歴史観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 17:22 UTC 版)
「ヒュー・トレヴァー=ローパー」の記事における「歴史観」の解説
トレヴァー=ローパーの近世ヨーロッパ史研究における主要なテーマは、近代的精神の形成、宗教論争とプロテスタントおよびカトリック諸国の間に生まれた深い亀裂、以上の二つであった。彼はこれらの研究を元に以下のような持論を展開した。ヨーロッパの宗教的な分裂が経済的、政治的、構造的に啓蒙理性の形成を加速させた。同時期に起きたヨーロッパの海外膨張は、そうしたプロセスの中で副次的に起こってきたものに過ぎない。トレヴァー=ローパーの視点では、近世ヨーロッパの枢要なテーマの一つはヨーロッパの膨張である。この膨張とは、トレヴァー=ローパーにとっては植民地の形成による海外膨張を意味するのみならず、ナショナリズム、宗教改革、啓蒙主義の輸出という形での精神・思想上の膨張でもあった。またトレヴァー=ローパーの主張では、16・17世紀に多発した魔女狩りは、成長しつつあった宗派間多元主義に対する反動であり、もとはデジデリウス・エラスムスなどの思想家の持つ理性的な世界観と、宗教改革の生んだ霊的な価値観の対立をその起源とする。 トレヴァー=ローパーは、歴史学は科学ではなく芸術として理解されるべきだと述べ、歴史家にとって成功するうえでの重要な資質は想像力だと断言していた。彼にとって歴史はすべて連続しており、これまでの過去は持続的な進歩でも衰退でもなく、偶然および問題に直面した時に特定の個人が行った特定の選択によって紡がれてきたものに過ぎなかった。トレヴァー=ローパーは歴史において社会的動向の持ったインパクトについてはしばしば認めていたが、彼の考えでは社会的動向は統治者のような個々人の意向で変化するものだった。しかしこのような考え方をもちながら、トレヴァー=ローパーの近世ヨーロッパ史研究は政治史偏重というわけでは決してなく、むしろその時代の政治的、精神的、社会的、宗教的な諸動向の間の相互作用について探求するというものだった。 トレヴァー=ローパーが自分の考えを表明する媒体として好んだのは、本ではなく評論だった。彼の社会史に関する評論は、1950年代から1960年代にかけて、彼自身がその研究手法を採用すると表明したことのないアナール学派、特にフェルナン・ブローデルの影響を受けるようになった。トレヴァー=ローパーはアナール学派の研究を英語圏に紹介するうえで大きな役割を果たした。
※この「歴史観」の解説は、「ヒュー・トレヴァー=ローパー」の解説の一部です。
「歴史観」を含む「ヒュー・トレヴァー=ローパー」の記事については、「ヒュー・トレヴァー=ローパー」の概要を参照ください。
「歴史観」の例文・使い方・用例・文例
- 歴史観
- 観念論的な歴史観
歴史観と同じ種類の言葉
- 歴史観のページへのリンク