なかがわ‐じゅんあん〔なかがは‐〕【中川淳庵】
中川 淳庵 (なかがわ じゅんあん)
1739〜1786 (元文4年〜天明6年) |
【蘭方医】 『解体新書』の原書『ターヘルアナトミア』を長崎屋で入手。 |
蘭方医。小浜藩医。蘭学・本草学に通じ、平賀源内と親交を結ぶ。参府するオランダ人を逗留させる江戸の定宿長崎屋は、長崎以外で西洋文化に直接触れることができたので、蘭学者たちが交流する場ともなっていた。淳庵もその一人。長崎屋で『ターヘルアナトミア』を入手し、『解体新書』が世に出る切っ掛けを作った。自身も『解体新書』訳出に参加している。 |
年(和暦) | ||
●1742年 (寛保2年) | ■公事方御定書制定 | 3才 |
●1744年 (延享元年) | ■神田に天文台設置 | 5才 |
●1764年 (明和元年) | ■江戸大火 | 25才 |
●1772年 (安永元年) | ■目黒行人坂火事 | 33才 |
●1783年 (天明3年) | ■浅間山噴火 | 44才 |
・杉田 玄白 | 1733年〜1817年 (享保18年〜文化14年) | +6 |
・伊能 忠敬 | 1745年〜1818年 (延享2年〜文政元年) | -6 |
・長谷川 平蔵 | 1745年〜1795年 (延享2年〜寛政7年) | -6 |
中川淳庵
中川淳庵(なかがわ じゅんあん)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 03:57 UTC 版)
「居眠り磐音」の記事における「中川淳庵(なかがわ じゅんあん)」の解説
若狭国小浜藩の蘭方医。九州で蘭学嫌いの一団に襲われたところを、磐音に助けられ、懇意となった。
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「中川 淳庵」の例文・使い方・用例・文例
- 私が不在の際には中川が代理でご用件を伺います。
- 中川君を訪問したとき彼は出かけようとしていた。
- もしそれが本当なら、中川は有罪であるということになる。
- 「中川さんをお願いします」「私ですが」
- 紅組の初出場者には,リア・ディゾンさん,中川翔(しょう)子(こ)さん,人気アイドルグループAKB48などがいる。
- この鐘は日本国際連合協会の幹部であった中川千(ち)代(よ)治(じ)さんの発案によるものだ。
- 5月6日,鐘が戻ったことを記念する式典が行われ,千代治さんの長男である中川鹿(しか)太(た)郎(ろう)さんと,藩(パン)基(ギ)文(ムン)国連事務総長が鐘を鳴らした。
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