宗教論争とは? わかりやすく解説

宗教論争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 02:15 UTC 版)

東ローマ帝国」の記事における「宗教論争」の解説

東ローマ帝国では単性論聖像破壊運動静寂主義論争など、たびたび宗教論争が起き聖職者支配階層から一般民衆までを巻き込んだ。これは後世西欧側から瑣末なことで争う」と非難されたが、都市部市民識字率比較高かったためギリシア人一般民衆でも『聖書』を読むことができたという証左でもある。『新約聖書』は原典ギリシア語コイネーキニ)であり、『旧約聖書』もギリシア語訳のものが流布していた。また、教義最終的に決定するのは皇帝でも総主教でもなく教会会議よるものとされていたため、活発な議論展開される結果となったのである。この宗教論争に関しては、一般民衆ラテン語聖書読めず、また日常用いられる言語への翻訳もあまり普及していなかったために教会側が一方的に教義決定することができたカトリック教会との、文化的な背景違い考えなければならないだろう。

※この「宗教論争」の解説は、「東ローマ帝国」の解説の一部です。
「宗教論争」を含む「東ローマ帝国」の記事については、「東ローマ帝国」の概要を参照ください。

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