レオン王国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/03/12 03:42 UTC 版)
| レオン王国 | |||||
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| Regno de Leon Reinu de Llión Reino de León Reino de León Reino de Leão Regnum Legionense Reino de Lhion |
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レオン王国の位置(1095年)
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| 言語 | アストゥリアス・レオン語[1]、ラテン語、カスティーリャ語、ガリシア・ポルトガル語、モサラベ語 | ||||
| 国教 | カトリック | ||||
| 宗教 | イスラム教スンナ派 ユダヤ教 |
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| 首都 | レオン | ||||
| 国王 | |||||
| 911年 - 914年 | ガルシア1世 | ||||
| 1188年 - 1230年 | アルフォンソ9世 | ||||
| 変遷 | |||||
| アストゥリアス王アルフォンソ3世が息子3人に国土を分割相続させた | 910年 | ||||
| カスティーリャ王フェルナンド3世がレオン王に即位したことで同君連合となる | 1230年 | ||||
| 現在 | |
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レオン王国(レオンおうこく、スペイン語: Reino de León、アストゥリアス語: Reinu de Llión)は、イベリア半島に存在した王国である。レオン・アストゥリアス王国ともいう。
イベリア半島に侵入したイスラム勢力の侵攻で崩壊した西ゴート王国の貴族ペラーヨがアストゥリアス地方に建てたアストゥリアス王国が起源になっている。
沿革
成立
910年にアストゥリアス王アルフォンソ3世の3人の息子が王国を分割相続し、長子のガルシア1世が相続した領域がレオン王国(レオン帝国[2])となった。宮廷はレオンに置かれた。
この分割相続で成立したレオン・ガリシア・アストゥリアスはそれぞれ別の王を戴きつつ、レオン王ガルシア1世がそれらをまとめて緩やかな連合を形成した。その後、914年に次弟のガリシア王オルドーニョ、さらに924年に末弟のアストゥリアス王フルエーラがレオン王位を継承したことで、三王国はレオン王国のもとに統合された。
同時期のイスパニア辺境は弱小国家の集まりであり、イスラム教国に対抗することなど不可能で、アル・アンダルスとは友好的あるいは従属的な関係を結んでおり、ナバラ王国もイスラム教国に対し友好的・従属的地位にとどまり、アラゴン伯領もレコンキスタ精神からはほど遠い状態にあった[3]。
一方のアル・アンダルスでは、後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン3世やハカム2世の宮廷は北部キリスト教国のみならず遠くビザンツ帝国や神聖ローマ帝国からも使節を迎え[4]、ナバラ王国やレオン王国に遠征してこれを屈伏させた[5]。
ナバラ王国による占領
11世紀にはいると、サンチョ3世の下でナバラ王国が台頭した。王は巧みな婚姻政策でカスティーリャ伯領・レオン王国などの周辺キリスト教国を併合し、「イスパニア皇帝」を自称した[6]。
サンチョは1034年にレオンを占領すると、「サンチョ皇帝」と刻まれたコインを発行した[7]。
カスティーリャへの併合
その後、配下のカスティーリャ伯が独立し王国となると勢力を弱めていく。1037年、レオン王アルフォンソ5世の娘サンチャと結婚していたカスティーリャ王フェルナンド1世がレオン王国の継承権を獲得すると、レオン王国はカスティーリャ王国に併合されカスティーリャ=レオン王国になる。
フェルナンド1世の死後、遺領は分割され、カスティーリャを長男サンチョ2世が、レオンを次男アルフォンソ6世が、ガリシアを三男ガルシア2世が相続した。サンチョはアルフォンソとガリシアを攻めたが、アルフォンソを裏切ってレオンを征服した。しかし、サンチョは1072年に暗殺され、ガルシアはその翌年捕らえられたため、アルフォンソ6世はカスティーリャとガリシアの王位を継ぎ、カスティーリャ=レオン王国を再び統合した。
その後1157年にアルフォンソ7世の死後の分割相続でフェルナンド2世がレオン王として即位しレオン王国が復活するが、1230年にカスティーリャ王フェルナンド3世がレオン王位を継承したことで王位はカスティーリャと再統合され、レオン王国は実質的には消滅した。ただし名目上はスペイン諸領邦のひとつとしてフェリペ5世の時代までその名を残している。
脚注
- ^ Menéndez Pidal, Ramón. "El Dialecto Leonés" pages 33–37.1906
- ^ D・W・ローマックス 1996, p. 57.
- ^ 芝修身 2007, pp. 164–166.
- ^ 芝修身 2007, p. 50.
- ^ D・W・ローマックス 1996, p. 63.
- ^ 芝修身 2007, pp. 71–72.
- ^ レイチェル・バード 1995, p. 60.
参考文献
- D.W.ローマックス著、林邦夫訳『レコンキスタ 中世スペインの国土回復運動』刀水書房、1996年
- 立石博高編『新版 世界各国史16 スペイン・ポルトガル史』山川出版社、2000年
- 芝修身『真説レコンキスタ』書肆心水、2007年。ISBN 978-4902854299。
- レイチェル・バード 著、狩野美智子 訳『ナバラ王国の歴史』彩流社、1995年。 ISBN 978-4882023678。
- フィリップ・コンラ 著、有田忠郎 訳『レコンキスタの歴史』白水社〈文庫クセジュ〉、2000年。 ISBN 978-4560058237。
関連項目
レオン王国
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「レオン (スペイン)」の記事における「レオン王国」の解説
ローマ以後のレオンは、レオン王国の歴史が占める。アストゥリアス地方にあったローマ軍団の基地は、重要な都市に成長し、586年まで西ゴート族の攻撃に抵抗し続けた。586年、ついに西ゴート王リウヴィギルド(en)に征服されたのである。レオンは、西ゴート王国が要塞の維持を許した数少ない都市の一つだった。イスラム勢力との抗争時代、ローマ人が山岳民族の侵入から平野を守るために建設した要塞は、スペイン独立の最後の避難所として、山地を覆った進化した地位になった。 846年間近には、モサラベの集団が市に再び植民しようとしたが、イスラム勢力の攻撃で主導権が妨げられた。856年、キリスト教徒のアストゥリアス王オルドーニョ1世の再植民の試みがなされ成功した。オルドニョ2世はレオンをレオン王国の首都とし(914年)、イベリア半島のキリスト教徒都市で最重要の地となった。 987年頃イスラムの将軍による略奪に遭い、市はレオン王アルフォンソ5世によって再建され、彼は市場の機能を含む経済活動を取り締まる1017年法令を出した。レオンはサンティアゴ・デ・コンポステーラへ向かう巡礼路の拠点の一つであった。貿易商人と職人のための郊外が13世紀以降ふくらみ、自治対政府の影響を受け始めた。中世初期、家畜の飼育が市繁栄の時代を築いた。
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