ナスル朝とは? わかりやすく解説

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ナスル朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/02 17:00 UTC 版)

ナスル朝(ナスルちょう、アラビア語: بنو نصر‎(Banū Naṣr)、スペイン語: La dinastía Nazarí、またはLa dinastía nasríナスリー朝)は、イベリア半島最南部に13世紀から15世紀末まで存在していたイスラム王朝1492年、この王朝がスペイン帝国に征服されたことで、キリスト教勢力によるレコンキスタ(再征服運動)が完了した。


注釈

  1. ^ 預言者ムハンマドの教友の後継者とも[3]マディーナのハズラジュ族の後裔ともいわれる[4]
  2. ^ ムハンマド1世の保有する兵力では、ハエン一帯まで含めた防衛は不可能であった[10]
  3. ^ アラブのキンダ族の出自と称していた[12]
  4. ^ 「代官」とも訳される[10]
  5. ^ 信仰と自治権を認められ農村あるいは一部都市に残留を認められたムスリム[13]
  6. ^ 余部 (1992)、p.325 では、ムルシアに独力でアシキールーラ家を差し向け占領したとされる。
  7. ^ アラゴン王国への反乱の波及を恐れたジャウマ1世により支援が行なわれた[13]
  8. ^ アルフォンソ10世とその子サンチョとの対立があった[15]
  9. ^ この侵攻はスペインに対する領土的野心によるものではなく、ジハードと唱え王朝の正統性を自国のイスラーム指導者層に訴えることが目的であった[16]
  10. ^ この侵攻を行なったマリーン朝アブー・アルハサン・アリー王の後アブー・イナーン・ファーリス王末期からマリーン朝は内乱が続き、衰退していった[20]
  11. ^ ユースフ4世が王となる際に、カスティーリャ王フアン2世の支援を受けた[25]
  12. ^ a b 従来ムハンマド12世(ボアブディル)とされてきた世数は、新たなアラビア語史料の公刊により訂正されなければならないとされる[1]
  13. ^ カトリック両王はムハンマド11世を正統政権とし、1483年に休戦協定を結んでいる[31]
  14. ^ この時の協定では、ムスリムに対し、残留する者には信仰と財産の保全が許され、イベリア半島から退去する者にはその財産処分の自由が与えられた[33]
  15. ^ スペイン語でアルプハーラス。シエラ・ネバダ山脈と地中海の間に挟まれた山岳地帯[36]
  16. ^ ナスル朝の領域はカスティーリャ王国組み込まれた[39]
  17. ^ 成立過程が似ているムラービト朝とムワッヒド朝の宗教理念はまったく異なり、ムラービト朝では正統的マーリク派法学を理念としたのに対し、ムワッヒド朝ではマーリク法学からすると異端とされるようなザーヒル派法学、哲学、スーフィズムなどの要素をとりまぜた独自のタウヒード神学を理念とした[42]
  18. ^ 14世紀のナスル朝で製作された紙製の写本が存在し、この地域での紙製写本としては早い時期の作例となっている[55]

出典

  1. ^ a b c d 佐藤健太郎 (2008)、p.135
  2. ^ a b 佐藤健太郎 (2008)、p.115
  3. ^ 佐藤次高 (1997)、p.336
  4. ^ ヒッティ (1983)、p.394
  5. ^ a b c d e f 佐藤健太郎 (2008)、p.119
  6. ^ a b 私市 (2002)、p.255
  7. ^ a b 関 (2008)、p.162
  8. ^ ヒッティ (1983)、pp.394-395.
  9. ^ a b c d e f g h i j k 佐藤健太郎 (2008)、p.120
  10. ^ a b c d e 余部 (1992)、p.327
  11. ^ a b 佐藤健太郎 (2008)、pp.119-120.
  12. ^ 余部 (1992)、p.325
  13. ^ a b c d e 関 (2008)、p.166
  14. ^ a b 佐藤健太郎 (2008)、pp.120-121.
  15. ^ a b c d e 佐藤健太郎 (2008)、p.121
  16. ^ 私市 (2002)、p.251
  17. ^ 佐藤健太郎 (2008)、pp.121-122.
  18. ^ a b c d e 佐藤健太郎 (2008)、p.122
  19. ^ a b 佐藤健太郎 (2008)、pp.122-123.
  20. ^ 那谷 (1984)、pp.194-196.
  21. ^ a b c d 佐藤健太郎 (2008)、p.123
  22. ^ a b 佐藤健太郎 (2008)、pp.125-126.
  23. ^ 余部 (1999)、p.69
  24. ^ a b c d e f 佐藤健太郎 (2008)、p.126
  25. ^ a b c 佐藤健太郎 (2008)、p.127
  26. ^ 佐藤健太郎 (2008)、pp.126-127.
  27. ^ 余部 (1992)、p.334
  28. ^ a b c d ヒッティ (1983)、p.399
  29. ^ ヒッティ (1983)、pp.399-401.
  30. ^ a b c 余部 (1992)、p.335
  31. ^ 大内 (2008)、p.259
  32. ^ ヒッティ (1983)、p.400
  33. ^ a b c d e f 佐藤健太郎 (2008)、p.128
  34. ^ 祝田 (2013)、p.107
  35. ^ ヒッティ (1983)、p.401
  36. ^ ヒッティ (1983)、p.411
  37. ^ ヒッティ (1983)、p.402
  38. ^ a b 大内 (2008)、p.257
  39. ^ a b 大内 (2008)、p.258
  40. ^ 大内 (2008)、pp.258-259.
  41. ^ a b 佐藤健太郎 (2008)、p.118
  42. ^ 佐藤健太郎 (2008)、p.113
  43. ^ a b c d e 佐藤健太郎 (2008)、p.124
  44. ^ a b 佐藤健太郎 (2008)、pp.124-125.
  45. ^ 余部 (1992)、p.328
  46. ^ a b c d e 佐藤健太郎 (2008)、p.125
  47. ^ 佐藤健太郎 (2008)、p.123
  48. ^ ヒッティ (1983)、p.424
  49. ^ 余部 (1992)、p.330
  50. ^ ヒッティ (1983)、pp.424-425.
  51. ^ ヒッティ (1983)、p.425
  52. ^ a b 余部 (1992)、p.331
  53. ^ a b c ヒッティ (1983)、p.432
  54. ^ 大川 (2005)、p.64
  55. ^ 桝屋 (2009)、p.77
  56. ^ 大川 (2005)、p.65
  57. ^ 深見 (2005)、pp.59-60.
  58. ^ 深見 (2005)、p.60
  59. ^ a b c d 桝屋 (2009)、p.50
  60. ^ 余部 (1992)、p.332
  61. ^ a b c 余部 (1992)、p.333
  62. ^ a b c d e 桝屋 (2009)、p.119
  63. ^ a b c 杉村 (2005)、p.43
  64. ^ 杉村 (2005)、pp.46-47.
  65. ^ a b 杉村 (2005)、p.47
  66. ^ ヒッティ (1983)、p.421
  67. ^ ホーラーニー (2003)、p.207
  68. ^ ヒッティ (1983)、p.422
  69. ^ ヒッティ (1983)、p.397






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