初代富士松紫朝
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初代富士松 紫朝(ふじまつ しちょう、1826年6月19日 - 1902年3月1日) - 九州の久留米出身。盲人ながら安政年間から幕末・明治の初年にかけて初代富士松魯中の門人で、寄席で新内語りとして人気を得た。三遊亭圓朝の「朝」はこの紫朝にちなんだものという。後に弟子に紫朝を譲り、自身は紫翁となり久留米に隠居した。尚同じ新内の名跡で富士松ぎん蝶と混合されやすく、富士松紫蝶と表記されることがある。本名:佐藤 竹次郎。
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