安永5年 (ひのえさる 丙申)
![]() |
年(年号) |
|
●1764年 (明和元年) | ■江戸大火 |
●1772年 (安永元年) | ■目黒行人坂火事 |
![]() |
|
●1783年 (天明3年) | ■浅間山噴火 |
●1789年 (寛政元年) | ■棄捐令 |
●1790年 (寛政2年) | ■石川島に人足寄場を設置 |
●1791年 (寛政3年) | ■江戸市中銭湯の男女混浴を禁止 |
![]() |
1776年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/21 09:46 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動千年紀: | 2千年紀 |
---|---|
世紀: | 17世紀 - 18世紀 - 19世紀 |
十年紀: | 1750年代 1760年代 1770年代 1780年代 1790年代 |
年: | 1773年 1774年 1775年 1776年 1777年 1778年 1779年 |
1776年(1776 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる閏年。
他の紀年法
- 干支 : 丙申
- 日本
- 中国
- 朝鮮
- ベトナム
- 仏滅紀元 : 2318年 - 2319年
- イスラム暦 : 1189年11月9日 - 1190年
- ユダヤ暦 : 5536年4月9日 - 5537年
- ユリウス暦 : 1775年12月21日 - 1776年12月20日
カレンダー
できごと
- 1月10日 - トマス・ペインが『コモンセンス』を刊行。
- 3月9日 - アダム・スミスが『国富論(諸国民の富の性質と原因の研究)』を刊行。
- 3月25日 - アメリカ独立戦争: サンピエールの戦い
- 6月、7月 - フランス人貴族のクロード=フランソワ=ドロテ・ド・ジョフロワ・ダバン侯爵が蒸気船の試作品を作成し、ドゥー川を航行させた。1783年には新型モデルでソーヌ川を航行し、その後16か月間航行を行った。[1]
- 7月4日 - アメリカ独立宣言発布。
- ネッケル、フランス財務総監就任(-1781年)。
- 清にてヘシェン、軍機大臣就任。
- 李氏朝鮮にて奎章閣設置。
- クックの第3次太平洋探検(-1779年)。
- 平賀源内がエレキテルの復元に成功。
誕生
- 1月24日 - E.T.A.ホフマン、作家・作曲家・音楽評論家・画家・法律家(+ 1822年)
- 2月11日 - イオアニス・カポディストリアス、ギリシャ第一共和国初代大統領(+ 1831年)
- 3月24日(安永5年2月5日)- 調所広郷、薩摩藩家老(+ 1849年)
- 4月19日 - ヴァーシリー・ゴローニン、[2]ロシア帝国(ロマノフ朝)の海軍軍人、探検家(+ 1831年)
- 5月4日 - ヨハン・フリードリヒ・ヘルバルト、哲学者・心理学者・教育学者(+ 1841年)
- 6月11日 - ジョン・コンスタブル、画家(+ 1837年)
- 8月9日 - アメデオ・アヴォガドロ[要出典]、物理学者・化学者(+ 1856年)
- 8月27日 - バルトホルト・ゲオルク・ニーブール、歴史家(+ 1831年)
- 10月6日(安永5年8月24日) - 平田篤胤、国学者 ・神道家(+ 1843年)
死去
- 4月22日 - 英祖、第21代李氏朝鮮国王(* 1694年)
- 5月30日(安永5年4月13日)- 池大雅、南画家(* 1723年)
- 8月25日 - デイヴィッド・ヒューム、思想家(* 1711年)
- 11月20日(安永5年10月10日) - 谷川士清、国学者(* 1709年)
出典
- ^ チャロナー 2011, p. 213「蒸気船 ダバンが、船に動力を供給する。」
- ^ Vasily Mikhaylovich Golovnin Russian naval officer Encyclopædia Britannica
参考文献
- ジャック・チャロナー(編集)、2011、『人類の歴史を変えた発明 1001』、ゆまに書房 ISBN 978-4-8433-3467-6
関連項目
|
1776年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 14:53 UTC 版)
最初のバージニア憲法の準備は、独立戦争の初期出来事の最中であった1776年早くに始まった。1776年憲法の草稿を起草した者には、ジョージ・メイソン、トーマス・ジェファーソンおよびジェームズ・マディソンがいた。ジェファーソンは第二次大陸会議のバージニア代表でもあり、彼が書いたバージニア憲法草案は、ジェファーソンがアメリカ独立宣言の草稿作りに関わったことで、直接の先駆けとなった。同様にマディソンがバージニア憲法草案作りに関わったことは、後にアメリカ合衆国憲法の主要立案者の一人として使うことになる概念や技術を発展させる力になった。 1776年憲法は前文で「これまでイギリスの王が有していた全ての憲法の権威は、社会全体の共通の利益のため契約によって人民から由来し、人民が保持するものとなった。」(all the constitutional authority ever possessed by the kings of Great Britain over these colonies, or their other dominions, was, by compact, derived from the people, and held of them, for the common interest of the whole society)と規定し、社会契約説に基づく人民主権論に立場に立つことを宣明した上で、「憎むべきまた耐え難い専政」を布いたイギリス王ジョージ3世を告発した。また、邦の立法機関として両院制のバージニア議会及び「執政府の長官」すなわち行政官として知事を創り、政府の権限の分離を打ち立てた。主にメイソンによって起草された同時期のバージニア権利章典は、人間の基本的権利と自由の保障と政府の基本目的に焦点を当てている。この権利章典はアメリカの権利の章典など多くの歴史的文書に模範として使われた。
※この「1776年」の解説は、「バージニア憲法」の解説の一部です。
「1776年」を含む「バージニア憲法」の記事については、「バージニア憲法」の概要を参照ください。
「1776年」の例文・使い方・用例・文例
- 1776年のページへのリンク