握らんとする志々雄真実の野望のもと、集められた精鋭によって組織された武装集団である。 新月村などを見る限り、一般人への支配体制は恐怖政治そのものであるが、部下は魚沼宇水や悠久山安慈などの例外を除き、志々雄の優れたカリスマ性に心酔する者たちが忠誠を捧げ、強固な組織を築き上げていた。 京都では佐渡島方治の指揮のもと、かつて維新志士たちが計画していた京都大火を再現しようとするが、緋村剣心たちによって阻止される。その後、剣心たちに敗れた志々雄が消滅したうえ、方治が警察に出頭したことで、組織は事実上の壊滅を迎える。生き残った者の多くは捕縛されたが、一部の者はその高い能力を欲した政府の恩赦を受け、軍警察などの機関に取り立てられることとなる(詳細は後述)。
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ZTTレーベルへの布石は、トレヴァーのプロデュースによる「ABC」のアルバム『ルック・オブ・ラヴ』から始まっている。1983年、イエスのアルバム『ロンリー・ハート』の世界的なヒットから、トレヴァー・ホーンとゲイリー・ランガンによるプロデュース・スタイルが一気に注目され、当時としては資産といえる水準の価格(ほぼポルシェやフェラーリ、1台分と同額)だったフェアライトCMIやシンクラヴィアなど世界最高のサンプリング・マシーンを多用したサウンドがZTTの音楽的な基盤を作っていった。
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生地の佐久市望月には、天来ゆかりの場所として、1975年に日本初の書道専門美術館として会館した「佐久市立天来記念館」や、天来の生家の裏山に建設された「天来自然公園」がある。 天来自然公園には、天来や妻・小琴、子息・南谷をはじめとして、その他門下生の作品の碑が立ち並んでいる。 石碑も多くを手がけ、現在全国に35基程を確認できる。
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軌跡(きせき)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/24 19:28 UTC 版)
ゴリースペシャルから前方へ倒れ込む押さえ込み。相手と背中合わせになった状態で相手を自分の背中に担ぎ上げ、相手のつま先を自分の太ももに引っかけてから逆さ押さえ込みのように押さえ込む。途中までの体勢が後述の熨斗紙と同型であるため、熨斗紙に行くと見せかけて軌跡に移行(またはその逆)などと応用できる。
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軌跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 10:07 UTC 版)
平面幾何学において放物線(ほうぶつせん、parabola)とは、準線 (directrix) と呼ばれる直線 L と、その上にない焦点 (focus) と呼ばれる一点 F が与えられるとき、準線 L と焦点 F とをともに含む唯一つの平面 π 上の点 P であって、P から焦点 F への距離 PF と等しい距離 PQ を持つような準線 L 上の点 Q が存在するようなものの軌跡として定義される平面曲線である。 放物線上の点を P(x, y)、焦点を F(0, a)、準線の式を y = -a とすると PQ = PF より y + a = x 2 + ( a − y ) 2 {\displaystyle y+a={\sqrt {x^{2}+(a-y)^{2}}}} x 2 = 4 a y {\displaystyle x^{2}=4ay} となる。x と y を入れ替えた y2 = 4ax も放物線の方程式である。この式は標準形と呼ばれる。
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軌跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 00:46 UTC 版)
「チチ (ドラゴンボール)」の記事における「軌跡」の解説
エイジ737 - 誕生。 エイジ739 - 2歳。牛魔王にピクニックに連れて行かれた際、城がある涼景山が燃え出し、帰れなくなる。この際、山の名称がフライパン山に変更される。 エイジ749 - 12歳。亀仙人に芭蕉扇を借りに行く途中で悟空と出会う。性別を確かめようとした悟空に股間を蹴られたことで嫁に行くことを決意し、約束を取り付ける。 エイジ756 - 19歳。一向に迎えに来なかった悟空に痺れを切らし、名前を隠して第23回天下一武道会に「匿名希望」という選手名義で参加。予選を勝ち抜き本選に進出するが、1回戦で悟空に完敗する。試合終了後、約束を思い出した悟空とあっさり結婚、大会終了後に2人で旅に出る。 エイジ757 - 20歳。孫悟飯を出産。 エイジ761 - 24歳。カメハウスに遊びに行ったきり、帰ってこない夫子を牛魔王と共に迎えに行くが、悟空はラディッツとの戦いで戦死し、悟飯はピッコロに連れ去られたことを亀仙人たちから知らされる。 エイジ762 - 25歳。サイヤ人との戦いがもうすぐ終わることから、亀仙人たちと共に飛行艇に乗り、悟空たちの下に赴く。悟空に目もくれず悟飯だけを心配する姿には、クリリンからは呆れられヤジロベーからは反感を買われた。悟飯がナメック星行きを志願した際には、勉強のことも持ち出して猛反対するも、その際にピッコロのことを侮辱する発言をしたため、逆に悟飯の怒りを買い、決意の固さを知って了承する。 エイジ764 - 27歳。宇宙から帰還した悟空から「人造人間との戦いに悟飯も参加させてほしい」と頼まれて猛反対するも、悟空に誤ってぶっ飛ばされた後、渋々承諾した。 エイジ767 - 30歳。心臓病が治った後の悟空の頼みで悟飯の修業も承諾し、戦いが終わった後に悟空には働いてもらうことも約束させた。セルとの戦いで悟空が亡くなった後、孫悟天を出産。 エイジ774 - 37歳。魔人ブウ(無邪気)に悟飯を殺されたため(実際は生きている)、トランクスたちとの対決待ちをしていたブウ(悪)をひっぱたき、怒りをぶつけるという向こう見ずな行動に出てしまい、その結果卵にされ潰されて死亡する。その後ドラゴンボールにより生き返る。 エイジ776 - 39歳。孫悟空と共に農業に従事する。 エイジ778 - 41歳。ブルマの誕生会に参加。悟飯がグレートサイヤマンに扮して余興を行っていたときにビーデルを負傷させたため、しばらくの間禁酒令を出した。
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軌跡
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この種のブリーダーは、周囲の人々を驚かせるようなペット犬種を作ろうとしていたようで、これの他にも一見ミスマッチと思えるような二重純血犬種の組み合わせを考えていたようである。 そんな中、ウルフワワはアイリッシュ・ウルフハウンドのメスとロングコート・チワワのオスを交配させて生まれたものを基に作出された。その結果出来上がったものはまさに両種の中間の姿をした中型犬であった。性格も問題なく、5世代もブリーディングされていたが、数頭の小柄なメス犬が体の大きい仔犬を出産できずに死亡し、ブリーダーを驚愕させるという事が起こった。いわゆる先祖がえりがもたらした事件ではあるが、そのニュースはすぐにアイリッシュ・ウルフハウンドとロングコート・チワワのブリーダーに知れ渡り、ウルフワワのブリーダーは非難の嵐を浴びた。 それからまもなくして、この犬種は禁止されて姿を消した。
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軌跡
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『チーム・バチスタの栄光』より6年前に実質的に唯一臨床をメインに仕事をしていた経験から講師に任命される。その3年後に入局し、講師の座を狙う現医局長の兵藤が仕掛けた院内抗争をきっかけに愚痴外来の責任者となる。以降、専任看護師の藤原と外来の業務をこなしながら病院内の事象をやり過ごしていたが、術中死が相次ぐ「チーム・バチスタ」の調査を高階病院長から命じられ、白鳥と共に「バチスタ・スキャンダル」を解決。後処理としての記者会見で場を丸く収めたことで、高階にリスクマネジメント委員会委員長及び電子カルテ導入委員会委員長に任命される。 その9ヶ月後、小児科の猫田看護師長の目論見で主に網膜芽種(レティノブラストーマ)を患う子供達のメンタルケアのため、小児科患者限定の愚痴外来を開くことになり、その患者の父親が惨殺された事件に関わることになった。その一方では、リスクマネジメント委員会宛てに届いた速水晃一が収賄を行っているという告発文を受け取り、速水の潔白ひいては速水を病院から追い出さないために奔走した(『ナイチンゲールの沈黙』、『ジェネラル・ルージュの凱旋』)。『螺鈿迷宮』には僅かな登場であるものの碧翠院桜宮病院から送られてきた末期患者の不定愁訴を担当した。 2007年には、白鳥からの依頼で医療事故を中立的に調査する組織のモデル事業の会議に出席するため霞ヶ関に赴くが、そこで2度も死体を発見し監察医制度に纏わるトラブルに巻き込まれ、白鳥と加納に救われる(『東京都二十三区内外殺人事件』)。そして医療事故調査委員会にオートプシー・イメージング(Ai)を導入しようとする白鳥の目論見で、モデル事業の会議から発展した「医療事故調査委員会創設検討会」のメンバーに選ばれた(『イノセント・ゲリラの祝祭』)。 2009年、高階病院長に東城大学に立ち上げられるエーアイセンターのセンター長に任命され、エーアイが司法の手に渡るのを防ぐために、エーアイセンター副センター長に彦根を、オブザーバーに白鳥を要請する。その後、東城大学で起きた不審死事件と拳銃射殺事件に遭遇し、白鳥達と共に解決に当たった(『アリアドネの弾丸』)。その後Aiセンターが完成するも、脅迫状が届いたことを切っ掛けに各種調査を開始(この時『螺鈿迷宮』での事件の詳細を知り、天馬大吉と対面し彼を「Aiセンター運用連絡会議」のオブザーバーとしている)。最終的にAiセンターが高性能MRI「リヴァイアサン」ごと焼失した『ケルベロス・デザスター』による病院の存続危機に際し、高階病院長から「病院再建に際しての病院長代行」を依頼され引き受けると同時に、辞職しようとしていた高階病院長を「再建のために必要な人材」として慰留(『ケルベロスの肖像』)。その後は職務こそ変わらぬものの一時病院長代行になりかけたため神経内科学教室准教授に昇進している(『カレイドスコープの箱庭』)。 2015年、高階病院長から紹介された日比野涼子の依頼で、かつてメンタルケアをしていた佐々木アツシのコールドスリープからの覚醒作業後のメンタルケアをする。その後、院長命令でコールドスリープに関する論文作成に取り組む(『モルフェウスの領域』)。 2022年を舞台にした『医学のたまご』では東城大学医学部教授となっている。 上記のように田口自身が望まぬ出世の道を歩んだことから、本人の意思に反して周囲から羨望と反感の目で見られるとともに、事件に関わった際のエピソードに過度の尾ひれがついたため畏怖される存在に祭り上げられている。また高階病院長の依頼で動くことが殆どのため、『ケルベロスの肖像』終盤ではある人物から(高階病院長の)「優柔不断な懐刀」と揶揄されている。
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軌跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/08 10:17 UTC 版)
2つの定点(-b,0),(b,0)に対して、動点P(x,y)を考える。2つの定点からPへのそれぞれ距離の積が a 2 {\displaystyle a^{2}} であるようなPの軌跡がカッシーニの卵形線になる。 すなわち ( x + b ) 2 + y 2 ( x − b ) 2 + y 2 = a 2 {\displaystyle {\sqrt {(x+b)^{2}+y^{2}}}{\sqrt {(x-b)^{2}+y^{2}}}=a^{2}} となり、この式の両辺を2乗してから変形すると、冒頭の定義式が得られる。
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軌跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 16:11 UTC 版)
1933年、日本で初めての夫妻建築家となり、自身らのスタジオをオープン。 彼らは主に住宅建築を設計。また、さまざまな設計競技に参加したり、家具を試作した。 1930年代半ばまでに、自分たちの家を含む20以上の民家プロジェクトを完成させた(五反田、1931年と目黒、1935年)。この期間中、彼らはチェコスロバキアの建築家ベドジフ・フォイエルシュタインと協働。チームは、近代建築のアイデアを文化センターのさいとう会館(仙台、1929)と地下鉄ビル(東京、1929)の2つのコンぺで組み合わせていた。 後者については、土浦信子が一般的な計画から窓のデザインまで作り、決して建てられたわけではなかったが、彼らは「200円」の賞金を獲得した。 目黒のCasa Tsuchiura - 彼らの最も優れた作品では - ライトの影響と国際的な近代的なスタイルは白いボリューム、深いひさしと大きな窓の構成に反映された。 二重の高さの家の中央内部空間は、彼の教師の絡み合った空間の習熟度と呼ばれている 。 土浦の研究はその影響状況下にもかかわらず徐々にその文脈に適応。このために、彼らは乾式工法システム(木枠の乾式壁)でテキスタイルブロックで建造物を置き換え、また断熱材としていくつかの材料で実験した。彼らは、自国の気候と地域の経済発展に関して、材料の標準化を達成し、建設の効率を改善するよう努めた。 その他のプロジェクトは、日本のCasa del Valle (1930年)や大井家 ( Casa Larga) (1930年)、 銀座徳田ビル (東京、1933年)、柳井CasaまたはTanii(解体)、 野宮ビル(東京都、1936-1960 Demolido)、ホテル強羅 (箱根、1938年 Demolido) 銀座シンパトス (東京、1952) DemolidoとCasa Asahi (1929)は建築家によってのみ設計されている。 土浦信子は、ユーザーが建物をどのように占有しているかに興味を持っていたので、主にインテリアデザインに専念した。それは、家事を担当していた主婦の厳格で伝統的な生活環境に答えを与えようとした。そして施設、給水および暖房のような特定の改善の導入を通して、家事のために雇用された人なしでどのように生きることができるかを説明した。そのビジョンは当時の一般大衆のための革新的な提案でした。この結果として、彼女は新しいライフスタイルの推進者となり、数多くの出版物で引用された。 1937年、土浦信子は建築を主な活動として断念し、写真と抽象美術に専念するために「レディースフォトクラブ 」を設立した。その瞬間のイデオロギーの下では、写真は建築より女性にとってより適切であるように見えたのである。彼らは第二次世界大戦(1940-1943)に滞在した中国での滞在中に撮影された写真をクラブを通して発表した。 この後、彼らのスタジオはプロとしての仕事を再開し、1953年に彼らは建築学を選考し卒業した最初の女性を雇った。 土浦の遺産の多くが消え、彼女の作品のほとんどが彼女の夫の名前で登録されているという事実にもかかわらず、彼女の弟子の小川信子は2001年に出版した『ビッグ・リトル・ノブ : ライトの弟子・女性建築家土浦信子』で、彼女は自分の国での近代建築の紹介における彼女の作品とコラボレーションを強調している。
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軌跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 05:34 UTC 版)
年はいずれも天正10年(1582年)である。 和暦太陰太陽暦西暦ユリウス暦グレゴリオ暦換算羽柴秀吉の動向明智光秀の動向その他のできごと天正10年5月8日 1582年5月29日 6月8日 備中高松城を包囲して水攻めを開始。 5月15日 6月5日 6月15日 主君織田信長より徳川家康の饗応役を拝命。 5月17日 6月7日 6月17日 信長への援軍を要請。信長の中国出陣が現実化。 家康饗応役を解任されて坂本城に帰城。 5月19日 6月9日 6月19日 高松城水攻めの堤防工事が完了。 5月26日 6月16日 6月26日 丹波亀山城に入城。 5月27日 6月17日 6月27日 戦勝祈願のため愛宕山に登る。 5月28日 6月18日 6月28日 愛宕山威徳院で里村紹巴らと戦勝祈願の百韻連歌会を開催。 5月29日 6月19日 6月29日 家康、近江安土城を訪れて信長に面会。駿河拝領の礼を述べる。信長、安土城を出発して京都本能寺に到着。神戸信孝、四国攻めのため摂津国住吉に着陣。 6月1日 6月20日 6月30日 丹波亀山城を進発して本能寺へ向かう。 信長、本能寺で茶会を開き、勅使や公家、堺衆に名物の茶器を披露。同夜、本因坊算砂と碁を打つ。 6月2日 6月21日 7月1日 本能寺の変。本能寺と二条新御所を急襲し、信長・信忠父子を自害に追い込む。その後、安土城へ向かうが山岡景隆兄弟に瀬田橋を破壊され果たせず。夕方、坂本城へ戻り、諸方に協力要請の書状を送る。 家康、堺遊覧中に本能寺の変の報せを受けて避難。近江信楽で宿泊。穴山梅雪、宇治田原で野武士に殺される(家康首謀説あり)。 6月3日 6月22日 7月2日 夜~翌朝の間に本能寺の変報届く。安国寺恵瓊を自陣に招いて停戦交渉開始。 家臣を近江平定のために派遣。 午前、柴田勝家、越中魚津城を陥落させる。直後本能寺の変報を聞く。細川藤孝・忠興、剃髪して信長の喪に服する。 6月4日 6月23日 7月3日 信長の死を秘して毛利輝元と和議。午前、高松城主清水宗治切腹を見分。一説によると、この日から中国大返しを開始。 筒井順慶と結ぶ。近江をほぼ平定。 家康、三河岡崎城に帰還。夕刻、毛利方に本能寺の変報が届く。 6月5日 6月24日 7月4日 中川清秀宛に信長・信忠無事の書状を送る。この日高松退陣、備前野殿を経て沼城へ(『秋田家文書』『梅林寺文書』)。 安土城陥落。信長の遺産を接収。京極高次・阿閉貞征に命じて近江長浜城を陥落させ、斎藤利三を入れる。 津田信澄、大坂城で織田信孝・丹羽長秀らに殺害される。 6月6日 6月25日 7月5日 一説によると、この日から中国大返しを開始。実際は秀吉先陣が姫路城に到着(『松井文書』)。沼城に立ち寄る。高松城-沼城間22 km、全行程200 km中22 km踏破。 小早川隆景、備中幸山城などの国境地域を堅める。 6月7日 6月26日 7月6日 6日から8日の間に播磨姫路城に帰還。沼城-姫路城間70 km、全行程200 km中92 km踏破。 朝廷が勅使吉田兼見を安土に送り、光秀の勝利を祝賀。 6月8日 6月27日 7月7日 細川藤孝と連絡をとる。 坂本城に帰還。秀吉大行軍の情報を得る。 光秀に呼応した安藤守就が美濃で稲葉良通との戦闘で敗死。 6月9日 6月28日 7月8日 未明に姫路城を出発。正午に明石に到着。姫路城-明石間35 km、全行程200 km中127 km踏破。別働隊、淡路洲本城を占拠。高山右近より光秀の動向を伝えられる。 上洛して朝廷などに銀子を献上。吉田兼見邸宅での夕食。その後、下鳥羽に出陣。細川藤孝宛に二度目の書状。 筒井順慶、光秀の誘いを断り、大和郡山城で籠城準備。足利義昭、自らの京都入りについて吉川元春父子・小早川隆景に命令。 6月10日 6月29日 7月9日 兵庫に到着。明石-兵庫間18 km。全行程200 km中145 km踏破。 筒井順慶の出陣を促すため洞ヶ峠に滞陣。 6月11日 6月30日 7月10日 尼崎に到着。兵庫-尼崎間26 km。全行程200 km中171 km踏破。栖賢寺で剃髪。 筒井順慶の説得のため藤田伝五を派遣するが拒まれる。この日までに淀城と勝竜寺城を修築。下鳥羽帰陣。 6月12日 7月1日 7月11日 富田に到着。尼崎-富田間23 km。全行程200 km中194 km踏破。布陣して作戦会議。夜は当地に宿営。 紀伊惣国一揆に出陣要請 顕如と教如の和解が成立。 6月13日 7月2日 7月12日 山崎に到着。富田-山崎間6 km、全行程200 km踏破。中国大返しを完了。織田信孝と対面。光秀軍と山崎で決戦(山崎の戦い)して勝利。淀城で宿営。 山崎の戦いで敗北。勝竜寺城より坂本城へ向かう途中、落ち武者狩りに遭い小栗栖で死す。 6月14日 7月3日 7月13日 近江に入る。三井寺在陣中に光秀の死を知る。 堀秀政隊、明智秀満軍を撃破。坂本城落城。徳川家康、光秀討伐のため尾張熱田まで進軍(秀吉の申し入れで帰陣)。 6月15日 7月4日 7月14日 安土城天主、原因不明の出火で焼亡。 6月16日 7月5日 7月15日 安土に入る。明智方の近江諸城(長浜城の妻木範賢、佐和山城の荒木行重、山本山城の阿閉貞征・山崎片家)を陥落させて近江平定。 首と遺体が本能寺の焼け跡に晒される。 6月17日 7月6日 7月16日 斎藤利三、近江堅田(大津市)で捕縛される(洛中引き回しのうえ六条河原で磔刑)。 6月18日 7月7日 7月17日 柴田勝豊・柴田勝政、近江長浜に進出。河尻秀隆、甲斐武田氏旧臣による一揆で討死。 6月19日 7月8日 7月18日 滝川一益、神流川の戦いで敗北。 6月22日 7月11日 7月21日 粟田口に光秀と斎藤利三の首塚が築かれる。 6月25日 7月14日 7月24日 織田信孝とともに美濃・尾張に入り、光秀方残党を掃討。 6月27日 7月16日 7月26日 清洲会議
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軌跡
「軌跡」の例文・使い方・用例・文例
- 依頼人の成長の軌跡を克明にたどることは, カウンセラーにとって, 不可欠である.
- 軌跡を求む
- 1本未満の軌道の軌跡を持つか、含むさま
- 与えられた点から等距離にある点の軌跡は円になる
- 中心点からの距離が常に増大するように回る点の軌跡となる平面曲線
- ある天体が一定の高度に見える,地球上の地点の軌跡
- 写真上に写し取られた光の軌跡
- ストロボアクションという,画面に物体の動きの軌跡を示すテレビシステム
- 家の中などで,人が部屋から部屋へ動き回る時の軌跡
- 幾何学で,点の移動した軌跡
- 正射影という,垂線の足の軌跡による投影
- 日周運動によって天体が天球上に描く軌跡
- 一定点から等距離にある点の軌跡によって囲まれた平面の部分
- 一つの平面上で一定点から等距離にある点の軌跡
- 「原爆ドームの軌跡」という展示の中で,ドームの保存を求めた要望書のコピーが現在公開されている。
軌跡と同じ種類の言葉
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