アストゥリアス王国
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- アストゥリアス王国
- Reinu d'Asturies
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← 718年[1] - 924年 →
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(国旗) (国章) - 国の標語: Hoc Signo Tuetur Pius, Hoc Signo Vincitur Inimicus
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アストゥリアス王国の位置(814年) -
言語 アストゥリアス語、ラテン語、俗ラテン語 宗教 キリスト教 首都 カンガス・デ・オニス、ラングレーオ、プラビア、オビエド 現在 スペイン
ポルトガル

アストゥリアス王国(アストゥリアスおうこく、アストゥリアス語: Reinu d'Asturies、スペイン語: Reino de Asturias、ラテン語: Asturorum Regnum)は、イベリア半島にかつて存在した王国である。
歴史
711年、グアダレーテ河畔の戦いでイベリア半島をイスラーム勢力(ウマイヤ朝)が征服し、西ゴート王国が滅亡した。この際、イスラームへの抵抗を続けた西ゴート王国の貴族ペラーヨは、イベリア半島北西部にまで逃れ、在地のアストゥリアス人勢力と結んで、アストゥリアス王国を建国した。イスラーム勢力の攻撃を受けるが、722年にコバドンガの戦いで勝利して独立を保つと、カンガス・デ・オニスを都として支配を固めた。
アルフォンソ2世の時代にガリシア地方へと版図を拡大し、聖ヤコブを守護聖人とするサンティアゴ大聖堂を設けた。また、カンガス・デ・オニスに代わりオビエドを支配の拠点とした。この頃より、イスラーム勢力に対する反撃が進められた。
ガルシア1世の時代に、都はオビエドからレオンへと遷された。これ以降の王国はレオン王国と称される。
脚注
- ^ Collins, Roger (1989). The Arab Conquest of Spain 710–797. Oxford, UK; Cambridge, Mass.: Blackwell. p. 49. ISBN 0-631-19405-3.
参考文献
関連項目
アストゥリアス王国
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詳細は「アストゥリアス王国」を参照 711年の西ゴート王国滅亡後イベリア半島はイスラム教徒によって支配された。イスラム教徒の支配下では税を支払う代わりに西ゴート式の独自の典礼を維持したキリスト教徒たちがおり、モサラベと呼ばれた。北部山岳地帯のキリスト教国アストゥリアス王国は最も積極的にイスラーム諸国に対抗した。従来アストゥリアス王国のこのような反抗は、西ゴートの後継者を自認する同王国が宗教的政治的目的から遂行しており、それがレコンキスタ精神に直接つながるものと考えられることが多かったが、最近はこのような見方は修正されつつある。一方で従来説の支持者は西ゴート貴族のアストゥリアスへの移住や国王選出方式が西ゴート式であったというような傍証を挙げている。 722年、西ゴート王国の貴族ペラーヨはコバドンガの戦いでイスラム軍を破り、以後、アストゥリアス地方が、レコンキスタの拠点になる。 791年に即位したアルフォンソ2世(760年-842年)の治世後半にはアル・アンダルスから移住してきたモサラベの建言を容れて、西ゴート方式の宗教儀式を部分的に採用し、西ゴート王に連なる家系図を作らせ、アストゥリアスが西ゴート王国の継承者であるという「新ゴート主義」が成立した。新ゴート主義とは、スペインの歴史家ラモン・メネンデス・ピダルが提唱した、この時期のアストゥリアス王国に見られる、西ゴート時代の意識的模倣のことである。 アルフォンソの宮廷・教会組織はアーヘンとトレドをモデルに整備された。アルフォンソは終末論を思想的背景としつつ、西ゴート王国との連続性を主張したが、一方で8世紀以来モサラベ教会で主流となっていたキリスト養子説は採用しなかった。正確に言えば、モサラベ教会の教義、つまりトレドのエリパンドゥス (en:Elipando) が唱えた説は「キリストは神に人性において『採択された子』」というもので、養子説ではない。 アルフォンソ3世の時代になると、植民活動を活発化させ、教会堂の建設事業を積極的に行うなどキリスト教布教にも力を注いだ。アルフォンソ3世の「征服」を強調する見方があるが、アルフォンソ3世による発展は全く「平和的」なもので、レコンキスタという言葉が想像させる征服的なものではないという見方もある。
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