1776年-1798年、マサチューセッツ州会議事堂
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「旧マサチューセッツ州会議事堂」の記事における「1776年-1798年、マサチューセッツ州会議事堂」の解説
1776年7月18日、アメリカ独立宣言が、トーマス・クラフツ大佐(自由の息子達の1人)によって、この建物の東側バルコニーから、沸き立つ群衆に対して読み上げられた。午後1時、まずクラフツが議場の中で立ち上がり、議員らに対して独立宣言書を読み上げた。そしてウィリアム・グリーンリーフ保安官がバルコニーからそれを読み上げようとしたが、声がかすれて出なかった。そこでクラフツが保安官の隣に立ち、力強い声で独立宣言書を読み上げた。 その後、合図を受けて、フォートヒルの要塞から13発の大砲が鳴らされた。ドーチェスター・ネック、キャッスル、ナンタスケット、ポイント・オールダートンの要塞でも、同じように大砲を発射した。さらに、砲兵分遣隊が大砲を13回発射し、それに続いて二つの連隊が13の部隊から続けざまに13発を撃ち鳴らした。13発という数字は、この時独立したアメリカの邦(後の州)の数である。式典は、議場のメンバーらの軽食で締めくくられた。議長が次のものに対して乾杯し、列席者がこれを固く誓った。 アメリカ合衆国の繁栄と永続 アメリカ議会 ワシントン将軍及びアメリカ合衆国軍の成功 暴君と暴政の打倒 市民的・宗教的自由の普遍的な広がり 地球上のあらゆる場所にある合衆国の友 ボストン市民の3分の2が革命を支持しており、街の鐘が鳴らされ、皆が祝祭を喜び合った。その夜、イギリス国王の紋章やそれに類するマーク――ライオンと王冠、乳棒と乳鉢、心臓と王冠など――は、トーリー党のマークとともに取り払われた。屋根の上のライオンとユニコーンはキング・ストリートで焼かれた。 アメリカ独立戦争の後、この建物はマサチューセッツ州政府が1798年に現在の議事堂へ移転するまで、州会議事堂として使われた。
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