俗人時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/24 08:45 UTC 版)
「フィラレート (モスクワ総主教)」の記事における「俗人時代」の解説
フョードル・ニキーチチ・ロマノフの名が史料に初出するのは1585年頃、フョードル1世に付き添い、ノヴゴロドに行軍した際である。 1586年には貴族の位を得ていた。1590年には軍司令官としてスウェーデンに行軍。ニジニ・ノヴゴロドの代官を経て、フョードル1世の死(1598年)の後、ツァーリの有力候補になったが、ボリス・ゴドゥノフが選出され、彼の下にはいる。 1601年、ロマノフ家一門が失寵を蒙り、フョードルも剃髪され、北方のアントニエフ・シースキー修道院に流された。
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