アラゴン家
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アラゴン家(西: Casa de Aragón)は、スペイン王国へ統合される以前のアラゴン王国の王家、またそこから派生した家系の呼び名である。以下の系統が挙げられる。
- 1 アラゴン家とは
- 2 アラゴン家の概要
アラゴン家(1162年から1410年)
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「バルセロナ伯」の記事における「アラゴン家(1162年から1410年)」の解説
ラモン・バランゲー4世はアラゴン女王ペトロニラ(カタルーニャ語名パルネリャ)と結婚し、アラゴンとの同君連合(アラゴン連合王国)を成立させた。2人の息子であるアルフォンス2世はカタルーニャとアラゴンの君主位につき、バルセロナ伯領とアラゴン王国を共に統治した。アラゴン史ではこの王家はバルセロナ家と呼ばれている。 名肖像治世説明アルフォンス1世純潔王 (el Cast)吟遊詩人王 (el Trobador) 1162年 - 1196年 ラモン・バランゲー4世とアラゴン女王パルネリャの子 ペラ1世(Pere I)カトリック王 (el Catòlic) 1196年 - 1213年 アルフォンス2世の子 ジャウマ1世(Jaume I)征服王 (el Conqueridor) 1213年 - 1276年 ペラ1世の子。1258年にコルベイユ条約を締結。これにより、カタルーニャはフランスの属国状態から脱する。 ペラ2世(Pere II)大王 (el Gran) 1276年 - 1285年 ジャウマ1世の子 アルフォンス2世自由王 (el Franc) 1285年 - 1291年 ペラ2世の子 ジャウマ2世(Jaume II)公正王 (el Just) 1291年 - 1327年 アルフォンス2世の弟 アルフォンス3世慈悲王 (el Benigne) 1327年 - 1336年 ジャウマ2世の子 ペラ3世(Pere III)尊儀王 (el Cerimoniós)el del Punyalet 1336年 - 1387年 アルフォンス3世の子 ジュアン1世(Joan I)狩猟王 (el Caçador) 不注意王 (el Descurat) 優雅者の愛好者 (l'Amador de la Gentilesa) 1387年 - 1396年 ペラ3世の子 マルティー1世(Martí I)人文王 (l'Humà) 聖職者王 (l'Eclesiàstic) 1396年 - 1410年 ジュアン1世の弟。男子後継者なしに亡くなる。
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