日本への招聘
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1887年(明治20年)、イギリスを訪問した日本の海軍大臣・西郷従道に要請されて、日本で新設された海軍大学校の初代教官に就任した。当初はイギリスから3年間の休職を許されていたが、日本の要請により、さらに3年間の休職を許された。 日本はイングルスを「生きた百科事典」のように扱い、イングルスを通してイギリスからあらゆる海軍の知識を得た。日本で甲鉄艦を買うかどうかの議論があった時には反対したが、日本は甲鉄艦を買うことにした。清国海軍に招聘されていたウィリアム・ラングが北洋艦隊に対して最新式の雁行陣の訓練を行ったのに対し、日本では単縦陣を採用し、敵艦隊との距離を速力でコントロールし、火力が優勢な舷側速射砲を使用するように訓練した。黄海海戦で日本軍が北洋艦隊を撃破したことで、単縦陣は世界の海軍戦術の主流となった。その後数十年間、日本の海軍はイングルスが提唱した「速力・火力・砲術」の原則を踏襲していた。 1893年(明治26年)10月、イングルスは「エンプレス・オブ・ジャパン(英語版)」号でイギリスに帰国した。帰国前、イングルス夫妻は天皇・皇后に謁見した。日本政府は盛大な送別会を開き、日本への功労に対する感謝の意を示した。送別会には海軍大臣西郷従道、前海軍大臣仁礼景範、海軍大学校校長中牟田倉之助、横須賀鎮守府司令長官井上良馨、宮内省の三宮義胤(後の男爵。妻はイギリス人)、イギリスの中国艦隊司令エドモンド・フリーマントル(英語版)らが参列した。
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日本への招聘
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日本におけるスカラ座招聘は、1981年9月に初の引っ越し公演が東京文化会館、NHKホールで行われた。渉外には1965年から16年の歳月をかけ、民主音楽協会により実現した。当時、「シモン・ボッカネグラ」「セヴィリアの理髪師」「オテロ」「ラ・ボエーム」のオペラが上演され、クラウディオ・アバド、カルロス・クライバーを指揮者に迎えて盛大に行われた。 その後は、日本舞台芸術振興会の佐々木忠次の尽力もあり世界でも類を見ない関係を築き、来日公演を重ねてきたのみならず、東京バレエ団のスカラ座公演も実現した。なお、日本の映画館は昔から「ミラノ劇場」「スカラ座」など同劇場にちなんだ命名が全国的に多く、現在でも相当数が残っている。
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