俗ラテン語とは? わかりやすく解説

俗ラテン語

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/02 14:44 UTC 版)

ポンペイに残された選挙の落書き。民衆の話し言葉、俗ラテン語で書かれており貴重な資料である。

俗ラテン語(ぞくラテンご、: sermo vulgaris セルモー・ウルガーリス、: Vulgar Latin)は、ローマ帝国内で話されていた口語ラテン語で、ロマンス語祖語となる言語。 ローマ帝国の崩壊後、地方ごとに分化し現在のロマンス諸語になった。

古代ローマから現代にかけて使用されてきたラテン語は基本的に文献に残る文語ラテン語(古典ラテン語)のことである。 これに対し口語、つまり民衆の話し言葉があったことが文献に残されており、これを俗ラテン語という。ただし、「俗」を意味するvulgarという言葉には「下品な」、「粗野な」、「卑しい」などの意味があるため、「民衆ラテン語」(Popular Latin)、「ロマンス祖語」(Proto-Romance)などの用語を主張する学者も多い[1]

なお、sermo vulgarisとは古典ラテン語で「日常の言葉」を意味し、下記の音韻の変化に従えば俗ラテン語では sermo volgare セルモー・ヴォルガレとなる。

音韻

母音の変化

音韻の変化
古典ラテン語 俗ラテン語
文字 発音 文字 発音
A [a] A [a]
[aː]
E [e] E [ɛ]
[eː] [e]
I (J) [i] E [e]
[iː] I [i]
[j] I (J) [ʤ]
O [o] O [ɔ]
[oː] [o]
V (U) [u] O [o]
[uː] V (U) [u]
[w] V [v]
Y [y] I [i]
[yː]
AE [ae] E [ɛ]
OE [oe] [e]
AU [au] O [o]
(発音記号についてはIPAを参照)

古典ラテン語には短母音 a, e, i, o, u, y、長母音 ā, ē, ī, ō, ū, ȳ、二重母音 ae, au, oe, ei, ui, eu がある。俗ラテン語では

  • 母音の長短の消失
    ā > a、ē > e、ī > i、ō > o、ū > u、ȳ > i
  • 二重母音の単母音化
    ae > e、oe > e、au > o
  • 短母音の広音化
    i > e、u > o; [e] > [ɛ]、[o] > [ɔ]
  • Y の平唇化
    y > i、ȳ > i

が生じ、右表のようになった。

子音の変化

  • h が発音されなくなる。/h/の音の消失
  • v が [w] から [v] になる
  • [j] が [ʤ] になる
  • c が前舌母音の前で [ts] あるいは [ʧ] になる。後にスペイン語(カスティーリャ語)では [θ]、フランス語ポルトガル語では [s] になる。イタリア語ルーマニア語モルドバ語も含む)では [ʧ] のままである
  • g が前舌母音の前で [ʤ] になる。フランス語・スペイン語・ポルトガル語では [j] とともに単純化され [ʒ] になった(スペイン語は後に[x]に変わった )。イタリア語とルーマニア語(モルドバ語も含む)では [ʤ] のままである
  • 語末の -s、-m が脱落する

文法

格の消失

下は第一変化名詞の rosa(バラ)に上記の音韻の変化を加えた仮想的な表であるが、単数では主格対格奪格と、属格与格が、それぞれ同形になっているのが分かる。名詞全体にこのような変化が起こったため次第に格語尾の区別がつかなくなり消失した。また区別が消失する過程で複数形はラ・スペツィア=リミニ線を基準に西の地方(イベリアフランス)では対格、東(イタリアルーマニア)では主格で代表されるようになった。

rosa(バラ)
古典
単数
主格 rosa rosa
属格 rosae rose
与格 rosae rose
対格 rosam rosa
奪格 rosā rosa
複数
主格 rosae rose
属格 rosārum rosaro
与格 rosīs rosis
対格 rosās rosas
奪格 rosīs rosis

中性の消失

第二変化名詞が音韻の変化を被りもともと単数主格・複数主格・複数対格にしか違いのない -us 型と -um 型が混同され、 -um 型の大部分を占める中性名詞は男性名詞として扱われるようになった。また複数形で使われることの多い名詞は主格の -a が女性形と同じなので女性形として扱われるようになった。

第二変化名詞
古典 -us 古典 -um
単数
主格 -us -um -o
属格 -i
与格 -o
対格 -um -um -o
奪格 -o
複数
主格 -a -i
属格 -ōrum -ōrum -oro
与格 -īs -īs -is
対格 -ōs -a -os
奪格 -īs -īs -is

複合前置詞

俗ラテン語では前置詞を二つ三つ合わせた複合前置詞が現れた。ロマンス語に受け継がれているものには下のようなものがある。 (F E P はそれぞれフランス語スペイン語ポルトガル語の意味とする。)

  • dondeE < de + unde
  • dansF < de + intus
  • dentroEP < de + intro
  • dèsF < de + ex
  • desdeEP < de + ex + de
  • depuisF / despuésE / depoisP < de + ex + post
  • dehorsF / de fueraE / de foraP < de + foris

副詞

古典ラテン語では副詞を作るのに cārus(大事な) → cārē や acer(鋭い)→ acriter のように -ē あるいは -iter をつけるが、俗ラテン語ではこの方法は失われ形容詞の女性形に mente をつけるようになった。この mente は、元は mens(心、女性名詞)の単数奪格で、形容詞+mente で「~な気持ちで」の意味であったのが心の意味が無くなったものである(例:vēlōx「速い」→ voloce mente「心が速く→急いで」)。この用法は紀元前1世紀カトゥルスの文章に散見される。

Nunc jam illa non vult; tu, quoque, impotens, noli
Nec quae fugit sectare, nec miser vive,
Sed obstinata mente perfer, obdura.

(今はもう彼も、汝も思い慕うことはない。追おうとも悲しもうともするな。それでも固く(心固く)忍びよ)

— Catullus VIII

脚注

  1. ^ 「民衆ラテン語」 (Popular Latin)という名称を提唱しているのは主にラテン語研究者で、「ロマンス祖語」(Proto-Romance)という名称は主にロマンス語研究者によって提唱されている。

参考文献

  • 大西英文『はじめてのラテン語』(講談社〈講談社現代新書〉、1997年)
  • 松平千秋・国原吉之助『新ラテン文法』(東洋出版、2000年)
  • 田中秀央『LEXICON LATINO-JAPONICUM 羅和辞典』(研究社、1966年)

関連項目

外部リンク


俗ラテン語

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/08 21:54 UTC 版)

中世ラテン語」の記事における「俗ラテン語」の解説

古典ラテン語大い尊重されつづけ、文章構成模範として学ばれたが、俗ラテン語の影響また、何人かの中世ラテン語作家たちの構文論において明白である。文章語としての中世ラテン語発展高み達したのは、フランク王シャルルマーニュ後援促進され教育再生であるカロリング・ルネサンスのときであったアルクインシャルルマーニュラテン語秘書務め、彼自身重要な作家である。西ローマ帝国権威最終的に崩壊したあとの後退期以後ラテン語文学学習復興をみたのは彼の影響によってであった同時期にロマンス語への発展起こっていたが、ラテン語そのものは非常に保守的でありつづけた。もはや母語ではなくなって、古代および中世多く文法書がひとつの標準形与えていた。他方で、厳密にうならば中世ラテン語」なる単一の形は存在しない中世期すべてのラテン語著作家ラテン語第二言語として話しており、その流暢さ程度異なり構文・文法語彙はしばしば彼らの母語影響されていた。このことはそれ以後ラテン語がますます不純になっていく12世紀ころにおいてとりわけ正しい。フランス語話者によって書かれ後期中世ラテン語文書中世フランス語への、ドイツ人によって書かれたものはドイツ語等々の、文法語彙類似を示すようになる。例をあげると、一般に動詞末尾に置くという古典ラテン語慣行に従うかわりに中世著作家たちはしばしば彼ら自身母語慣習従ったのだったラテン語には定冠詞不定冠詞もなかったが、中世著作家たちはときに unus変化形不定冠詞として、ille の変化形を(ロマンス語における用法反映して定冠詞として、さらには quidam古典ラテン語では「ある、なんらかの」の意)を一種冠詞のように用いたesse(英語の be)が唯一の助動詞であった古典ラテン語異なり中世ラテン語著作家は habere(英語の have)を助動詞として用いることがあったが、これはゲルマン語およびロマンス語における文構成似ている古典ラテン語における対格つき不定詞構文 (accusative and infinitive construction) はしばしば quod または quid導かれる従属節置きかえられた。このことはたとえばフランス語における類似の構文での que用法とほとんど同一である。 8世紀後半以降すべての時代において、これらの形や用法は「間違っている」と気づけるだけ古典語構文論に十分親しんでいた(とりわけ教会内の教養ある著作家たちがおり、これらの使用抵抗していた。こうして聖トマス・アクィナスのような神学者や、ギヨーム・ド・ティールのような学識ある聖職者歴史家ラテン語は、上述特徴大部分忌避する傾向にあり、その語彙やつづりにおいて一時期画している。列挙した特徴は、法律家(たとえば11世紀イングランドドゥームズデイ・ブック)、医師技術に関する著作家世俗年代記作家らの言語においてはるかに優勢である。しかしながら従属節を導く quod の用法とりわけ広く普及しておりすべての層で見られる

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「俗ラテン語」を含む「中世ラテン語」の記事については、「中世ラテン語」の概要を参照ください。

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