日本への招来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 03:00 UTC 版)
「ターヘル・アナトミア」の記事における「日本への招来」の解説
日本へは少なくとも前野良沢と杉田玄白の所有した2冊が輸入されており、前野良沢は明和7年(1770年)長崎遊学の際に同書を入手している。 杉田玄白の同書入手の仲立ちになったのは、『解体新書』の翻訳メンバーでもある中川淳庵だった。明和8年(1771年)の春、中川淳庵は、江戸参府中の出島商館長(カピタン)を訪問する。そこで『ターヘル・アナトミア』および『カスパリュス・アナトミア(カスパル解体書)』を見せられ、「望む人がいれば譲る」と言われた。2冊を預かって、同じ小浜藩医で先輩であった杉田玄白のところへ持ってきた。玄白も大いに興味を持ったが、彼もまた個人では買えず、藩の家老に頼み込み、代金を出してもらってやっと入手できたという。なお玄白は『カスパリュス・アナトミア』もこのとき入手したらしく、『解体新書』に玄白所蔵の参考図書として出てくる。 同年3月4日、小塚原刑場での刑死者の腑分(ふわけ=解剖)を見るために杉田玄白、中川淳庵、前野良沢などが集まった。そのとき良沢は『ターヘル・アナトミア』を持参してきた。それは玄白が入手した物と同書同版であるとわかり、互いに手を打ち合ったという。 その翌日より、前野良沢、杉田玄白、中川淳庵によって、『解体新書』の翻訳作業が始まる。
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