初代局員
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「探偵!ナイトスクープ」の記事における「初代局員」の解説
嘉門達夫(在任期間:第1回放送-1990年3月31日) 初代「社会派ネタ探偵」。「悪徳不動産業者を追え!」(1988年6月4日放送)のネタでは、小型カメラを持って単身で不動産屋に突入するなど、体当たり調査を売りとした。小ネタ集の報告コンペで負け、朝日放送(当時)からNHK総合の裏番組『燃えてトライアル』に左遷された設定だが、実際は音楽活動に専念するために卒業。彼の担当した調査では「浪花のモーツァルト、キダ・タロー」(1990年2月17日放送)が唯一DVDに収録されている。 デビュー作「中国の毛生え薬・101は効くか?」(ナイトスクープ初の調査VTR。ディレクターは現在作家としても活動している百田尚樹が務めた。) 越前屋俵太(在任期間:第1回放送 - 1995年3月) 出演後半は牛など動物の着ぐるみ風のコートや合羽を着て出演。視聴率調査や、抽象的なテーマについて市井の人々から強烈な個性のある意見を引き出す「調べてください」シリーズの初代担当者。自身で降板を宣言。 降板の少し前「最近のナイトスクープがなぜつまらないか」という俵太がやったインタビュー調査で「俵太さんがつまらない」と答えた視聴者がいて俵太がショックをうけるという場面があったが、降板との因果関係は不明。 番組開始から間もない頃に一度、調査内容に不満をもった上岡に怒鳴られたことがあったが、それに対して「こんなもん本気でできるかい!」と言い返したことがある。この出来事がきっかけで番組の放送方式であった「撮って出し方式」が見直され、現在の隔週2本撮りの方式になった。後の総集編で、「あの時は腹立ちましたわ。もし(上岡)局長が小学生やったら殴り殺してますよ」と発言した。 初回放送からしばらくは、東京でのレギュラー番組(ラジオ)と当番組の収録が重なってしまい、スタジオ収録に参加することができなかった(なお俵太は、当時この2本だけがレギュラーだった。調査VTR前後のプレゼンは田中康江が代理で行った)。 デビュー作「JRの安売り切符は何故安いのか?」 槍魔栗三助(在任期間:第1回放送 - 1990年4月14日) 第1回放送で1985年の阪神優勝で道頓堀川に投げ込まれたカーネルサンダース人形の捜索を担当。以降4回に亘る「カーネル・サンダースシリーズ」を担当した。 1990年4月、戦時において「大日本帝国陸軍大阪八連隊」の敗走に次ぐ敗走が風刺や誇張、カリカチュアされた読み物の形で新聞記事になった、この連隊の取材を担当した調査結果に、局長の上岡が「徴兵されて無理やり戦争をさせられた一般市民が弱くてなぜ悪いのか」と指摘して収録を中止。番組サイドの意向や、『新・部長刑事 アーバンポリス21』などの俳優活動に専念するために卒業となった。 デビュー作「道頓堀川に沈むカーネル・サンダースを救え」 上海太郎(在任期間:第2回放送 - 1988年6月) 「ホワイトデーには何を送るか?」というネタでデビュー。数回の依頼を担当した後にすぐ降板した。 田中康江(在任期間:第2回放送 - 1988年11月) キャスティング段階で、松本プロデューサーが劇場を訪れた際、たまたま目にとまったのが採用理由。当初は第1回放送で出演する予定だったが、放送時間の都合上、初出演は第2回へ繰り越しとなった(企画段階では、1回の放送につき4本のネタを放送する予定であった。またスタジオ出演は、第1回放送時において欠席した越前屋俵太の代理として出演)。 マラソンのネタを扱った際に、上岡に怒鳴られたことがある。10本ほどの依頼を担当したのち降板。明るく軽妙な語り口で、探偵局初の女性探偵として活躍した。 2004年に逝去。歴代探偵局員では2021年10月現在唯一の物故者である。
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