俗ラテン語とは? わかりやすく解説

俗ラテン語

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/04/21 07:38 UTC 版)

ポンペイに残された選挙の落書き。民衆の話し言葉、俗ラテン語で書かれており貴重な資料である。

俗ラテン語(ぞくラテンご、羅: sermo vulgaris セルモー・ウルガーリス、英: Vulgar Latin)は、ローマ帝国内で話されていた口語ラテン語で、ロマンス語の祖語となる言語。 ローマ帝国の崩壊後、地方ごとに分化し現在のロマンス諸語になった。

古代ローマから現代にかけて使用されてきたラテン語は基本的に文献に残る文語ラテン語(古典ラテン語)のことである。 これに対し口語、つまり民衆の話し言葉があったことが文献に残されており、これを俗ラテン語という。ただし、「俗」を意味するvulgarという言葉には「下品な」、「粗野な」、「卑しい」などの意味があるため、「民衆ラテン語」(Popular Latin)、「ロマンス祖語」(Proto-Romance)などの用語を主張する学者も多い[1]。

なお、sermo vulgarisとは古典ラテン語で「日常の言葉」を意味し、下記の音韻の変化に従えば俗ラテン語では sermo volgare (セルモー・ヴォルガレ)となる。

音韻

母音の変化

音韻の変化
古典ラテン語 俗ラテン語
文字 発音 文字 発音
A [a] A [a]
[aː]
E [e] E [ɛ]
[eː] [e]
I (J) [i] E [e]
[iː] I [i]
[j] I (J) [ʤ]
O [o] O [ɔ]
[oː] [o]
V (U) [u] O [o]
[uː] V (U) [u]
[w] V [v]
Y [y] I [i]
[yː]
AE [ae] E [ɛ]
OE [oe] [e]
AU [au] O [o]
(発音記号についてはIPAを参照)

古典ラテン語には短母音 a, e, i, o, u, y、長母音 ā, ē, ī, ō, ū, ȳ、二重母音 ae, au, oe, ei, ui, eu がある。俗ラテン語では

  • 母音の長短の消失
    ā > a、ē > e、ī > i、ō > o、ū > u、ȳ > i
  • 二重母音の単母音化
    ae > e、oe > e、au > o
  • 短母音の広音化
    i > e、u > o; [e] > [ɛ]、[o] > [ɔ]
  • Y の平唇化
    y > i、ȳ > i

が生じ、右表のようになった。

子音の変化

  • h が発音されなくなる。/h/の音の消失
  • v が [w] から [v] になる
  • [j] が [ʤ] になる
  • c が前舌母音の前で [ts] あるいは [ʧ] になる。後にスペイン語(カスティーリャ語)では [θ]、フランス語とポルトガル語では [s] になる。イタリア語とルーマニア語(モルドバ語も含む)では [ʧ] のままである
  • g が前舌母音の前で [ʤ] になる。フランス語・スペイン語・ポルトガル語では [j] とともに単純化され [ʒ] になった(スペイン語は後に[x]に変わった )。イタリア語とルーマニア語(モルドバ語も含む)では [ʤ] のままである
  • 語末の -s、-m が脱落する

文法

格の消失

下は第一変化名詞の rosa(バラ)に上記の音韻の変化を加えた仮想的な表であるが、単数では主格・対格・奪格と、属格・与格が、それぞれ同形になっているのが分かる。名詞全体にこのような変化が起こったため次第に格語尾の区別がつかなくなり消失した。また区別が消失する過程で複数形はラ・スペツィア=リミニ線を基準に西の地方(イベリア・フランス)では対格、東(イタリア・ルーマニア)では主格で代表されるようになった。

rosa(バラ)
格 古典 俗
単数
主格 rosa rosa
属格 rosae rose
与格 rosae rose
対格 rosam rosa
奪格 rosā rosa
複数
主格 rosae rose
属格 rosārum rosaro
与格 rosīs rosis
対格 rosās rosas
奪格 rosīs rosis

中性の消失

第二変化名詞が音韻の変化を被りもともと単数主格・複数主格・複数対格にしか違いのない -us 型と -um 型が混同され、 -um 型の大部分を占める中性名詞は男性名詞として扱われるようになった。また複数形で使われることの多い名詞は主格の -a が女性形と同じなので女性形として扱われるようになった。

第二変化名詞
格 古典 -us 古典 -um 俗
単数
主格 -us -um -o
属格 -ī -ī -i
与格 -ō -ō -o
対格 -um -um -o
奪格 -ō -ō -o
複数
主格 -ī -a -i
属格 -ōrum -ōrum -oro
与格 -īs -īs -is
対格 -ōs -a -os
奪格 -īs -īs -is

複合前置詞

俗ラテン語では前置詞を二つ三つ合わせた複合前置詞が現れた。ロマンス語に受け継がれているものには下のようなものがある。 (F E P はそれぞれフランス語、スペイン語、ポルトガル語の意味とする。)

  • dondeE < de + unde
  • dansF < de + intus
  • dentroEP < de + intro
  • dèsF / dêsP < de + ex
  • desdeEP < de + ex + de
  • depuisF / despuésE / depoisP < de + ex + post
  • dehorsF / de fueraE / de foraP < de + foris

副詞

古典ラテン語では副詞を作るのに cārus(大事な) → cārē や acer(鋭い)→ acriter のように -ē あるいは -iter をつけるが、俗ラテン語ではこの方法は失われ形容詞の女性形に mente をつけるようになった。この mente は、元は mens(心、女性名詞)の単数奪格で、形容詞+mente で「~な気持ちで」の意味であったのが心の意味が無くなったものである(例:vēlōx「速い」→ voloce mente「心が速く→急いで」)。この用法は紀元前1世紀のカトゥルスの文章に散見される。

Nunc jam illa non vult; tu, quoque, impotens, noli
Nec quae fugit sectare, nec miser vive,
Sed obstinata mente perfer, obdura.

(今はもう彼も、汝も思い慕うことはない。追おうとも悲しもうともするな。それでも固く(心固く)忍びよ)

— Catullus VIII

脚注

  1. ↑ 「民衆ラテン語」 (Popular Latin)という名称を提唱しているのは主にラテン語研究者で、「ロマンス祖語」(Proto-Romance)という名称は主にロマンス語研究者によって提唱されている。

参考文献

  • 大西英文『はじめてのラテン語』(講談社〈講談社現代新書〉、1997年)
  • 松平千秋・国原吉之助『新ラテン文法』(東洋出版、2000年)
  • 田中秀央『LEXICON LATINO-JAPONICUM 羅和辞典』(研究社、1966年)

関連項目

外部リンク


俗ラテン語

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/08 21:54 UTC 版)

「中世ラテン語」の記事における「俗ラテン語」の解説

古典ラテン語は大いに尊重されつづけ、文章構成の模範として学ばれたが、俗ラテン語の影響もまた、何人かの中世ラテン語作家たちの構文論において明白である。文章語としての中世ラテン語発展が高みに達したのは、フランク王シャルルマーニュの後援で促進された教育の再生であるカロリング・ルネサンスのときであった。アルクインがシャルルマーニュのラテン語秘書を務め、彼自身重要な作家である。西ローマ帝国の権威が最終的に崩壊したあとの後退期以後にラテン語の文学と学習が復興をみたのは彼の影響によってであった。 同時期にロマンス語への発展も起こっていたが、ラテン語そのものは非常に保守的でありつづけた。もはや母語ではなくなって、古代および中世の多くの文法書がひとつの標準形を与えていた。他方で、厳密に言うならば「中世ラテン語」なる単一の形は存在しない。中世期のすべてのラテン語著作家はラテン語を第二言語として話しており、その流暢さの程度は異なり、構文・文法・語彙はしばしば彼らの母語に影響されていた。このことはそれ以後ラテン語がますます不純になっていく12世紀ころにおいてとりわけ正しい。フランス語話者によって書かれた後期中世ラテン語文書は中世フランス語への、ドイツ人によって書かれたものはドイツ語へ等々の、文法と語彙の類似を示すようになる。例をあげると、一般に動詞を末尾に置くという古典ラテン語の慣行に従うかわりに、中世の著作家たちはしばしば彼ら自身の母語の慣習に従ったものだった。ラテン語には定冠詞も不定冠詞もなかったが、中世の著作家たちはときに unus の変化形を不定冠詞として、ille の変化形を(ロマンス語における用法を反映して)定冠詞として、さらには quidam(古典ラテン語では「ある、なんらかの」の意)を一種の冠詞のように用いた。esse(英語の be)が唯一の助動詞であった古典ラテン語と異なり、中世ラテン語の著作家は habere(英語の have)を助動詞として用いることがあったが、これはゲルマン語およびロマンス語における文構成に似ている。古典ラテン語における対格つき不定詞構文 (accusative and infinitive construction) はしばしば quod または quid に導かれる従属節に置きかえられた。このことはたとえばフランス語における類似の構文での que の用法とほとんど同一である。 8世紀後半以降のすべての時代において、これらの形や用法は「間違っている」と気づけるだけ古典語の構文論に十分親しんでいた(とりわけ教会内の)教養ある著作家たちがおり、これらの使用に抵抗していた。こうして聖トマス・アクィナスのような神学者や、ギヨーム・ド・ティールのような学識ある聖職者の歴史家のラテン語は、上述の特徴の大部分を忌避する傾向にあり、その語彙やつづりにおいて一時期を画している。列挙した特徴は、法律家(たとえば11世紀イングランドのドゥームズデイ・ブック)、医師、技術に関する著作家、世俗の年代記作家らの言語においてはるかに優勢である。しかしながら従属節を導く quod の用法はとりわけ広く普及しておりすべての層で見られる。

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