定着
てい‐ちゃく【定着】
定着 [写真]
英語:fixing, fixation
現像された感光材料の感光性を除き,画像を安定化する処理.ハロゲン化銀写真では,現像(漂白)処理後に残存するハロゲン化銀を溶解除去する処理.一般にチオ硫酸塩のハロゲン化銀溶解作用を利用している.
定着 [電子写真]
定着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 09:12 UTC 版)
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関連項目
定着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 09:54 UTC 版)
現像しただけでは感光しなかった部分に感光剤がそのまま残っている。この部分は光を当てるとまた感光してしまう。そこで、感光しなかった部分の感光剤を除く処理が定着である。感光剤の臭化銀は水にほとんど溶けないが、チオ硫酸塩の水溶液には錯イオンを形成して溶解する。そこでこれを定着液として用いフィルムを浸漬することによってフィルム上から未反応の臭化銀が除去される。しかし、数十分以上も浸漬したままにしておくと、現像処理された黒化銀部分まで溶け出すので注意が必要である。なお定着液に溶解した銀はDPE店などではフィルムメーカーが回収してフィルムに再利用されている。 なかでも、発色現像、つまり、カラー写真の場合には、漂白・定着の工程が必要である。必要なのは現像主薬とカプラーが反応して生成した色素だけであり、還元で生成した銀が残っているとモノクロ写真のようになってしまう。そこで現像で生成した銀も未反応の臭化銀も両方とも溶解させてしまう。漂白と定着を一浴で済ませる Blix (Bleach + Fix) 処理には、漂白剤としてFe (III) EDTA (エチレンジアミン四酢酸鉄)を含むポリカルボン酸アミン類錯体を、定着剤としてチオ硫酸塩(ハイポなど)をそれぞれ用いた水溶液を漂白定着液として用いる。(かつては漂白剤としてフェリシアン酸塩(赤血塩)が使われた。しかし、赤血塩はチオ硫酸塩と混ぜると保存性が著しく悪く、漂白のあとで定着を別個に行なわなければいけなかった。また、シアン公害の問題もあった。そのため、現在では Fe (III) EDTA 等が使われている。) 現像(developing)から定着(fixing)、そして、水洗(定着が終わったフィルムから薬品を取り除く。この時、薬品を取り除くことを促進する薬品を使う場合がある)と乾燥(水分を取り除く)までが、現像工程(プロセス、processing)である。
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定着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 01:37 UTC 版)
現像してできた像は、放って置くと感光が進んで崩れてしまう。そこで、ダゲールオリジナルの方法では食塩水を用いて定着させるという操作が必要になる。のちにジョン・ハーシェルによってチオ硫酸ナトリウムを用いる方法が考案された。
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定着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 01:54 UTC 版)
その後、「銀ぶら」の風俗は定着し、羽衣歌子・三島一声「銀ブラ行進」(1930年)、二村定一「銀ブラソング」(1932年)など、流行歌にも歌われた。戦後の歌謡曲でも、「赤い靴のあのお嬢さん/今日も また銀ぶらか」(暁テル子「東京シューシャインボーイ」1951年)のように歌われた。 昭和初期には、これを真似て、大阪・心斎橋を歩く「心ぶら」、道頓堀を歩く「道ぶら」、京都の京極を歩く「京ぶら」、神戸の元町を歩く「元ぶら」、東京の新宿を歩く「新ぶら」、さらに、横浜の伊勢佐木町を歩く「佐木ぶら」などの言葉も作られた。 風俗の定着と共に、公的機関も「銀ぶら」を用いるようになった。昭和19年(1944年)3月15日に情報局が発行した『写真週報』313号の記事では、戦時中の生活様式を戒める説明で以下のように用いる。 玉砕に應へやう、と壁新聞が絶叫してゐる前をこの落伍娘は何の為の銀ブラか お友達はすでに女子挺身隊員として兵器工場で脇目もふらずに戦つてゐるぞ 文学作品の中にも登場する。獅子文六『悦ちゃん』(1937年)では、銀座を散歩する場面で次のように用いる。 碌さんは銀ブラをすることにきめたが、さっき細野夢月と一緒に行く約束したことを思いだして、もう一度、芸術家倶楽部へ引返してみた。 戦後文学でも、「銀ぶら」は依然として多く用いられた。遠藤周作『ヘチマくん』(1960年)では、次のように銀座の散歩の意に用いている。 鮒吉は勘定を払うと外に出た。午後の陽が歩道にそそいで、銀ブラをする若い連中が腕をくんだり体をすり合わせたり、時々、ショウ・ウインドオの中を覗きこんだりしながら流れていく。
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定着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/05 16:13 UTC 版)
時代が変わり、テレビ時代になると、今度はテレビがメンケンの作り話を拡散し、三大ネットワークのCBS・NBC・ABCの全てが嘘を史実として取り上げた。世紀が変わった2004年には『ワシントン・ポスト』紙も「フィルモアがホワイトハウスにバスタブを設置した最初の大統領」と、コラムの内容を真実として伝えた。こうしてメンケンの作り話はワシントンの桜の木の伝説と同様人々の間に定着し、フィルモアの生地であるニューヨーク州のモラヴィアではバスタブを使ったレースも毎年行われている。
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定着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/12 20:34 UTC 版)
17世紀末、明朝の遺臣ら3000名を載せた船が広南国のダナンに着港し、ベトナムへの亡命を求めると、広南王は南部ドンナイ河流域への定住を認めた。この為、華人は南部ベトナムではタウ(Tàu)(艚=船 のベトナム語音)とも呼ばれる。19世紀末には華人の子孫はコーチシナで4万人に達した。 20世紀に入ると、船舶などの交通手段発達から交易が栄え、東南アジアへの華人の出入国は盛んとなった。ベトナムでは数十万人の華人が出入りし、移住人口はさらに増えた。1936年の調査によれば、コーチシナで17万人、アンナンで1万人、トンキンで3.5万人の華僑が在住し、「ミンフォン(明郷)」と呼ばれる混血児は7.4万人となった。さらに清朝末から第二次大戦前夜には、混乱を逃れた大量の華人がベトナムに流入した。
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定着
「定着」の例文・使い方・用例・文例
- それは長い伝統によって定着した慣習だ
- だれかが私を「チャチャ」と呼んでその名前が定着してしまった
- 赤潮による死滅後のアマモの再定着
- 私の会社は継続雇用制度を導入しているため、継続雇用定着促進助成金を受給しています。
- この運用はまだ定着していません。
- この運用は定着しました。
- 新規の定着率の推移
- 定着を目的として取り組む
- 製品カテゴリー自体が目新しいので、いかに定着させるかがカギとなります。
- この習慣は日本人の間にすっかり定着した。
- 我々の会社は今ではすっかり日本に定着している.
- この国では草の根的民主主義は定着していない.
- 小型車が市場に定着している.
- この新しい習慣は日本人の生活にすっかり定着した.
- 戦後50年経ったが, はたして民主主義が完全に日本に定着したといえるだろうか.
- (写真)の定着液
- 定着液槽
- [法律]定着物
- 住所を定めて定着する
- 定住、または定着するようになる、あるいは住居や生活様式が安定するようになる
定着と同じ種類の言葉
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