とう‐き〔タウ‐〕【陶器】
すえ‐き〔すゑ‐〕【須恵器/▽陶器】
陶器
陶器
姓 | 読み方 |
---|---|
陶器 | すえ |
陶器 | とうき |
陶磁器
(陶器 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/23 02:12 UTC 版)
陶磁器(とうじき、英語: pottery and porcelain)は、粘土・長石・ケイ石などを主原料にした焼き物(やきもの)の総称[1]。セラミックスの一種。
注釈
出典
- ^ 「陶磁器」『世界史事典』(三訂版)旺文社、200-10。ISBN 4-01-035314-7。
- ^ 『やきもの見方・見分け方百科 伝統技法の色・文様・形・逸品の選び方、楽しみ方』竹内順一 監修、主婦と生活社〈主婦と生活・生活シリーズ〉、1996年8月、170頁。ISBN 4-391-60597-X。
- ^ a b c d e f g h i 素木洋一「セラミック外論(1)」『窯業協會誌』第68巻第773号、日本セラミックス協会、C160-C165、doi:10.2109/jcersj1950.68.773_C160。
- ^ a b c d 古賀直樹「陶磁器素地の高強度化と衛生陶器への応用」『Journal of the Society of Inorganic Materials, Japan』第7巻第285号、無機マテリアル学会、143-148頁、doi:10.11451/mukimate2000.7.143。
- ^ 佐々木 1991, p. 15.
- ^ “陶磁ネットワーク発足 全国の6館連携-佐賀新聞ニュース/The Saga Shimbun 佐賀のニュース”. www.saga-s.co.jp (2008年5月25日). 2016年3月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月11日閲覧。
- ^ 「鉛のとける陶磁器 三社に回収命令」『朝日新聞』、1970年11月17日、朝刊、12版、22面。
- ^ 『商品テスト報告 No.37 陶磁器食器』高知県立消費生活センター、2002年6月 。2023年7月8日閲覧。
- 1 陶磁器とは
- 2 陶磁器の概要
- 3 陶器
- 4 陶磁器をめぐる問題
陶器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 09:35 UTC 版)
イベリア半島へのラスター彩陶器の作陶技法が伝わった時期は明確にはなっていないものの、12世紀には半島北東部に工房が存在したとの記録があり、ナスル朝期の作陶の中心地はマラガであった。ナスル朝期以降もラスター彩陶器は製作され続けていて、この時期には銅成分の多い顔料が使われており、赤味の多いものとなっている。 この時期で有名なものとしては、「アルハンブラの壺」といわれる1mを超える高さのラスター彩の壺がある。この壺は完形品で現存しているものが10点しかなく、その特徴は、長い頸部、平たく羽を広げたような把手、全体に施されたラスター彩色があげられる。この壺の大きさや形状と技術水準の高さから、実用ではなく装飾用に特定の工房で製作されたものと推測されている。 ラスター彩陶器は、1492年のナスル朝滅亡後もイベリア半島にとどまったモリスコ陶工により作陶が続けられ、イスパノ・モレスク陶器(英語版)と呼ばれた。 アルハンブラ宮殿の装飾に、マラガで製作されたとされる陶器のアリカタド(モザイクタイル)が使用され、その色彩、文様構成は一定の色とパターンの反復を全体に広げるものである。また、1枚のタイルとしては世界最大と思われるラスター彩の装飾タイル(銘文にユースフ3世に捧げる賛歌がある)がアルバイシンの丘で発見されている。 スペイン国立考古学博物館所蔵「アルハンブラの壺」14-15世紀 スペイン・イスラム美術館所蔵「アルハンブラの壺」のガゼルの文様 星形・葉文タイル、アリカタド技法
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陶器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:58 UTC 版)
「長崎県指定文化財一覧」の記事における「陶器」の解説
2001年の時点で、陶磁器の国指定文化財はない。 名称位置指定日解説青磁陽刻牡丹唐草文瓶 対馬市厳原町豆酘 多久魂神社 2006年3月3日 14世紀前半に元朝で作成されたと推定される青磁瓶。対馬へ渡ってきた経緯は不明。名のとおり、首に3輪・胴に6輪の牡丹が貼り付けられ、唐草文様で結ばれている。口には10本の圏線、底には29本の鎬蓮弁文が刻まれ、装飾性に富んでいる。 聖母宮の茶壺 壱岐市勝本町坂本触 聖母宮 1972年2月4日 天正20年(1592年)、聖母宮に寄進された古唐津の茶壷。胴の銘文には亀岡城代日高喜の号「喜斎」と元岡修理の花押が刻まれている。口が少し欠けている。たたき成型で内側に青海波文がある。茶系流し釉の黒唐津として珍重される。
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陶器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 06:32 UTC 版)
カオリナイト(カオリン)やモンモリロナイトを多く含んだ粘土を原料とし、窯で1100〜1300°Cの温度で焼いたもの。釉薬を用いる。透光性はないが、吸水性がある。厚手で重く、叩いたときの音も鈍い。粗陶器と精陶器に分けられる。
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陶器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/08 08:43 UTC 版)
歴史節でも触れたようにヴァロリスでは古くから陶器を製作していたが、一時は衰退し存亡の危機にあった。転機は1947年、この地でマドゥーラ窯を主宰していた陶芸家とピカソとの出会いであった。ピカソがこのマドゥーラ窯で陶器を制作し、1948年11月より翌年にかけてパリにおいて陶器の展覧会を開いた。この展覧会が好評を得、ヴァロリスへの観光客が一気に増加したという。なお、このマドゥーラ窯はその後もピカソ作品のレプリカを製作・販売する権利を有している。 1950年、フランス文化使節の招きにより、日本の陶芸界が展覧会『現代日本陶芸展』をフランス、パリで開いた。元々はフランスだけでなく他の国も巡回し開催するはずの展覧会であったが、その予定をとりやめて翌年1951年にヴァロリスで行うことになった。これにはピカソの影響があったといい、ヴァロリスでの展覧会では同時にピカソによる作品40点も展示された。日本からは北大路魯山人などの作品が出品され、好評価を得た。また、出品作品のうちいくつか(舩木道忠、加藤唐九郎などによる作品)はヴァロリスの美術館に寄贈された。このような縁があって、北大路魯山人や加藤唐九郎などは後年、またそれ以降もヴァロリスはしばしば日本から陶芸家が訪れる土地となっている。 1968年、『ヴァロリス国際陶芸ビエンナーレ』が始まった。これは2012年現在も開催されており、日本からも作品が出品されている。 ヴァロリスで製作された陶器は現地の土産物屋のみならず、カンヌやニースへも輸送され販売される。レマンソー通りというヴァロリスのメイン・ストリートには多くの専門店が立ち並んでおり、多彩な陶器を見つけることができる。
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陶器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 05:37 UTC 版)
楽焼 織部焼 朝鮮の影響を受けた陶磁器・皮革武具:豊臣秀吉の唐入り(文禄・慶長の役)した主力の大名が進軍先駐屯中に大陸・半島での経済風俗調査で、朝鮮の工芸品を見い出し駐屯中に有償物資調達で厚遇した。あまりの厚遇ため陶工などこれら技能集団は日本への帰化を切望し、各大名が所領内での帰化と居住を許し、一部は重臣に取り立てられ、各大名は工芸品を特産物として保護した。有名なものは、伊万里焼:佐賀県有田、長崎県波佐見、三川内などで焼かれた肥前磁器の総称。鍋島直茂が帰化を許可した陶工を発祥とする。 萩焼:山口県萩市周辺で焼かれる。毛利輝元が帰化を許可した陶工を発祥とする。 薩摩焼:鹿児島県一帯で焼かれる。島津義弘が帰化を許可した陶工を発祥とする。 上野焼(あがのやき):福岡県田川郡福智町で焼かれる。細川忠興が小倉藩主となった際に、家臣にまで取り立てられ帰化陶工が発祥とする。 高取焼:福岡県直方市や福岡市で焼かれる。 皮革武具 ・印伝 上州印伝:軽くて丈夫でしなやかな特徴を持っている大陸産鹿革は、 秀吉の唐入り後流行し、日本刀の柄、鎧兜などに利用されてトンボ柄が有名である
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陶器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 01:57 UTC 版)
「タラベラ・デ・ラ・レイナ」の記事における「陶器」の解説
フェリペ2世が城の壁を覆うタイルとしてタラベラ産のセラミックを用いたことから、タラベラ・デ・ラ・レイナはその名が国際的に知られるようになった。エル・エスコリアル修道院にもタラベラ産のセラミックが使用されている。タラベラ・デ・ラ・レイナの別名は、「陶器のまち」(La Ciudad de la Cerámica)である。
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陶器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 04:41 UTC 版)
ジア・プエブロの陶器は、白い背景に描かれた植物と動物のモチーフと共に、幾何学的なデザインで構成されている。いくつかの陶器はジアの鳥のシンボルが描かれた薄い壁のある陶器である。
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陶器
「陶器」の例文・使い方・用例・文例
- 陶器が日に焼かれて固まってきた
- 彼女は自分の陶器のコレクションを自慢した
- その陶器には気をつけてください,壊れやすいから
- 彼女は陶器をかまで焼いた
- 陶器の優れた鑑定家
- 私はみやげ物屋で陶器を1つ買いました
- 彼は高価な陶器を戸棚にしまい込んだ
- 陶器
- 鉄鉱石は通常陶器の材料として用いられる。
- これらの陶器の破片は考古学的に重要だ。
- この陶器は焼きが足りない。
- ここでは昔は陶器が有名でした。
- 花器として使われているその陶器は、彼女の作品の一つです。
- 貴方は陶器に自分で絵を描くことに興味がありますか?
- 貴方は陶器に自分自身で絵を描くことに興味がありますか?
- 私たちはなかなか気に入った陶器を見つけることが出来なかった。
- 私はこの陶器に傷がつかないよう注意して作業をする。
- 彼は陶器を作っている。
- 有名な陶器が陳列されている。
- 彼が棚にぶつかって、とても高価な陶器が落ちて粉々に割れてしまった。
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