同君連合
同君連合(17世紀)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 18:17 UTC 版)
「エディンバラの歴史」の記事における「同君連合(17世紀)」の解説
1603年にジェームス6世はイングランドの王位を継承し、イングランド・スコットランド同君連合が誕生した。一方でスコットランドの独立はある程度保たれ、スコットランド議会は依然として存在した。ジェームズ6世はロンドンに移り住み、枢密院にスコットランドの支配を一任した。ジェームズ6世は3年に一度スコットランドに帰ることになっていたが、実際には1617年に一度戻ったのみであった。 1550年から1650年の間、エジンバラの街議会は、商人によって管理されていた。事務所を設置する資格を得る最も重要な要因は、第一に社会的地位、その次に富であり、宗派は大きな要因ではなかった。 ディングウァルによると、男性の76%が父親や義理の父からそうした権利を継承していた。 17世紀になっても、エディンバラの街は16世紀のイングランドの侵略時に築かれた防壁に囲まれており、壁中には140エーカー(0.56平方メートル)ほどの土地しかなった。限られた土地と増加する人口の帰結として、エディンバラの建築は高層化し、場合によっては15階建ての建物もあった. 1706年と1707年では、 合同法によってイングランドとスコットランドの議会を通過し、二つの王国はグレートブリテン王国として統合された。 結果として、スコットランド議会はイングランド議会と合併し、ロンドンにイギリス議会が設置されるに至った。この連合には多くのスコットランド人が反対し、街中で暴動が頻発したことが記録されている。
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