俗に初代柳家紫朝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 06:20 UTC 版)
俗に初代(富士松から入れると3代目)柳家紫朝(やなぎや しちょう、1873年9月9日 - 1918年5月12日)は、音曲師。 越中富山の出身で若くして失明し1888年頃に久留米に隠居生活していた初代富士松紫朝の元で修行し紫玉と名乗る。左校と改名し地方廻りしている時に4代目柳亭左楽に見出され1896年に柳派に加盟。翌年初席から「3代目柳家柴朝」として出勤。「紫」に考慮して「柴」としたというが、大正に入り「紫朝」となる。本名:尾上 亀次郎または亀吉。墓所は谷中一乗寺。戒名は「温情院紫朝日唯信士」。
※この「俗に初代柳家紫朝」の解説は、「柳家紫朝」の解説の一部です。
「俗に初代柳家紫朝」を含む「柳家紫朝」の記事については、「柳家紫朝」の概要を参照ください。
- 俗に初代柳家紫朝のページへのリンク