フェルナンド1世
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フェルナンド1世(Fernando I)はスペイン語圏、ポルトガル語圏の君主の名前。
- フェルナンド1世 (アラゴン王) (在位:1412年 - 1416年)
- フェルナンド1世 (カスティーリャ王) (在位:1033年 - 1065年、レオン王在位:1037年 - 1065年)
- フェルナンド1世 (ポルトガル王) (在位:1367年 - 1383年)
フェルナンド1世
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その後、配下のカスティーリャ伯が独立し王国となると勢力を弱めていく。1037年、カスティーリャ王国のフェルナンド1世がレオン王国の継承権を持つと、カスティーリャ王国に併合されカスティーリャ=レオン王国になる。 その後フェルナンド1世は南へ遠征し、後ウマイヤ朝滅亡後にアル・アンダルスに割拠したタイファ諸国を攻撃して金による貢納(パリア)を求めた。パリアの支払いはイスラム法に根拠のないものであったので、タイファ諸国内部の社会不安を増大させ、これらを弱体化させる効果があった。またこれによりカスティーリャ=レオン王国内での貨幣流通が活発となり、経済の発展にも寄与した。しかし貢納金を支払わせるということは、逆にフェルナンドをしてこれらタイファ国を保護する義務を生じさせるものでもあった。 フェルナンド1世の晩年にはいくつかのアル・アンダルスの都市を征服するなどレコンキスタ的な行動が見られたが、同じキリスト教を奉ずる国々との戦争も頻繁に行われた。フェルナンドとその息子のサンチョ2世はタイファ国の救援要請を受けて、これを攻めたキリスト教国と干戈を交えている。そのため、晩年の軍事行動が宗教的動機を離れて行われたものか、遠征にキリスト教の保護者を自認してのものか、解釈が別れる。
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