16世紀および17世紀の資料
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「ハーメルンの笛吹き男」の記事における「16世紀および17世紀の資料」の解説
1556年に、神学者ヨプス・フィンツェリウスによる De miraculis sui temporis(ラテン語で『現代の不可思議について』の意味)が、この伝説に言及している。著者ヨプスは、笛吹き男を悪魔と見なしている。 1559年から1565年頃に、フローベン・クリストフ・フォン・ツィンメルン伯爵は自著『ツィンメルン年代記』Zimmerische Chronik の中でこの伝説を紹介した。この紹介がネズミの集団発生が登場した最初の記録だと考えられている。しかし、ツィンメルンはこの出来事の日付を「何百年も昔 (vor etlichen hundert jarn)」と記しているのみであり、事件のあった日付に関する論争に全く解答を与えていない。 最初の英語による記述は、オランダ系の古物収集家にして宗教論争家であったリチャード・ローランド・ヴェルステガン(1548年頃-1636年)による、 『腐朽した知識の復権』 Restitution of Decayed Intelligence (アントウェルペン、1605年)の中に見られる。しかしヴェルステガンは物語の出典を示していない(ツィンメルンの手稿は1776年になってから再発見されており、ヴェルステガンの出典とはなりえない)。ヴェルステガンの記述はネズミの群れについての言及と、行方不明になった子供達がトランシルヴァニアに現れたという考察を含めている。英語の成句 Pied Piper (まだら服の笛吹き男)は、ヴェルステガンによる造語であると考えられる。より興味深いことに、ヴェルステガンによる事件の日付は、上の記述とは全く異なる1376年の7月22日となっている。これは1284年に行われた移民という事件と、1376年のネズミの集団発生という事件の二つの出来事が統合された事を示唆するのかもしれない。 笛吹き男の物語は日付を違えた形で、ロバート・バートンの1621年の著作『憂鬱の解剖』The Anatomy of Melancholy でも超自然現象の一例として紹介された。「1484年6月20日に、ザクセンのハーメルンで、まだら服の笛吹き男の姿をした悪魔が130人の子供たちを連れ去り、子供達は二度と見つからなかった」。バートンはこの話の直接の出典は提示していない。 アタナシウス・キルヒャーの1650年の著作『普遍音楽』Musurgia universalisでもこの出来事について詳細に紹介され、情報源としてヨハン・エウセビウス、コルネリウス・ゲンマの著作が挙げられている。 ヴェルステガンの文章はナサニエル・ウォンリーの『小世界の驚異』Wonders of the Little World(1687年)に転載され、ウォンリーの著書を直接の出典として19世紀のブラウニングの詩が書かれた。ヴェルステガンの記述はウィリアム・ラメゼイの『虫食いの話』Wormesにも転載された。「(前略)ヴェルステガンの物語で最も注目に値するのはまだら服の笛吹き男の話であり、この男は1376年7月22日にザクセンのハーメルンの町から160人の子供を連れ去った。悪魔の怒りに対して、神が不思議にも許可を与えたのだ」。
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